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古墳

更新日:2015年1月9日

百舌鳥古墳群と仁徳天皇陵古墳

百舌鳥(もず)古墳群

堺の起源は古代縄文時代にさかのぼり、5世紀に入ると次々と古墳が造営され、なかでも日本最大の前方後円墳、仁徳天皇陵古墳はよく知られており、古くから文化が発展していたことを物語っています。百舌鳥古墳群には、現在半壊状態のものを含め44基の古墳があります。もとは100基以上の古墳がありました。

仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)古墳

日本最大の前方後円墳です。北側の反正陵古墳・南側の履中陵古墳とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれています。
前方部を南に向けた墳丘は、全長約486メートル、後円部径約249メートル、高さ約35メートル、前方部幅約305メートル、高さ約33メートルの規模で、3段に築成されています。左右のくびれ部の造出(つくりだ)しがあり、三重の濠が巡っています。
陪塚と考えられる古墳は、日本最大の前方後円墳にふさわしく、樋の谷古墳・茶山(ちゃやま)古墳・大安寺山(だいあんじやま)古墳・源右衛門山(げんえもんやま)古墳・狐山(きつねやま)古墳・銅亀山(どんかめやま)古墳・塚廻(つかまわり)古墳・収塚(おさめづか)古墳など10基以上に及びますが、塚廻古墳を除いて主体部の構造や副葬品のわかっている古墳はほとんどありません。仁徳天皇陵古墳は5世紀中ころの築造と考えられます。

南側前方部と西側には遊歩道が設けられており、南側車道は桜並木にもなっています。
また、西側歩道中央部には、犬養孝博士揮毫による、仁徳天皇皇后の磐之媛命(いわのひめのみこと)の万葉歌碑があります。

  • JR阪和線「百舌鳥駅」下車
  • 堺市堺区大仙町

黒姫山古墳(くろひめやまこふん)

堺市の百舌鳥古墳群と羽曳野市・藤井寺市の古市古墳群との中間に位置する前方部を西に向けた前方後円墳です。全長114メートル、後円部径64メートル、後円部高さ11メートル、前方部幅65メートル、前方部高さ11.6メートルで2段に築成されており、発掘調査によって濠の周囲に周庭帯があることがわかっています。
戦後間もない、昭和22年(1947年)ころに末永雅雄博士らによって発掘調査が行われ、後円部の埋葬施設は盗掘により、破壊されていましたが、前方部中央から堅穴式石室が発見されました。石室の中からは、24領の甲冑など、大量の鉄製武具、武器が出土し、当時大変な話題になりました。
昭和32年(1957年)、国の史跡に指定され(昭和53年(1978年)、周庭帯部分を追加指定)、平成元年(1989年)から平成4年(1992年)にかけて、国と府の補助を受けて環境整備が実施されました。出土した鉄製の甲冑は保存処理が行われ、現在、堺市立みはら歴史博物館で展示されています。

  • 近鉄バス「下黒山西」下車
  • 堺市美原区黒山529
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