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時を旅する鳥が見たある日の堺/高学年向け

更新日:2016年2月5日

みんなでつくった☆ななつのものがたり

プロローグ

 鳥は金色にきらめく翼(つばさ)を広げ、ゆったりと空を舞(ま)っていました。はるか下に見えるのは、お侍(さむらい)さんがいた時代の堺(さかい)の町。
目じるしのように大きな古墳(こふん)が横たわっています。その丘(おか)は遠い昔の帝(みかど)のお墓(はか)だと当時の人々は伝え聞いていますが、丸と台形を組み合わせた鍵穴(かぎあな)のような形をしていることは、まだ知られていません。
 誰(だれ)も古墳(こふん)を上から見たことがないのです。飛行機も高層(こうそう)ビルもなかった時代。もちろんテレビやスマホどころかラジオも電話もまだ生まれていません。

 季節は夏の終わり。今日は年に一度の「住吉(すみよし)さんの祭礼」の日。北の住吉(すみよし)大社を出た行列が、南にある堺(さかい)の町へやって来ました。厳(きび)しい夏を乗り越え、この先の一年も家族が無事に過(す)ごせることを祈(いの)って、色とりどりの装束(しょうぞく)をまとった町人たちがねり歩いています。先頭では、住吉(すみよし)さんのお使いのうさぎが、跳(は)ねながら道案内をしていることでしょう。
鳥には、不思議な力がありました。

人間が頭の中で考えていることが、声に出した言葉のように聞こえるのです。何千年もの時を旅している間に、いつの間にか身についた力でした。地上をねり歩く町人たちの心の声が、空を飛ぶ鳥の心に次々と飛び込んできました。

志家野(しけの)志家男(しけお)ものがたり

「あーあ。このまま立派(りっぱ)な侍大将(さむらいだいしょう)になって、殿(との)様まで上り詰(つ)めたいものだな」
声のほうへ鳥が目をやると、武将姿(ぶしょうすがた)の男が橋を渡(わた)ろうとしていました。
男の名は志家野志家男(しけのしけお)。
年は二十五になったところ。まだ独(ひと)り者で、親のすねをかじっています。殿(との)様になりたいなどと言いながら、志家男(しけお)は何の努力もしていません。面倒(めんどう)くさがりやなのです。
 結婚(けっこん)したい気持ちはありますが、お嫁(よめ)さんを探すのは面倒(めんどう)です。女の人にちやほやされたい気持ちは、もちろんあります。でも、声をかけるのは面倒だし、そんな勇気もありません。

 そんな志家男(しけお)ですが、行列に加わる前に通りかかった糸屋の看板娘(かんばんむすめ)に、「おはようさん」と声をかけました。今日は武将(ぶしょう)のかっこうをしているので、ちょっぴり気が大きくなったのです。「堺(さかい)小町」と呼ばれるほどの器量良しのお嬢(じょう)さんは、桜(さくら)色の唇(くちびる)を小さく動かして、「おはようございます、侍大将(さむらいだいしょう)さん」とほほ笑んでくれました。
 自分だけのために向けられた笑顔に、志家男(しけお)はすっかりいい気分になって、「今度、俺(おれ)と二人きりで出かけようや」と誘(さそ)うと、「いいわよ、侍大将(さむらいだいしょう)さん」とお嬢(じょう)さんは大きな瞳(ひとみ)をうるませて言いました。
 待ち合わせの時間と場所を約束して別れましたが、今日と同じかっこうをして行かなければ、糸屋のお嬢(じょう)さんはがっかりするでしょう。そんなわけで志家男(しけお)は「このまま立派(りっぱ)な侍大将(さむらいだいしょう)になりたい」などと思っているのです。

 けれども、志家男(しけお)はどうしようもない意気地なしでした。近づいて来た野良犬にびっくりして大声を出したために、犬は興奮(こうふん)してしまい、志家男(しけお)に飛びかかってきました。立派(りっぱ)な装束(しょうぞく)のすそが犬に噛(か)みつかれ、振(ふ)り回され、千切れてしまいました。
 「これって殿(との)様にお借りしている大切な装束(しょうぞく)とちゃうんやろか。どないしよ」
と志家男(しけお)は青ざめました。その一方で、「祭礼の列に飛びかかってきた野良犬を追い払(はら)おうとして装束(しょうぞく)が破れた、いうことにしたらどうやろ。殿(との)様に気に入られて、お城(しろ)で働かせてもらえんやろか」とずるい考えも頭に浮(う)かぶのでした。
 「ついでに殿(との)様の娘が嫁(よめ)さんになってくれたら、一生ラクできるなあ」
そんなことばかり考えている志家男(しけお)に、鳥は「しっかりせんかい」と言ってやりたくなりましたが、人の心の声は聞けても、自分の声を届(とど)けることはできないのでした。

