1945(昭和20)年の出来事
更新日:2025年7月2日
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1月の出来事
13日 三河地震
愛知県東部を震源とするマグニチュード6.8の三河地震が発生しました。最大震度7相当の地震と見られ、死者は2,306人でした。戦時中で被害報道がほとんどされず、被害実態が近年までわかっていませんでした。
2月の出来事
4日~11日 ヤルタ会談
ヨーロッパでは、西部戦線、東部戦線でドイツは連合国軍から攻勢を受け、戦況は非常に厳しいものになっていました。そのような中、連合国のルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、スターリンソ連書記長がソ連のヤルタで会談を行い、ドイツの戦後処理、ドイツ降伏後のソ連対日参戦などが話し合われました。
19日 米軍硫黄島に上陸開始
米軍が本土爆撃の中継基地とするため、小笠原諸島硫黄島への上陸作戦を開始しました。硫黄島では、1944(昭和19)年に、軍属として徴用された男性103人を残して、島民は本土へ強制疎開させられていましたが、この戦いで、日米両軍合わせて2万8千人、島民82人の尊い命が失われました。戦闘は3月26日に終結しました。
3月の出来事
10日 東京大空襲
B29米軍爆撃機が、夜間に東京都区部へ低高度から約1,700トンに上る大量の焼夷弾を投下しました。これにより大火災が起こり、消火活動による逃げ遅れなどの要因も重なり、焼死、窒息死、水死、凍死など、9万5,000人を超える方が亡くなりました。罹災家屋は約27万戸、罹災者は約100万人にのぼりました。
13日 大阪大空襲(第1次)
13日深夜23時57分から翌14日未明3時25分にかけ、B29米軍爆撃機274機が、大阪都市部に約1,700トンの焼夷弾を投下しました。市街地は火の海となり、被災家屋は約13万6千戸、約4,000人の方が亡くなりました。
13日 堺空襲(第1次)
13日深夜23時57分から翌14日未明3時25分にかけ、堺市は、B29米軍爆撃機による初めての空襲を受けました。B29は、まず堺市東北部上空に現れ、錦綾町東部、香ヶ丘町、浅香山町に投下された焼夷弾により、付近民家は猛火に包まれました。さらにもう1機が西南方より現れ、北は中日橋筋、南は花田口筋北裏側、東は阿倍野鳳線府道西裏側、西は土居川沿岸約半丁手前の狭い範囲に焼夷弾が投下され、猛炎、黒煙がうずまきました。攻撃はこの後第3次第4次と相次ぎ、約200戸が全半焼し、4人が死亡しました。
26日 米軍が慶良間諸島に上陸
米軍は沖縄本島上陸作戦の補給基地として慶良間諸島の制圧を開始しました。数百の艦艇で慶良間諸島に砲爆撃を行い、26 日には座間味の島々へ、27 日には渡嘉敷島にもに上陸し、沖縄での地上戦が始まりました。
4月の出来事
1日 米軍が沖縄本島に上陸
米軍が、1,500隻近い艦船と延べ約54万人の兵員をもって、読谷・北谷海岸から沖縄本島に上陸を開始しました。その日のうちに、陸軍北(読谷)飛行場、陸軍中(北谷)飛行場を占領しました。ここから約 3~5カ月にわたる沖縄戦が始まりました。
7日 沖縄戦特攻作戦・戦艦大和が沈没
圧倒的な物的戦闘力に勝る米軍の沖縄進攻を阻止するため、日本軍は「特別攻撃隊」(通称「神風」)による作戦を発令しました。この沖縄での特攻作戦では陸海軍合わせて約1,600機が出撃し、約3,000人が亡くなりました。また、戦艦大和が沖縄に突入する特攻作戦を行い、7日鹿児島県の坊ノ岬沖合でアメリカ軍艦載機の激しい攻撃を受け3,000人を超える命と共に海に沈みました。
20日 ベルリン攻防戦
ヨーロッパでは、西部戦線で連合国軍が、東部戦線でソ連軍がドイツへの攻勢を強めていました。ついに20日には、ソ連軍は重砲をドイツ首都ベルリン北郊へ撃ち込み始めました。21日には、ベルリン全周をほぼ取り囲み砲撃が激しくなりました。ベルリン市民は地下室や防空壕に避難し、すし詰め状態に密集していました。
