堺県庁跡
更新日:2021年10月15日
指定区分
大阪府指定史跡
説明
明治維新後、堺はひとつの独立した県になりました。県庁は堺奉行所跡(現在の車之町東2丁、櫛屋町東2丁周辺)に置かれ、初代県知事には小河一敏(おごうかずとし)が就任しました。
明治4年(1871年)の廃藩置県後、堺県庁は市内で最大の木造建築である本願寺堺別院に移転します。そのため堺別院は境内地と建物を全て献上し、宿院町東2丁に代わりの寺を建てて移りました。
当初の堺県は旧天領地だけでしたが、明治2年には河内県、狭山藩、同4年には伯太(はかた)、岸和田、吉見、丹南4県を、同9年には奈良県を合併して近畿地方でも有数の大きな県になりました。広大な県域を有し、独自の県政を行った堺県でしたが、政府の大阪府域を拡大する方針のために、明治14年(1881年)1月に県域を大阪府に併合されて、その歴史に幕を降ろしました。
堺県の廃止後、境内地と建物は浄土真宗本願寺派へ返還され、現在に至っています。
堺市指定有形文化財 本願寺堺別院 本堂・山門・鐘楼・太鼓楼・経蔵・御成門・手水舎・蓮如堂・蓮如堂拝殿のページ へ
堺県庁跡
7815.93平方メートル
時代
明治時代
指定年月日
昭和45年2月20日
このページの作成担当
文化観光局 歴史遺産活用部 文化財課
電話番号:072-228-7198
ファクス:072-228-7228
〒590-0078 堺市堺区南瓦町3番1号 堺市役所高層館5階
(文化財課分室)〒590-0156 堺市南区稲葉1丁3142