弦鶴男(つるつるお)ものがたり

 志家男(しけお)より少し前を行く武将姿(ぶしょうすがた)の男は、こんなことを考えています。
「ああ、うどん食いたいなあ。長い行列よりも長いうどん。うどんうどん、うどん食いたい」
 頭の中でうどんが渦巻(うずま)いている男は、弦鶴男(つるつるお)です。名前の響(ひび)きの通り、つるつる食べられるうどんが大好きです。
 ひまさえあれば、つるつるとうどんを食べているので、近所の人たちには「つるつるさん」と呼(よ)ばれています。

 つるつるさんの年は「百七十才」といううわさです。ほんとうは七十才ですが、肌(はだ)はつるつるで、五十才くらいにしか見えません。
「うどんを食べると長生きするらしいで」
「つるつるさん見てみいや。ぜんぜん年取らへん」
「あれでもう百才こえてるらしいで」
 うわさ話にどんどん尾(お)ひれがついて、いつの間にか、「つるつるさんは、うどんのおかげで百七十才」ということになったようです。
 「子どもは百二十九人」いるといううわさです。
本当は「子どもは九人」で「孫が四十人、ひ孫が八十人」、「全部合わせて百二十九人」なのですが、うどんの力で子宝に恵(めぐ)まれているといううわさに尾(お)ひれがついて、子どもの数があれよあれよとふえていったのでした。
 たしかに、つるつるさんの足腰(こし)は、人並(な)み外れて丈夫(じょうぶ)です。行列をねり歩く町人の中には、若(わか)者でも疲(つか)れた顔をした者がいますが、つるつるさんは、しっかりした力強い足取りです。この足でうどんを踏(ふ)んだら、さぞかし、こしのあるうどんができるでしょう。
 頭の中もシャンとしていて、うどんのことを考え続けています。
「この後、何うどん食べよかな。やっぱし、きつねにしよか。いやいや、肉うどんにしよか。冷やしうどんがええな。すだちをきゅっとしぼって、つるつるっと食べよか。そうしよそうしよ」
 うどんのことを考えていると、足取りが軽くなります。物思いにふけって歩みがのろくなっている前の男を追い越(こ)し、つるつるさんはずんずん進んでいきました。

 その後ろ姿(すがた)を見て、
「つるつるさん、元気やわあ」
「あの人、もう二百才らしいで」
「子どもも二百人おるらしいで」
と町人たちがうわさしています。
 つるつるさんの長生き伝説は、うどんのように長く長く伸(の)びていくのでした。

著津波亜(ちょっぱー)ものがたり

 つるつるさんが追い抜(ぬ)かしたのは、武将姿(ぶしょうすがた)の大男でした。その男からは、物騒(ぶっそう)な心の声が聞こえてきました。
 「朝起きて、蝦夷(えぞ)から堺(さかい)まで歩いて来たので、腹(はら)が減(へ)った。人間を食いたいな。どの人間を食うとしようか」
 鳥は驚(おどろ)いて、鎧(よろい)かぶとをまとった男をじっと観察しました。たしかに体つきは立派(りっぱ)ですし、体力もありそうです。とはいえ、北の果ての蝦夷(えぞ)から堺(さかい)まで歩いて来られるはずはありません。第一、 人間を取って食おうなんて、おだやかではありません。まさか、住吉(よし)さんの祭礼に人食い男が紛(まぎ)れ込(こ)んでいたとは。しかし、かぶとに囲まれた顔に目を凝(こ)らすと、その顔に見覚えがありました。                      
瓦版(かわらばん)という読み物を書いている著津波亜(ちょっぱー)でした。

 著津波亜(ちょっぱー)は行列をねり歩きながら、次に出す物語を考えているのでした。
「ああ良かった、お話に出てくる人食い男の心の声だったのか」と鳥はほっとしました。
 著津波亜(ちょっぱー)の瓦版(かわらばん)が評判(ひょうばん)になったといううわさは、まだ聞いたことがありません。だからこそ、次はうんと面白いものを書いて世間を驚(おどろ)かせてやりたいのでしょう。しかし、人間を取って食う男の話が面白いのでしょうか。人間ではない鳥にはよくわかりません。