30日 ドイツ総統ヒトラー自殺
30日夜明け、ソ連軍はドイツ国会議事堂を攻撃し、首都ベルリン占領の象徴としてソ連国旗を議事堂に掲げました。その日午後、ドイツ総統ヒトラーは、妻エーファ・ブラウンとともに、総統地下壕で自殺しました。
5月の出来事
7日 ドイツが降伏文書に調印
ドイツ国防軍最高司令部の幹部であるアルフレート・ヨードルが、フランスのランスで全面降伏文書に調印しました。ナチス・ドイツの無条件降伏により、ヨーロッパで数千万人の犠牲者を出した6年間の紛争に終止符が打たれました。
14日 名古屋空襲
524機のB29爆撃機による初めての大都市への白昼焼夷弾爆撃が行われました。防空総本部の発表によると、名古屋市部合計では、死者326人、罹災者57,208人でした。千種区、東区のそれぞれ北部、北区、西区など北部一帯が攻撃の目標となり、名古屋城天守閣も焼失しました。
17日 名古屋空襲
457機のB29爆撃機による焼夷弾爆撃により、死者505人、被害戸数23,695戸の被害が発生しました。5月14日の空襲で焼け残った市南部の住宅密集地、ドック、工場群を目標にした攻撃でした。
22日 沖縄戦 日本軍南部撤退
日本軍の第32軍は首里城の地下に造った司令部を放棄し、沖縄本島南部に撤退することを決定しました。南部一帯は敗走する日本軍と避難民が入り乱れる戦場と化しました。5月下旬には、米軍が首里を占領しました。
24日 東京空襲
米軍の約520機のB29爆撃機が3,646トンの焼夷弾を投下し、荏原区、品川区、大森区、目黒区、渋谷区などの住宅地が標的となりました。罹災家屋は約64万戸、罹災者約22万人にのぼり、死者は警視庁の調べで762人の方が亡くなりました。
25日 東京空襲
25日から26日にかけて、米軍は東京の都心地域と西部住宅地に対して、464機のB29爆撃機が波状爆撃を行いました。この空襲で宮城(現・皇居)内の宮殿も消失しました。罹災家屋は約16万戸、罹災者は約56万人、死者は警視庁の調べで3,242人の方が亡くなりました。
29日 横浜空襲
B29編隊517機が、約1時間の内に総数約43万8,576個(2,569.6トン)の大量の焼夷弾を投下しました。市街地は猛火に包まれ、中区、南区、西区、神奈川区を中心に甚大な被害が発生しました。直後の公式発表によると、犠牲者は3,650人、重軽傷者は10,198人、行方不明者は309人、罹災者は311,218人に上りました。
6月の出来事
1日 大阪大空襲 (第2次)
空襲は、午前9時28分から午前11時までの間、主に港区、此花区、大正区、福島区、北区、天王寺区、東区、大淀区に対して行われました。B29米軍爆撃機458機とP51ムスタング戦闘機の焼夷弾爆撃により、被災家屋は約6万5千戸、約3,100人の方が亡くなりました。
5日 ベルリンで英米ソ仏4国がドイツの直接統治宣言を発表(ベルリン宣言)
ナチス・ドイツの無条件降伏を受け、米英仏ソの4か国がドイツの主権を停止し、ドイツの中央政府を樹立せず、共同統治を行うことを宣言しました。これにより、ベルリンは4か国による分割統治体制に入り、戦後ヨーロッパの秩序形成と東西分裂に大きな影響を与えました。
5日 神戸大空襲
この日の早朝に、約350機のB29米軍爆撃機が西は垂水区から東は西宮までの広範囲に大量の焼夷弾や爆弾を投下し、市街地全体が壊滅的な被害を受け、3,453人の方が亡くなりました。この空襲では工業地帯の爆撃だけでなく、市民生活の徹底的破壊を目的とした無差別攻撃でした。須磨区・長田区・生田区の区役所や市長公舎、鉄道省工場、神社、酒造地帯等、市街地の約6割の面積が焼失されました。
7日 大阪大空襲(第3次)
空襲は、午前11時9分から午後0時28分まで続き、B29米軍爆撃機409機とP51ムスタング戦闘機138機の焼夷弾爆撃により、被災家屋は約5万8千戸、約2,700人の方が亡くなりました。焼夷弾や砲兵工廠に落とす予定の爆弾が都島区を中心とした大淀区、旭区、淀川区、東淀川区、福島区、北区、さらには豊中市に投下され、P51ムスタング戦闘機の機銃掃射も淀川両岸に集中し、都島区の8割が被災しました。
