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堺をおもえば…今井雅子さん 思い出の場所と店

更新日:2023年8月1日

今井雅子さんの思い出を辿る

今井雅子さんとめぐる、あの名店と名所へようこそ

堺市立三原台中学校

吉田恵子先生が語る「恐るべし13歳の今井雅子」

 三原台中学校には今井さん直筆の色紙が2枚飾られている。
「三原台中学校の皆さんへ 宝物はあなたの中にある! それを宝の山にするのも 宝の持ちぐされにするのもあなた次第」
「三原台中学校PTAの皆さま かならず腹はへる かならず朝は来る てっぱん」
 今井カラーの言葉である。それに気づかせてくれた吉田恵子先生は7年前に定年退職、「顔写真なしでもよければ」と取材に応じてくださった。
「私は今井カラーがあると言ったのは覚えていないのですが、彼女の描いた絵は鮮明に覚えています。彩度の高いハッキリした色をたくさん使って、他の生徒とはまったく違っていました。

 私が一番印象に残っているのは、中1の文化祭で劇をやったときのこと。普通は演出には誰も立候補しないのに、雅子ちゃんが立候補したので驚きました。しかも、しっかりクラスをまとめあげた。『恐るべし13歳、恐るべし今井雅子』と思いましたよ」
 佳夏ちゃんは太陽で、今井さんは月と見られていたそうですが。
「雅子ちゃんは月ではないです。目立たないけど、すごいオーラが出ていました。太陽が2つあるようなものでしたよ」
 もう1つ、印象に残っていることがある。
「私は生徒をよく知ろうとクラス全員と交換日記をしていたんです。雅子ちゃんの日記は文章が引き込まれるようで、仕事を忘れて一読者として楽しみにしていました。それが、夏休みが終わった頃からパタッと書いてこなくなったんです。彼女はちょっと近寄りがたくて、理由は聞けませんでした」
 今井さんは交換日記を書かなくなったことも忘れていたそうだが、つい最近、自分の日記を読み返して理由がわかったという。ふたたび吉田先生。
「私が日記帳で彼女の頭をコンとやったからだそうです(笑)。ただ彼女は2人だけの神聖な日記のつもりだったのに、私が他の先生に見せたことも理由の1つだと言うんです。そんなことした覚えはないんですけどねえ」
 それでも、今井さんは吉田先生の言葉が原点だとおっしゃっています。
「講演会などで時々、そう言ってくれているから恐れ多くて」
 吉田先生はあくまでも謙虚だった。
http://www.sakai.ed.jp/miharadai-j/

三丘会館案内

パーティーを開いた三丘会館

 正式名称「三国丘高等学校同窓会館 旧三丘会館」。三国丘高校の前身である旧制堺中学校の卒業生だった建築家、久野節が設計し、昭和9年(1934)に建設された。モダニズム色の強い白い会館として有名で、平成12年(2000)には登録有形文化財に登録されている。
 現在、1階は創立120周年を誇る同校の資料室になっていて、2階は会議や講演を行う部屋として活用している。同窓生であることなど条件はあるが、打ち合わせや会議に借りることもできる。
http://sankyuu.sakura.ne.jp/kaikan/kaikan.html

スイス本店

今も堺東で人気の[スイス 本店]

 今井さんが高校生の頃、食べ歩きの会のメンバーと1リットルパフェを食べたという[スイス]の本店は堺東駅前の商店街にある。若き3代目の桜井祐亮社長によると、創業は50年以上前。残念ながら、今は1リットルパフェはないそうだ。
「お客さまの好みに合わせて、パフェはだんだん小さくなっています。焼き玉子が入っている玉子サンドとかミートエッグドリアは昔と変わりませんけど」
 インテリアもスイスの山小屋のように変わったが、堺で半世紀以上愛されている店だ。

