土居川公園(どいがわこうえん)
更新日:2023年7月27日
概要
15世紀から16世紀にかけ、まさに世の中は戦国時代となりました。堺では、貿易で富を得た商人たちが町を守るため、西は海で他の三方には濠(ほり)をめぐらせ、外から敵が入れないようにしました。その濠が土居川の始まりです。しかしその後、日本を統一した豊臣秀吉は濠を埋めてしまいます。そして秀吉が死に、徳川の時代になった1615年、大坂夏の陣では豊臣方が火を放ち、堺は焼け野原となりました。徳川幕府はすぐに堺の町を復興し(元和の町割)、町の周りに濠をもう一度掘りなおしました。これが今の土居川で、元の土居川より外側に掘られています。川に「土居」という土の堤防を築いたというのが、土居川の名前の由来と言われています。昭和40年代のはじめに北側と東側は埋められ道路になりましたが、東側の道路に沿って約4ヘクタールの土居川公園が作られました。
本公園は、風情のある見どころが多く、近くには歴史を偲ばせる名所・旧跡が点在しており、史跡探訪を兼ねた散策が楽しめます。また、道路環境施設帯(緩衝緑地)としての機能を併せもつ公園です。
施設紹介
1.極楽橋
極楽橋は宿屋町東と神明町東との境界付近の土居川に架けられていた石橋で、土居川の橋の中でも一番細工の美しい石橋でしたが、昭和40年代以降に阪神高速道路工事で土居川は埋め立てられ、橋は撤去されました。
橋は堅い花崗岩で造られ、格狭間(こうざま)・欄干(らんかん)を備えた石橋としては珍しく、堺で最も古いものです。橋の名前は堺の町から王子ケ飢(おうじがうえ)墓地(現在は南区鉢ヶ峯寺の堺公園墓地に移転・統合)へと向う葬列が渡ったことから、死者の極楽往生を願ってつけられたといわれています。
現在、元の場所に近い土居川公園に移築復元されています。
場所:堺市堺区宿屋町東3丁
2.竹内街道の道しるべ
安政2年(1855年)に翁橋の前に建立され、現在、元の場所に近い土居川公園に移建されています。
場所:堺市堺区大町東4丁
3.農人町井
農人町井は、「堺市史」によると、大干ばつになっても枯れない井戸水として著名なものと記されています。
場所:堺市堺区柳之町東2丁
4.獅子石造
堺に暮らした獣医で動物彫刻家の岩田千虎(いわた かずとら)氏作の石造です。
場所:堺市堺区甲斐町東6丁
5.テニスコート
軟式・硬式テニスに利用できる全天候型ハードコート2面からなるテニスコートです。照明設備はありませんので、利用の際は日没の時間にご注意下さい。
場所:堺区櫛屋町東4丁
【利用の申し込みについて】
- 受付機関
- 受付時期
利用月の1ヵ月前から
- 利用時間の単位
午前8時から午前9時は1時間単位、午前9時以降は2時間単位
アクセス
所在地
堺区新在家町東4丁から堺区北旅籠町東2丁まで
交通案内
- 電車
南海高野線 堺東駅下車 西へ800メートル