15日 大阪大空襲(第4次)
空襲は、午前8時44分から午前10時55分までの間、西淀川区、天王寺区、生野区、東成区、西成区、淀川区、北区、東区に対して行われました。 B29米軍爆撃機444機の焼夷弾や爆弾の投下により、被災家屋は約5万3千戸、約480人の方が亡くなりました。
15日 堺空襲(第2次)
この日午前9時頃に警戒警報が出され、続けて空襲警報が発令されました。午前9時20分頃、B29米軍爆撃機が、市役所付近に焼夷弾を投下し、さらに新町、瓦町、戎之町、熊野町東部、一条通、六条通一帯を空爆し、これらの地域が火の海と化しました。その後、第2波、3波の攻撃で、市北部工業地帯は猛煙に包まれました。空襲により8人が死亡、29人が重傷、28人が軽傷を負い、約400戸の家屋が焼失されました。
23日 沖縄戦終結
日本軍第32軍の牛島満司令官と長勇参謀長が自決したことにより、沖縄戦における組織的な戦闘の終結を迎えました。しかし、その後も沖縄本島や周辺の各島でも局地的には引き続き戦闘が行なわれました。南西諸島守備軍代表が降伏文書に調印するまでの約3~5カ月の間に、沖縄県民を含む約20万人が犠牲となり、そのうち、一般住民の死者は約10万人にのぼりました。
26日 大阪大空襲(第5次)
空襲は、午前9時18分から午前10時22分までの間、此花区の住友金属工業と東区の大阪陸軍造兵廠を目標に実施されましたが、被害は此花区、福島区、西淀川区、城東区とその周辺地域に及びました。B29米軍爆撃機173機によって爆弾投下が行われ、被災家屋は約10,400戸、約680人の方が亡くなりました。
26日 堺空襲(第3次)
白昼にアメリカ軍機が大阪湾上から侵入し、主に350キログラムの爆弾を使用して堺市を攻撃し、特に戎島の三和鉄工所が標的となり、周辺の民家も被害を受けました。この空襲により、死者4人、重軽傷者10人、家屋33戸が全半壊するなどの被害が発生しました。
7月の出来事
7月は米軍の空襲目標が大都市から、地方都市に移っていった時期です。北海道から九州まで日本全国の中小の都市が空襲され、大きな被害を受けています。そのような中、この月は堺市でも大きな空襲があり、たくさんの人が亡くなりました。7月10日の堺大空襲です。
1日 地方都市空襲
熊本 B29米軍爆撃機154機 死者388人
2日 地方都市空襲
呉 B29米軍爆撃機152機 死者2,000人以上
宇部 B29米軍爆撃機100機 死者約160人
下関 B29米軍爆撃機128機 死者307人
3日 地方都市空襲
姫路 B29米軍爆撃機106機 死者173人
4日 地方都市空襲
高松 B29米軍爆撃機116機 死者1,359人
高知 B29米軍爆撃機125機 死者401人
徳島 B29米軍爆撃機129機 死者約1,000人
6日 地方都市空襲
甲府 B29米軍爆撃機131機 死者1,127人
7日 地方都市空襲
清水(静岡) B29米軍爆撃機133機 死者151人
明石 B29米軍爆撃機124機 死者360人
千葉 B29米軍爆撃機124機 死者890人
9日 地方都市空襲
和歌山 B29米軍爆撃機108機 死者1,100人
岐阜 B29米軍爆撃機129機 死者約900人
10日 地方都市空襲
仙台 B29米軍爆撃機123機 死者1,000人以上
堺大空襲後の堺市瓦町付近
10日 堺大空襲(第4次堺空襲・第6次大阪大空襲)
空襲は、午前1時33分から3時6分までの間、B29米軍爆撃機116機の焼夷弾攻撃により、18,446戸が焼失あるいは破壊され、7万人が罹災しました。死者は1,860人、重軽傷者は972人にのぼりました。罹災した面積は約22万6千坪に達し、旧市内の62%に相当する面積が火の海と化し、土居川の水さえ熱湯となり、川面に飛び込んだ人々の死体で埋め尽くされました。龍神駅付近においても逃げ場を失った数百人の市民が一団となって焼死しました。
