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第1章 古墳と埴輪

更新日:2023年1月26日

 古墳の墳丘や周濠(しゅうごう)の堤に立て並べられた埴輪は、大きく2種類に分けられます。ひとつは円筒埴輪(えんとうはにわ)、もう一つは形象埴輪(けいしょうはにわ)です。形象埴輪は、さらに人物・動物をかたどった人物埴輪・動物埴輪、家をかたどった家形埴輪、盾(たて)や甲冑(かっちゅう)などをかたどった器財埴輪(きざいはにわ)に分けることができます。これらは、埴輪という土製品にまとめてしまうには、とまどいを覚えるくらい形を違えるものですが、古墳において両者はそれぞれの役割を担いつつ、古墳の「まつり」になくてはならないものだったのです。

 埴輪の起源として、垂仁天皇(すいにんてんのう)32年に人を墓に生き埋めにする殉死(じゅんし)を禁じ、そのかわりに人物埴輪を立てるようになったという物語が『日本書記』に伝えられています。しかし、実際には人物埴輪の出現より円筒埴輪の出現の方が古いということがわかっていることから、この物語はあくまでも神話としてとらえなければならないものです。

 では、円筒埴輪はどのような経過を経て、古墳に立ち並べられるようになったのでしょうか。円筒埴輪は、弥生時代の末期に吉備(きび)地方=現在の岡山県で墓に供えられた「特殊器台(とくしゅきだい)・特殊壺(とくしゅつぼ)」を起源とするものと考えられています。これは複雑な文様で外面を飾り、亡き被葬者(ひそうしゃ)に対して供物を捧げるという行為を表したものと考えられています。また、墓に立てられる位置も部分的で、限られた数量でした。そして、この「特殊器台・特殊壺」が古墳出現期に大和地方=現在の奈良県北部に採り入れられ、その後古墳時代前期を通じて円筒埴輪として変化していきました。その過程で、「特殊器台」に「特殊壺」を乗せた様子は朝顔形埴輪(あさがおがたはにわ)として変化し、円筒埴輪と朝顔形埴輪が古墳や周濠のまわりを取り囲むようになったのです。

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