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昭和41年から昭和50年

高度経済成長とともに人口も2万人を突破、都市機能のさらなる充実が図られました。

 昭和41年(1966年)には町制施行10周年を記念して「美原町歌」と「美原音頭」が作られました。町の人口も昭和43年(1968年)に2万人を突破、中学校のマンモス化解消のために、昭和47年(1972年)には西中学校が開校。都市化の進展に伴い、都市基盤のさらなる整備が必要となり、昭和45年(1970年)には、南河内清掃施設組合の共同ごみ焼却場が操業を開始。昭和49年(1974年)には美原町消防本部・消防署が発足、消防庁舎が完成しました。昭和50年(1975年)には、生涯教育の場として「中央公民館」がオープン、町民のあらゆる催しの場として、この後フル稼働していきます。

昭和41年から昭和50年 美原町のできごと

年月日 できごと
昭和41年1月 黒山電報電話局が開局
昭和41年9月

町制施行10周年
この時「美原町歌」、「美原音頭」ができる

昭和41年10月 美原町商工会が通産大臣に認可を受け、スタート
昭和42年2月

し尿処理のため、近隣1市2町(当時)の共同処理施設
「富美山衛生センター」(現在大阪狭山市)が完成

昭和42年 6月

平尾小学校が現在地に移築開校
西保育所が開所

昭和42年10月 大阪木材工場団地、第1次進出により祝賀会
昭和42年12月

ごみ焼却場建設のため、2市4町(当時)で南河内清掃
施設組合を設立

昭和43年4月 町職員による救急奉仕隊を結成
昭和45年6月

新都市計画法がスタートし、町内の用途地域指定が行な
われる

昭和45年12月 南河内清掃施設組合のごみ焼却場(富田林市)が操業開始
昭和46年8月 水道事業所庁舎と小平尾浄水場が完成
昭和46年9月 老人福祉センターを開設
昭和46年11月  一般家庭のごみ無料収集始まる
昭和47年4月 

西中学校が開校
中小企業融資あっ旋制度発足

昭和47年5月 学校給食センターが完成
昭和48年6月 青少年運動広場が完成
昭和49年4月 町消防本部と消防署を設置
昭和49年7月 消防庁舎が完成
昭和50年3月 町の将来を方向づける総合基本計画を策定
昭和50年4月 中保育所が開所
昭和50年5月 児童文化センターを開設
昭和50年10月 中央公民館が開館
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