 そんなことを鳥が考えている間も、著津波亜(ちょっぱー)の心の声は続いています。
「どの人間がうまそうかな。男のほうが食べごたえがありそうだな。よし、あの男を食ってやろう」
 著津波亜(ちょっぱー)は前を行く武将姿(ぶしょうすがた)の男に狙(ねら)いを定め、火縄銃(なわじゅう)を構(かま)えました。どうやらすっかり人食い男になりきっているようです。
 前を行く男とは、先ほど著津波亜(ちょっぱー)を追い越(こ)して行ったつるつるさんです。火縄銃(なわじゅう)は武将(ぶしょう)の装束(しょうぞく)の一部ですから、火を噴(ふ)くことはもちろんありません。けれど、あの固い銃(じゅう)身で後ろから殴(なぐ)りつけられたら、つるつるさんは大けがをしてしまうことでしょう。打ち所が悪ければ、命を落としてしまうかもしれません。そうなったら、二百才の長生きで二百人の子どもがいるというつるつるさんの伝説も終わってしまいます。
 何より、せっかくの住吉(すみよし)さんの祭礼がめちゃくちゃになってしまいます。何とかしなくてはと鳥は焦(あせ)りましたが、金色に輝(かがや)く鳥が地上へ降(お)り立ってしまっては、それこそ大騒(さわ)ぎになってしまいます。
 「こうなったら仕方がない」と鳥は覚悟(かくご)を決めました。

 ぽちゃん。著津波亜(ちょっぱー)の頭の上に生温かくてやわらかい何かが落ちました。
「わ、なんやなんや」
火縄銃(なわじゅう)を構(かま)えていた手をあわてて頭にやると、ねっとりとした感触(しょく)がありました。その手を見て、著津波亜(ちょっぱー)は情(なさ)けない声を出しました。
「うっわー。鳥の糞(ふん)やー」
 鳥の落とし物で著津波亜(ちょっぱー)は現(げん)実に引き戻(もど)されました。こうして、つるつるさんの無事と長生き伝説は守られたのでした。
「物書きというのは、現(げん)実と想像(ぞう)の境(さかい)い目が見えなくなるほど、自分の考えた世界に入り込(こ)んでしまうものなのだなあ」
鳥があきれながら感心していると、
「あれ? なんやなんや、ええっ、どうなってるんや」
著津波亜(ちょっぱー)の戸惑(まど)った心の声が聞こえてきました。手にべっとりとついた鳥の糞(ふん)が金色の粉になって、風にさらわれて行ったのです。著津波亜(ちょっぱー)はあっけに取られたように金色の粉の行方を見つめていました。もしかしたら、次に彼(かれ)が出す瓦版(かわらばん)には、不思議な鳥の糞(ふん)が登場するかもしれません。人食い男の話よりは面白そうだと鳥は思いました。

ピリオド・マネー・ドル・ユーロものがたり

 「もういい加減(げん)にしてほしい。何度言わせるんだ」行列の中から、いらだった女の心の声が聞こえました。ぎすぎすしていて、言葉が突(つ)き刺(さ)さるようなしゃべり方です。「何もかもが思い通りに行かない。娘は言うことを聞かないし、娘(むすめ)の便秘は治らないし、私(わたし)の肥(ひ)満も治らない」後ろからとぼとぼとついて来るのは、彼(かの)女の娘(むすめ)のようです。娘(むすめ)に八つ当たりしているのでしょうか。

 「ああやだやだくたびれた。何もかもにくたびれた。こんなに歩かされて、出会いもないし、やせないし、一ドルももらえないなんて、くたびれ損(ぞん)だ」どうやら歩き疲(つか)れて、頭の中で毒づいているようです。お金にならない無駄(だ)なことは、したくないのでしょう。でも、ドルというのは、アメリカという国のお金の単位です。彼(かの)女の名はピリオド・マネー・ドル・ユーロ。たいそう風変わりな名前ですが、考えていることも変わっています。
 「ああおなかがぺこぺこだ。黒毛和牛のサーロインステーキを食べたい。四百グラムだって、ぺろりと平らげられる」
 いらいらしているのは、おなかがすいているせいでしょうか。でも、この時代、牛の肉を食べる習慣(かん)はありませんでした。サーロインステーキという言葉を堺(さかい)の町人たちが知るようになるのは、ずっと後の時代です。もしかしたら、彼(かの)女にも、時を旅する力があるのかもしれません。鳥は興味を覚えて、彼(かの)女の次の言葉を待ちました。
 「アカガミがなんだ。ミカドに抗(こう)議してやる」
 アカガミというのは、何百年も後の世界大戦中に戦地へ送り出されることになった男の人に届(とど)けられたあの赤紙のことでしょうか。けれど、ピリオド・マネー・ドル・ユーロは女です。女の人に赤紙が来たという話は、聞いたことがありません。だとすると、彼(かの)女が言っているアカガミは、戦争とは関係がないのでしょうか。それとも、鳥のまだ知らない時代には、女の人も戦争に行かなくてはならなくなるのでしょうか。ミカドというのも、鳥が知っている帝(みかど)のことなのか、それとも違(ちが)うのか、鳥にはわかりません。ただひとつわかるのは、彼(かの)女が「アカガミ」が来たことに腹を立て、「ミカド」に文句(く)を言いに行こうとしていることです。
 「アカガミのせいで、今日はとんだ一日だ。やっぱり黒毛和牛のサーロインステーキは四百グラムじゃ足りない、八百グラム食ってやろう。金はいくらだってあるんだ。お金を出して、かくまってもらったっていい。あんな国のために命を取られるなんて、まっぴらごめんだ」
 ピリオド・マネー・ドル・ユーロの心の声は怒(いか)り続けています。

