このページの先頭です

本文ここから

浪華本染め(注染)

更新日:2024年10月10日

浪華本染め(注染)

注染について

手染めの染色技法「注染」は、明治20年頃大阪で生まれました。手ぬぐいを染めるために考案された「注染」はゆかたに応用され、明治36年の内国博覧会での入賞をきっかけに全国に広まりました。注染の手ぬぐいやゆかたは、第2次世界大戦の戦災により、大阪市内の注染業者が堺に移転したことで、堺の伝統産業として根付き、令和元年には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。
「注染」は型紙を使って防染糊を塗る糊置防染法の一種です。和晒の生地の上に一型づつ防染糊をぬり、生地を折り重ねて一度に染料を注ぎ込んで染めますので、量産性・経済的に優れ、手染めの風合いがあること、裏表なく染め上がり、色あせも少ないことが特徴です。
浪華本染め(注染)は国の伝統的工芸品などに指定されています。

●経済産業大臣指定年月日
 令和元年(2019年)11月20日(浪華本染め)
●大阪府知事指定年月日
 昭和60年(1985年)7月26日(浪華本染めゆかた)
 平成28年(2016年)10月31日(浪華本染め手拭い)
※伝統的技術等が同じである昭和60年に指定された浪華本染めゆかたに加えて、浪華本染め手拭いが大阪の伝統工芸品として指定された。

注染の製造工程

糊置き

晒し上がりの生地を糊付台の上に敷き、型を生地の上にのせます。
その上から防染糊(ぼうせんのり)という染料を通さない特殊な糊を均一に伸ばし付け、糊を置くごとにジャバラに折り重ねていきます。糊置き・生地の折り返しは相当の技術が必要な作業で、その後の染めにも影響するとても重要な工程です。この工程を担当する職人を板場(いたば)と呼びます。

土手引き・注ぎ染め

糊置きされた生地を染め台の上に置き、防染糊を絞り出して「土手(どて)」と呼ばれる囲いを作ります。土手からはみ出ないように染料を注ぎ、下からポンプで吸い取りながら生地を染めていきます。この工程を担当する職人を壺人(つぼんど)と呼びます。

水洗い

染め終わった生地は、水洗い場へ。型置きでのせた糊、余分な染料などを洗い流します。

だて干し(乾燥)

十分に水洗いの終わった生地を脱水して、天日乾燥や室内の乾燥設備で乾かします。

和晒(わざらし)

和晒について

「和晒」とは、綿布から糊・油などの不純物を取り除き、漂白された生地のことを言います。注染の技法を用いて作られる手ぬぐいやゆかたには、和晒が使用されます。
豊臣秀吉の時代、伊勢・三河・河内・和泉・摂津などで本格的な木綿の生産が始まりました。和泉の国での生産は、木綿の栽培と和晒生産に欠かせない自然条件に恵まれていた踞尾(津久野)を中心とする石津川流域でした。
江戸時代のごく初期には、「機や」、「さらしや」、「紺屋」が生まれ、江戸時代中頃、大阪と並ぶ木綿商いの中心地となった堺で生産された「和晒」は、港からは江戸へ、北國街道からは北陸各地へ、西国街道からは中国地方へと商圏を広げていきました。

和晒の製造工程

「和晒」は、木綿の生地を2〜3日窯で焚き、脂分や不純物を除去・漂白することで作られます。
現在は工場のボイラーやポンプで作業が行われていますが、昭和中期ごろまでは石津川の穏やかな水流で生地を洗い、河原には純白の布が天日干しされていました。丁寧な作業によって品質を一定に保つことで、手触りがやわらかく、吸水性にも優れた生地が誕生します。

その他

もっと知りたい

堺伝匠館ウェブサイト
sakai kitchen〈堺キッチン〉ウェブサイト

見学・体験したい

堺市内のものづくり見学・体験スポット

購入したい

堺伝匠館オンラインショップ

イベント情報

浪華本染め展
てぬぐいフェスウェブサイト

関係団体

<堺注染和晒興業会>
堺市中区毛穴町324 毛穴会館内
072-273-2147
<協同組合オリセン>
大阪市中央区久太郎町1-8-15 浪華ビル9階
06-6261-0468

このページの作成担当

産業振興局 産業戦略部 地域産業課

電話番号:(振興係・高度化支援係)072-228-7534 (商業支援係)072-228-8814

ファクス:072-228-8816

〒590-0078 堺市堺区南瓦町3番1号 堺市役所高層館7階

このページの作成担当にメールを送る
本文ここまで