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計量の歴史について

更新日:2023年5月1日

 人は普段、なにげなく時間だったり、重さだったり、長さだったりを計り比べています。ですが、実は計るという行為は、人類の歴史において重要な役割を果たしているのです。

計量のはじまり

 そもそも、人が初めて計ったものは、“時”であったと言われます。フランスでは月の満ち欠けの記録と思われる、石に線を刻みつけた約3万年前の遺物が見つかっています。

 やがて、狩猟・採取を生活の糧としていた人類が、野生の穀物を栽培して土地に定住するようになると、 風雨に強い家の建て方や道具の作り方に関連して “長さ”が測られるようになります。さらに農業が発展すると土地の“面積”や収穫量に対する“体積”の計測が始まり、紀元前8,000年頃、生産が安定し都市国家が台頭する時代に金銀・宝石・香料の取引のため“重さ”も量られるようになりました。

 計量の単位を決めるということは、物が行き交い経済が発展するのに不可欠である一方、莫大な費用と強大な権力が必要で、権威の象徴でもありました。メソポタミア のハンムラビ法典の記載された石棒 (現在、ルーブル美術館所蔵)の上部レリーフにはバビロン第一王朝のハンムラビ(紀元前1792年~同1750年) が、太陽神シャマシュから、神殿を建てる権限(=王としての権力)を与えられた証として直尺と巻尺を渡されている様子が彫られています。また、古代エジプト の『死者の書』 の中には、死者が冥界の神ヌビスに導かれて正義の女神マアトの真実の羽根とで天秤によって比べられ、生前に不正を犯したかどうかを量られているところが描かれています。そして、紀元前 221 年中国 を初めて統一した秦の始皇帝が、 度=長さ量=体積衡=重さの統一を行っています。 

太陽神シャマシュより王権を象徴する葦のものさしと巻き尺に与えられるハンムラビ王が彫られている。ハンムラビ法典上部レリーフ

メートル法の誕生

 計量単位は各地方で必要に応じて生み出され、徴税のため、経済発展するため、或いは権威保持のため統一が図られました。しかし、一旦定着して慣習化した単位の変更は困難で、統一されては復活することが繰り返されました。

 ただ、各単位の基準には正確性・再現性に欠けるものが多くフィート=足一つ分の長さ・ノット=28秒砂時計の砂が全て落ちる前に出来る、等間隔のロープの結び目【ノット】を基準とする速さ・ポンド=パンにして焼くと1日分になる大麦の量etc)、1838年に行なわれた調査では、フィートだけで37種類液体の体積を計量する単位については70種類もあったそうです。この状態では国家間や地域間の取引においてその都度換算する手間がかかり、トラブルの種となっていました。特に産業革命が起って人間の行動範囲が広くなり、世界中で商取引等が行われるようになると、単位の不統一が大きな問題となり、合理的な計量単位を求める機運が高まっていきました。

 これに応えたのが革命後のフランスで、1790年にタレーランの提案により、世界中に様々ある長さの単位を統一し、新しい単位を創設することが決議されました。そして1791年、ダンケルク(フランス最北端)からスペインのバルセロナの距離を経線に沿って測定し、その値を元にして計算が行われた地球の北極点から赤道までの子午線上の距離の「1000万分の1」として定義される、新たな長さの単位「メートル」が決定されました。さらに、このメートルを基準として1立方デシメートル(=1,000立方センチメートル)の水の質量を1キログラムと定めました。他に、面積の単位としてアール(100平方メートル)、体積の単位として乾量用のステール(1立方メートル)と液量用のリットル(1立方デシメートル)も誕生しました。 (なお、精密性・普遍性を求めて現在、国際的に認められている基本単位の多くは、光速cやニュートンの重力定数Gのように宇宙のいたるところで常に同じ値をとるとされている 自然定数 を用いたものを根拠とする定義に移っています。)

 これらメートル法は、度量衡の単位の統一に悩むフランス以外の国家でも注目されるようになり、1875年メートル法を導入するため、各国が協力して努力するという主旨メートル条約が締結されました。

白金90%、イリジウム10%の合金製。現在は使用されていないが、日本国メートル原器は、現在もつくば市にある産業技術総合研究所・計量表総合センターに保管され重要文化財に指定されている。メートル原器

日本の計量史

日本では、古くから中国発祥の尺貫法による計量単位や計量器を使用していて、計量制度も唐の律令制度を手本に701年に制定した大宝律令度量衡制度を定めたのが始まりです。手を広げたときの親指の先から中指の先までの長さを単位とする“尺”両手で掬った量を基準とする体積の単位“升”、金銭を束ねる道具「銭貫」で束ねられた銭1,000枚分を基準とする重さの単位“貫”を用いて規制するこの制度は、国家の根幹となる租税・貨幣・土地制度などの確立のため、計量の基準を定める必要性から制定されました。この後、地方によって基準がバラバラとなり豊臣秀吉太閤検地の際など何度かの改正を経ましたが、江戸時代までは基本的にこの度量衡制度に基づき計量行政が実施されました。

 明治維新を迎え、西洋技術の導入による変革の時代に至ったとき、西洋の計測単位を導入する必要が生じました。ちょうどそのころメートル条約が締結され、日本も1885年(明治18年)条約に加入しました。1889年(明治22年)メートル原器の交付を受け、1891年(明治24年)に施行された度量衡法尺貫法、ヤードポンド法と併用する形でメートル法が導入され、1921年(大正10年)の度量衡法でメートル法に統一が図られました。

 しかし、民間では尺貫法が根強く残り、特に戦後の闇市等の影響で復活するようになりました。そこで、計量の秩序を回復すべく1951年(昭和26年)計量法が制定されたのです。その後、1966年(昭和41年)に「法体系の合理化・簡素化、消費者保護を主眼とした適正計量の確保、電気測定法と計量法の統一」のための改正が行われ、次いで「計量器の規制の見直し、計量標準認証制度(トレーサビリティ制度)の創設、計量単位への国際単位系(S I)の全面導入」を骨格とした改正が1993年(平成5年)より施行され、現在に至ります。

1升は約1.804リットル。但し、元々は升の単位に合うよう一升枡が作られたのではなく、一升枡で量った体積を1升と呼んでいた。一升枡

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