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津久野校区

更新日:2019年3月26日

地名の由来

『地名「踞尾」から「津久野」へ』

 踞尾の地名の由来は諸説あるが、反正、仁徳、履中の3御陵の真南正面に位置し、朝に夕に踞い拝していたところから、踞い居るがやがて「踞尾」になったとも言われている。
 約140年前は堺県大鳥郡踞尾村、後に大阪府泉北郡踞尾村になるが、当時は大字踞尾(東、中、西、宮山)と字神野、字下田に分かれていた。この地名は、今なお地車曳行の6地区の組として残っている。
 その後の向ヶ丘団地施工に伴い、昭和35年に地元の念願であった阪和線新駅の開通となった。当初は「踞尾」という駅名を嘆願していたが、読み難いこと等から、「津久野」となった。
 そして、昭和39年の駅前区画整備事業で、町名だけでなく、出張所、小学校、幼稚園など公的施設においても、「踞尾」から「津久野」に名称変更された。

【文献】
 ・踞尾と家原(S61.4.29)
 ・榧と黐の樹陰に(H8.4.29)
 ・写真で見る西区今昔物語(H20.3月)等

万年橋

万年橋

 昔は橋の下を旧石津川が流れていたが、どんな橋をかけても氾濫の度に橋が崩れていた。そこで、昭和7年に地元が協力し全国でも稀なアーチ型鉄筋コンクリート吊り橋を作り上げた。
 その後、昭和30年代の駅裏開発で蛇行する旧石津川の大改修が進み“川のない橋”になるが、歴史の証しとして橋を残すこととなった。

 『石津川の古き流れは今この橋の下に眠る』藤井太一氏詠歌

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