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陶器千塚29号墳

更新日:2022年1月27日

須恵器生産に関わった人達の古墳

 「陶器千塚」(とうきせんづか)は市域南部の東山、陶器北、辻之の標高50から60メートルの丘陵地帯に位置する古墳時代後期の群集墳です。かつて60数基あったようですが、開墾や耕地整理などで次々とその姿を消し、いまでは大阪府の史跡に指定されている全長30メートルの前方後円墳「御坊山古墳」と半壊状態の小さな円墳が数基残るのみです。

 今回紹介する29号墳は、御坊山古墳の南20メートルにあり、昭和56年(1981)に精華学園のテニスコート整備にともない事前に発掘調査を実施した、直径10メートル前後の円墳です。埋葬の主体は「横穴式木芯粘土室」(よこあなしきもくしんねんどしつ)という特殊な構造で、さらに追葬時に須恵器の円筒棺という例のない棺を使用していました。
 「粘土室」の構造は、墓壙掘削後内部に周溝を巡らせ、そこに丸太材を約15センチメートル間隔で立て並べ、白色粘土で分厚く巻いていたようです。丸太材は垂直に立っていたことから玄室の構造は合掌式ではないと考えられています。玄室の規模は、幅約1.5メートル、残存する長さ約3メートル。床一面に径3から10センチメートルの円礫が敷かれ、一部には須恵器片も用いられていました。

 玄室からは須恵器円筒棺1・杯身7・杯蓋4・提瓶1・器台1・はそう1・長頸壺1、その他銅芯銀張耳環1対・ガラス玉49・土玉1・鉄鏃1が出土しました。杯・提瓶・器台が円筒棺の下から出土し、長頸壺との時期差がみられることから、最初は木棺が次に円筒棺が追葬されたと考えられます。円筒棺は全長110センチメートル、上部径21センチメートル、下部径26から34センチメートル、上端から20センチメートル下に凸帯が巡り、内面は同心円文、外面は格子目風のタタキで成形されていました。

 この横穴式木芯粘土室の分布は、東は埼玉、西は兵庫と30数例が知られていますが、府下では12例のうち、10例が堺市と和泉市に集中し、泉北丘陵を中心に展開する陶邑窯跡群内やその縁辺に位置しています。また、その内4例は埋葬後粘土室に火をかけて、遺骸を焼いたことが知られています。(カマド塚と呼称します。)
 追葬の機能を持つ窯のような構造の「横穴式木芯粘土室」の採用や須恵器円筒棺の使用は、須恵器生産に密接にかかわった人が葬られた古墳であるといえますし、やはり「陶邑窯跡群」ならではの存在です。
 なお、29号墳は精華学園の校内に保存されています。詳しくは下記の報告書をご参照下さい。

参考文献

昭和58年度国庫補助事業発掘調査報告書 『四ッ池遺跡・陶器千塚29号墳』 昭和59年3月31日
堺市文化財調査報告第25集 『平井遺跡』 附陶器千塚29号墳発掘調査報告書 昭和61年3月31日

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