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堺をおもえば…片岡愛之助さん 思い出の場所と店

更新日:2023年8月3日

片岡愛之助さんの思い出を辿る

片岡愛之助さんの思い出を辿る

片岡愛之助さんとめぐる、あの名店と名所へようこそ

大浜公園(堺大魚夜市)

今も健在、大浜公園の猿山と夜市

 南海本線堺駅から徒歩約10分のところにある大浜公園は、明治12年(1879)に開園した堺市営で最も古い公園。今は野球場、屋外プール、体育館、テニスコート、相撲場などがありスポーツを楽しむ市民に親しまれている。愛之助さんが行った猿山(猿飼育舎)は今も健在で、50匹のアカゲザルが飼育されている。

 毎年、7月31日に開かれる「堺大魚夜市」は鎌倉時代に始まったと言われ、700年の歴史を誇っている。豪快な魚のセリが行われたり、たくさんの夜店が出たりで、毎年、大賑わいしている。

ザビエル公園

[堺まつり]の名物「なんばん市」はザビエル公園で

 阪堺線花田口電停からすぐのところにあるザビエル公園の正式名称は[戎公園]。天文19年(1550)にイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルが堺に立ち寄ったとき、手厚くもてなしたと言われる豪商、日比屋了慶(ひびや・りょうけい)の屋敷跡付近に造られた。開設した昭和24年(1949)がフランシスコ・ザビエルの来航400年だったことから、「ザビエル公園」という名前が使われるようになったという。
「ザビエル芳躅(ほうたく=良い行跡)の碑」や「堺鐡砲之碑」などの記念碑やモニュメントがあるが、ふだんはいたって静かな公園だ。だが、毎年10月に行われている堺の一大イベント「堺まつり」では「なんばん市」の会場となり、ステージでは数々の市民のパフォーマンスが披露され、夜店や堺の刃物ブース、企業のPRブースが並び、ふとん太鼓やなんばん衣装行列などの大パレードと並ぶ名物になっている。

おおとりウイングス

年70回!のミニコンサート[おおとりウイングス]

 JR阪和線鳳駅からすぐの[おおとりウイングス]はダイエーと77の専門店が入ったショッピングモール。スーパーからファッション店、飲食店、家電専門店、医院、美容院、スポーツクラブ、カルチャーセンター、旅行代理店、銀行、郵便ポストなどまであるので、ここだけでほとんどの用が足りる。
 建物の中央には愛之助さんが少年隊を観たというイベントスペースがあって、ウイングスの名物ミニコンサートが年に70回ほども行われている。新人から五木ひろし、吉幾三、美川憲一などの大物歌手も来店するというからビックリだ。

さかい利晶の杜

新名所[さかい利晶の杜]の名物ボイス

堺が生んだ茶の湯の大家である千利休と、日本を代表する歌人の与謝野晶子のミュージアムとして2015年3月にオープン。2人の生涯を通じて、堺の歴史や文化の魅力も紹介している。1階の「千利休茶の湯館」に備え付けられた音声解説機では、愛之助さんが声を演じた千利休が自身の生涯を説明している。落ち着いた暖かい声で解説されると、すんなり頭に入ってくるのが不思議だ。

 千利休作で唯一現存する茶室は京都・大山崎の妙喜庵にある国宝「待庵」だが、創建当初とは少し姿が変わっている。[さかい利晶の杜]では創建当初の「待庵」を復元。事前予約が必要だが、ここは必見である。目の前で点ててくれたお茶とお菓子を味わえる茶の湯体験施設もある。

六兵衛

小学校の同級生が経営する[六兵衛]

