区の紹介
更新日:2022年2月4日
南区って?
堺市南区は、市域の南端に位置し、西は和泉市、東は大阪狭山市、東南は河内長野市に接しています。区域は泉北ニュータウンを中心とした計画的市街地とその周辺の農地、集落地、丘陵地などからなっています。
南部には自然や農業とふれあうことができる貴重な自然環境が残され、市民に親しまれています。泉北ニュータウンには快適な居住環境が広がり、泉北高速鉄道泉ヶ丘駅周辺には、多くの商業施設や公共施設が集積し、にぎわいをつくり出しています。
須恵器の窯跡も多く発見され、国宝の桜井神社拝殿や、国選択・府指定無形民俗文化財「こおどり」などの貴重な歴史文化資産が受け継がれています。
区内の施設
南区地名あれこれ
地名には、それぞれ名づけられたいわれがあり、それによって、その土地の歴史や文化を知ることができます。
昔、堺は、和泉、河内、摂津の境にあったことから、「さかい」と名づけられました。
南区内の地名の由来をご紹介します。
町名 | 由来 |
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上神谷 | 古い時代には神のことを「みわ」といい、神が降りてこられた伝説があるこの地域は「上神郷」(かみつみわのさと)と呼ばれ、「みわのさと」が「にわのさと」となりました。明治22年の町村制で北・中・南の上神村(にわのむら)に分かれますが、明治27年には、同じ谷筋にある村だからと合併して、上神谷村(にわだにむら)となりました。 |
美木多 | 明治22年4月、町村制によって、大森・上・檜尾・別所の村々が合併しました。そのときに、このあたりは山が多く、美しい木が多いというところから名づけられました。 |
福泉 | 昭和10年に、泉北郡鶴田村と泉北郡北上神村(きたにわむら)が合併しました。町名をつけるとき、むかしから和泉の国といわれていたところであり、新しいまちの誕生を祝って、吹く福々しい泉の町、泉のようにこんこんと福の沸く町を願って「福泉町」と名づけられたそうです。 |
森田 兼夫 『堺の歴史探索 地名あれこれ』 堺商工会議所、1999年
「〇〇台」とつくのはなぜでしょうか?
泉北ニュータウンは、大阪府が開発した住宅地です。
これまでの土地の歴史にのっとったうえで、先に開発された千里ニュータウンにならって、「〇〇台」で統一されることとなりました。
町名 | まちびらき | 由来 |
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宮山台 | 昭和42年12月 | 西南部の山林に境内をもつ多治速比売神社にちなんでいます。 |
竹城台 | 昭和44年1月 | かつて多くあった竹林と、住区のすぐ西に隣接する小谷城跡によります。 |
若松台 | 昭和45年4月 | 大蓮池周辺に松林が多く、古くは「若松之荘」と呼ばれたところから、名づけられました。 |
三原台 | 昭和46年4月 | 地区内にあった「三田原」という地名から文字をとりました。 |
茶山台 | 昭和46年4月 | 茶畑が点在し「お茶山」と呼ばれていたところから、名付けられました。 |
高倉台 | 昭和47年4月 | 高蔵寺があり、周辺地域が「高蔵寺」と呼ばれていたところから、名付けられました。 |
晴美台 | 昭和47年4月 | ニュータウンの中で最も高い丘陵で、見晴らしが良いところから名づけられました。 |
槇塚台 | 昭和47年4月 | 地区内にもともとあった通称で、槇の木が多かったことと、陶器山七不思議の一つ「黄金塚」にちなんだ名です。 |
町名 | まちびらき | 由来 |
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桃山台 | 昭和47年4月 | 造成前、丘陵一帯に桃が栽培されていたことから名づけられました。 |
原山台 | 昭和49年4月 | 地区内の地名からとった名です。 |
庭代台 | 昭和50年4月 | 造成前にあった集落の名からつけられました。周辺地域には「にわ」のつく地名が他にもあります。 |
御池台 | 昭和54年4月 | 「御池山」という旧地名にちなんでいます。 |
町名 | まちびらき | 由来 |
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赤坂台 | 昭和50年4月 | 「赤坂」という小字の名からつけられました。 |
鴨谷台 | 昭和52年4月 | 「鴨谷池」にちなんでいます。 |
城山台 | 昭和52年12月 | 南北朝時代の武将楠木正成の配下であった和田一族の山城(和田城跡)があったことから、名づけられました。 |
新檜尾台 | 昭和54年4月 | 「檜尾」は現光明池地区の大半を占めていた字の名です。 |
大阪府泉北センター/編 『泉北ニュータウンのあゆみ みどりと出会いのまち』 大阪府泉北センター、1997年
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