黒姫山古墳の内部構造
更新日:2013年3月27日
後円部は古くから盗掘を受けて残存せず、詳細については不明ですが、付近の住民など関係者から聞き取った話により、おそらく小規模な石室の中に白色礫が敷かれ、凝灰岩製の刳抜式石棺が納められていたと推測されています。盗掘坑周辺土層からは、滑石製紡錘車1点、鉄製衝角付冑破片2点、須恵器坏破片数点がみつかっています。(『河内黒姫山古墳の研究』大阪府文化財調査報告書第1輯)聞き取りのうち、大保の水路の橋に使われていた一枚の石材(花崗岩製)は、当古墳のものと思われ、現在大保の廣國神社に置かれています。他に後円部頂上平坦部に南北に2.5メートル、幅約1.8メートルの範囲で小礫が約5センチメートルの厚さに敷き詰めた部分がありました。
前方部頂上とくびれ部とのほぼ中間の地表下約65センチメートルのところに、主軸線上にそって、東西に長い長方形の竪穴式石室が造られていました。石室は扁平な河原石を平積みにし、8枚の砂岩製天井石でふさがれていました(発見時には1枚は石室内に落ち込んでいた)。石室内法は長さ4.3メートル、幅0.75から0.83メートル、天井石までの高さ約1メートルです。天井石の上は、粘土で覆われていた痕跡があり、石室基礎底部には約30センチメートルの黄色粘土が敷かれ、その上に小礫を約5センチメートルの厚さに敷いていました。朱は用いられておらず、副葬品専用の石室と考えられます。
北側の造出しは、昭和22年調査時に出土遺物から室町時代以降に盛土されていること、平成2年の前方部と後円部におけるトレンチ調査においては、墳丘が中世に大規模な盛土が行われていることを確認しており、古墳が中世の城塞に転用された可能性が考えられ、造出しはその際の物資搬入口として設けられた可能性も考えられています。
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