 愛之助さんの小学校時代の同級生、青木芳友さんが経営しているのは大泉緑地の北にあるうどんと定食の[六兵衛]。1階・2階を合わせると100席近くある大きなお店だ。青木さんが小学校時代の思い出を語ってくれた。
「三宝小学校の5年と6年のとき同じクラスだったんですよ。あの頃から可愛らしい顔してましたわ。休み時間はドッジボールとか長縄とかして遊んでました。お互いの家にも行ったり来たりしてましたよ。あいつの本名は山元寛之っていうんですけど、山元君の家に行ったら船のでっかいプロペラがあってビックリしました」
 愛之助さんは9歳から歌舞伎を始めていた。
「6年のとき、山元君がやっているからってクラスで歌舞伎の8ミリを見たことがあります。首の横あたりが化粧で荒れていたのも覚えています。早退して午後はいないことが多かったですね」
 中学校は別々になったので疎遠になり、再会したのは2年ほど前。
「テレビで『半沢直樹』を見て、『山元に似てるなぁ。山元ちゃうかな?』と思ったらそうだったんですよ。その後、共通の知り合いの国会議員が楽屋に連れて行ってくれて再会したんです。で、堺で店をやっていると言っておいたら、突然来てくれると連絡があったから、同級生を集めてみんなと久しぶりの対面をしたんです。山元はちっとも変わってなかった。全然気取ってなくて、昔みたいに気さくに喋ることができて嬉しかったですねえ」
 たくさん人が集まって大変だったそうだが……。
「あ、2回目に来たときね。ファンが多くて『今度、愛之助さんが来たら呼んで』と頼まれたから連絡したら知らない人までいっぱい来てしまって、うどんを食べる暇もなくなって悪いことしたわ(笑)。その次からは『言わんといてや』と釘刺されるから、内緒にしてます」
 愛之助さんはここの名物のカレーうどんや天ざる、ちゃんこ鍋がお気に入りだそう。ランチもボリュームがあってお得な店だ。

フレッシュケーキ愛之助

今や名所となったケーキ屋さん

 愛之助さんがブログで紹介して、一躍有名になった[フレッシュケーキ愛之助]はJR阪和線上野芝駅から徒歩約15分。10年前にオープンした小さくて可愛いお店だ。
 店名の由来を従業員の方に聞くと、「オーナーがお世話になった方が愛之助さんというお名前だったのと、ブレイクする前から片岡愛之助さんのファンだったので、応援する意味も込めてこの名前にしたそうです」
 オーナー、従業員を挙げての愛之助ファンで、店内にも愛之助さんの切り抜きがたくさん貼ってあるし、よくみんなで芝居を観に行き、楽屋見舞いにケーキを届けているそうだ。
「愛之助さんは去年、初めてお店に来てくださったんですけど、みんな舞い上がってしまってあまりお話できませんでした。“プチシュー”を買ってくださったり、“みみつきロール愛之助”を明石家さんまさんへの差し入れに使ってくださったり、今はこちらがお世話になっています」

 愛之助さんの来店がマスコミに取り上げられ、ネットで広がってからは、毎日、開店前から行列ができるようになった。プチシューは予約しないと午前中で売り切れてしまうそう。恐るべし、愛之助人気!

銀シャリ屋 ゲコ亭

飯炊き仙人の炊きたてご飯

 昭和38年(1963)創業の[銀シャリ屋 ゲコ亭]は阪堺線寺地町電停から徒歩約3分。日本全国に“白いご飯が抜群にうまい”と知られる創業者の村嶋孟(つとむ)さんは“飯炊き仙人”と呼ばれている。1日4時間半の営業時間にも関わらず、連日500人ものお客がつめかけ、2014年には堺市が堺への誘客、知名度の向上に貢献したと感謝状を送ったほどなのである。
 2016年1月には中国政府の招きで北京でも自慢のご飯を炊いて食べてもらった。
“仙人”は85歳を過ぎた今も、店に入っては特製のかまどの前で飯を炊く。
「俺は米や炊き方にこだわってなんかいないよ。当たり前のことをやっているだけ。だから、米のブランドも一切言わない」

“仙人”が炊いた銀シャリは、ツヤツヤに光り、ほどよい粘りと甘さがあって、米のいい香りがして、これだけでも食べられてしまう。しかもお客の目の前で作り、台の上にズラリと並べてある煮魚、フライ、卵焼き、お浸しなどのおかずがまた素晴らしい。

※記事内容は取材当時のものです。

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