12日 地方都市空襲
宇都宮 B29米軍爆撃機115機 死者620人以上
宇和島 B29米軍爆撃機124機 死者28人
敦賀 B29米軍爆撃機92機 死者109人
13日 地方都市空襲
一ノ宮(一宮) B29米軍爆撃機124機 死者30人
15日 地方都市攻撃
室蘭 米海軍機動部隊による艦砲射撃 死者427人
根室 米海軍機動部隊の艦載機 死者355人
16日 アメリカで原爆の開発に成功
プルトニウムを原料とする最初の原爆が完成し、ニューメキシコ州のロスアラモスから南に約300キロメートル離れた砂漠の地アラモゴードで人類初の核実験が行われました。
16日 地方都市空襲
平塚 B29米軍爆撃機133機 死者328人以上
17日 ドイツのポツダムにてポツダム会談が開始
ドイツでポツダム会議が開かれ、ドイツの戦後処理について、アメリカ、イギリス、ソビエト連邦(現ロシア連邦)の間で話し合われました。
17日 地方都市空襲
大分 B29米軍爆撃機127機 死者49人
沼津 B29米軍爆撃機119機 死者274人
桑名 B29米軍爆撃機94機 死者390人
19日 地方都市空襲
福井 B29米軍爆撃機127機 死者1,576人
日立 B29米軍爆撃機127機 死者133人
20日 地方都市空襲
銚子 B29米軍爆撃機91機 死者278人
岡崎 B29米軍爆撃機126機 死者207人
24日 大阪大空襲(第7次)
空襲は、午前10時44分から午前11時1分までの間、住友金属と造兵廠を目標に実施されました。被害は此花区、城東区、東区、守口町(現在の守口市)に及びました。B29米軍爆撃機117機によって爆弾投下が行われ、被災家屋は約890戸、214人の方が亡くなりました。
26日 アメリカ、イギリス、中国によるポツダム宣言が発表
米英中3国首脳による日本への無条件降伏勧告「ポツダム宣言」が発せられ、日本に対して「無条件降伏」を要求しました。鈴木貫太郎内閣はこれを「黙殺」しました。
26日 模擬原子爆弾の投下
大阪市東住吉区田辺(現在の田辺小学校北側付近)に、B29米軍爆撃機によって「模擬原子爆弾(パンプキン爆弾)」が投下されました。死者7人、重軽傷者73人の被害が出ました。
26日 地方都市空襲
松山 B29米軍爆撃機127機 死者251人
27日 地方都市空襲
徳山(周南) B29米軍爆撃機97機 死者482人
大牟田 B29米軍爆撃機124機 死者602人
28日 地方都市空襲
津 B29米軍爆撃機76機 死者344人
青森 B29米軍爆撃機61機 死者731人
一ノ宮(一宮) B29米軍爆撃機122機 死者654人
29日 地方都市空襲
宇治山田(伊勢) B29米軍爆撃機93機 死者75人
大垣 B29米軍爆撃機90機 死者50人
宇和島 B29米軍爆撃機29機 死者100人
【参照させていただいた文献】
内閣府ホームページ、国立公文書図書館ホームページ、東京大空襲戦災資料センターホームページ、渡嘉敷村ホームページ、沖縄県公文書館資料、知覧特攻平和館ホームページ、『平和 いのち 堺戦災関係資料集』、『第二次世界大戦1939-45下 』アントニー・ビーヴァー 白水社、在日フランス大使館ホームページ、ナショナル ジオグラフィックホームページ、『新修名古屋市史』、読売新聞ホームページ、沖縄平和記念資料館ホームページ、横浜市ホームページ、未来に残す戦争の記憶(Yahoo! JAPAN)、写真で見る大阪空襲(ピースおおさか)、『第2次世界大戦後におけるドイツの国際法的地位(明治大学社会科学研究所)』、神戸市ホームページ、沖縄市ホームページ、『中小都市空襲(三省堂選書)』、日本原子力研究開発機構ホームページ、中京大学 社会科学研究所ホームページ、大阪市東住吉区ホームページ
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