キャンティ

不思議なピザ屋[キャンティ]の真相

 謎のピザ屋[キャンティ]は、1973年に河内謙二さんが創業。15年前に先代が引退するとき、17歳でアルバイトを始めてから25年間働いていた西川清さんが引き継ぎ、店舗も現在地に移転した。
「ボス(謙二さん)は高度成長期に『堺でおいしいピザとスパゲティを出す』と切瑳琢磨していました。年に数ヵ月はオーバーですが、毎年8月は1ヵ月店を休んで、イタリア中を食べ歩いて、おいしいものをパクッてきていました(笑)」
 ピザの生地には水を一切使っていないので、サクッパリッと食感がいい。独特のオーブンで焼いていて時間がかかるので、「手焼きピッツァがメインのコース料理のお店です」と謳い、ミネストラ(ミネストローネ)を出している。今井さん思い出の「パイナップルピッツァ」も健在。デザートにピッタリである。

民芸肉料理 はや 総本店

ハリー・ポッターのような城のような部屋もある[はや 総本店]

 1975年に創業した[民芸肉料理 はや 総本店]は、茅葺き風の建物の入口に本物の蒸気機関車が飾ってあるのにまずビックリ。
 さらに、店内は迷路のように廊下が伸び、さまざまな造りの個室が現れる。中にはハリー・ポッターに出てくるお城のようなインテリアの部屋もある。外観から想像できないほど広く、なんと700人ぐらい入れるという!?
 メニューもどんな宴会にも対応できるような焼肉やしゃぶしゃぶのコースが用意されている。お得なランチ(写真)目当てのお客さんも多い。

南海グリル

かつては中華料理もやっていた[南海グリル]

 1952年に創業した、洋食店から始まり鉄板焼きステーキで名を馳せてきた「南海グリル」だが、中華料理を手がけていた時代もあった。
「1983年に西浦博章オーナーが店長や点心専門の料理人など全スタッフを香港から連れて来て、広東料理の[西園]を開店しました。『飲茶って何?』という時代にワゴン3台で飲茶をサービスしたら、すぐ大人気になりました。どこでも飲茶を出すようになったので10年以上前に閉店しましたが」

 だが、[南海グリル]は健在。今も2,000坪の敷地にビフテキ、和食、肉の販売所など6店舗が点在している。料理もサービスも徹底的に教育されたコックさんが目の前で焼いてくれるビフテキは絶品で、堺市民にとって[南海グリル]へ行くことは今も昔も「イベント」なのだ。
http://www.nankai-grill.co.jp/

堺市博物館

新たな思い出の場所、堺市博物館

 堺市博物館は1980年に広大な大仙公園の一角に開館。堺市の歴史、美術、考古、民俗に関する多くの資料を展示している。
 仁徳天皇陵古墳の石室石柩(写真)やそこから出土した埴輪の複製、南蛮船の模型、祭礼鉾の復元、ふとん太鼓などを見ながら、古代から現代までの歴史の流れや文化が一目でわかる。触ったり、身につけたりする展示や、大型スクリーンで体感できる百舌鳥古墳群シアターもあって、子どもたちも楽しめる仕組みになっている。

桜珈琲

思い出の候補地は行列必須の[桜珈琲]

 今、堺で話題のカフェ[桜珈琲]は、1976年に「珈琲専門店リオ」(現在の「ベーカリー・カフェRio 羽衣店」)をオープンしたことから始まった。パン、ケーキと徐々に手作りの自信作を積み重ねて店舗を増やしたところで「お客様がゆっくりとくつろげるお店を…」と、2006年に[桜珈琲 鳳本店]を開店したのだという。
「コンセプトは、女性らしさ、優雅な雰囲気、そして桜です。それで、中庭にしだれ桜を植えたら、自然とメニューや角砂糖や壁紙に桜を散りばめようなどというアイデアがたくさん出てきました」
 お洒落で、自家焙煎の珈琲やサンドイッチ、ケーキが美味しいとあって、あっという間に行列必須の人気店になり、今やカフェが6店。今回訪れた[泉北店]の隣には[焙煎工房 桜]も併設されている。
http://www.sakura-coffee.jp/

※記事内容は取材当時のものです。

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