古墳単語帳
更新日:2018年8月20日
気になった言葉があれば確認してみましょう。
濠
掘った土を積み上げたものが墳丘、掘ったところが濠になります。古市古墳群の津堂城山古墳では、濠の中に小さな島があり、水鳥形埴輪が置かれていました。水鳥形埴輪は、下から1mほどのところに置かれていたので、当時はそれぐらいの深さだったのかもしれません。
濠の形は、古墳の形になるものや、長方形の一つの短辺だけが丸くなるもの、馬のひずめのような形になるものなど、古墳が造られた時期や形によって違います。
前方部と後円部
前方部は、前方後円墳の四角いところ。古墳時代の中で形が変わっていき、徐々に高さが高く、幅が広くなっていきます。前方部に埋葬施設が造られる場合もあり、主な被葬者と近い関係にあった人ではないかと考えられています。
後円部は、前方後円墳の丸いところ。後円部に埋葬された人がその古墳の主だと考えられます。古墳によっては、後円部に複数の埋葬施設を持つものもあります。
前方後円墳という言葉は、江戸時代の学者であった蒲生君平さんが、古墳を昔の車(牛車)の形だと考えてつけた名前です。牛が引くほうが前、人が乗る部分が後ろだと考えましたが、古墳時代にこのような車はないため、今の研究では、古墳の形の起源とは言えません。
造り出し
前方後円墳であれば、前方部と後円部の境目にある飛び出た部分、円墳や方墳はそれぞれの古墳につく四角い部分です。
家や道具の埴輪や、食器・食べ物を土で作ったもの、甕などが置かれることが多く、お祀りをした場所ではないかと考えられています。
被葬者
亡くなって埋葬された人のことです。1つの古墳に1人とは限らず、複数の被葬者がいると考えられる古墳もあります。
古市古墳群
羽曳野市・藤井寺市にまたがる古墳群です。日本で2番目に大きな、応神天皇陵古墳があります。百舌鳥古墳群とほぼ同じ時期に造られ、大きな古墳は古市古墳群と百舌鳥古墳群で交互に造られました。この2つの古墳群がどのような関係だったのかは様々な議論があります。
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