 アカガミはやはり戦争と関係があるようです。それは海の向こうのどこかの国の戦争のようです。彼(かの)女は、その国の人なのかもしれません。とすると、ミカドというのは、その国の高貴(き)な人のことなのでしょうか。
「戦争なんかに行ったら、黒毛和牛が食べられなくなるじゃないか。冗(じょう)談じゃない。アカガミなんか破(やぶ)り捨(す)ててやる。私(わたし)は自由だ」
 ピリオド・マネー・ドル・ユーロが怒(おこ)っているのが、いつの時代のどこの国の戦争のことなのかはわかりません。でも、いつの時代でも、どこにいても、好きなものをおなかいっぱい食べられるのが平和ってことなのだなあと鳥は思いました。

お育ものがたり

 祭礼を見物する人たちの心の声も、鳥の心に飛び込(こ)んできます。
 「どんな着物がええやろか」
声の主は、近くの反物屋で働いているお育です。
お育は、子どもの頃(ころ)から絵を描(か)くのが得意でした。その腕(うで)を磨(みが)いて、反物の絵柄(がら)を考える絵描(か)きになったのです。桜(さくら)や梅や藤(ふじ)。月や鳥。お育が絵に描(か)いた通りに、機(はた)織(お)り職(しょく)人が糸を織(お)り合わせ、美しい反物に仕上げます。
 お育の考える絵柄(がら)は、お店でもたいそうな評判(ひょうばん)でした。次から次へと注文が舞(ま)い込(こ)み、休むひまもありません。お育は、誰(だれ)よりもよく働きました。病気で働けない夫に代わって、お育が一家の大黒柱なのでした。

 通り過(す)ぎる行列を熱心なまなざしで見つめているのは、仕事のためでしょうか。いいえ、別な理由があるのです。
 今着ている着物の絵柄もお育が考えたものですが、着物はお育の物ではありません。
「お祭りの行列を見に行くんやったら、ええ着物着て行き」
と反物屋のおかみさんが貸(か)してくれたのです。そのとき、おかみさんが、ふと思い出したように言いました。
 「お優(ゆ)美ちゃんにきれいなおべべこさえたり。反物代と仕立て代は、うちからのお祝いや」
 お育の娘(むすめ)のお優(ゆ)美は、十歳(さい)になったばかり。お育が反物屋へ働きに出ている間、食事を作ったり、掃除(そうじ)をしたり、妹や弟の面倒を見たり、働き者で心やさしい女の子です。お祝いをしてやりたいけれど、そんな余裕(よゆう)はないし,とお育が困(こま)っていたのを、おかみさんは気づいていたのかもしれません。自分が考えた絵柄(がら)の反物で、娘(むすめ)に着物を作ってやれる。涙(なみだ)が出そうなほどありがたい計らいでした。

 それからずっと、お育は娘(むすめ)に着せる着物の絵柄(がら)を思いめぐらせているのです。行列をねり歩く様々な装束(しょうぞく)を見ながら、
「あの色は好きやけど、子どもには派手(はで)やなあ」
「あの柄は、お優(ゆ)美には似(に)合わんかなあ」
いつもはどんどん絵柄(がら)が思いつくというのに、なかなか考えがまとまりません。
「あの子は、どんな柄(がら)が好きなんやろ」お育はお優(ゆ)美の顔を思い浮かべました。
 お育は家に仕事を持ち帰ることも少なくありません。夫と四人の子どもたちの夕飯を作り、子どもたちの着物を繕(つくろ)い、子どもたちを寝(ね)かしつけた後、お育は一人、行灯(あんどん)の灯りを頼(たよ)りに絵筆を走らせ、反物の絵柄(がら)を描(か)きます。時々、お優(ゆ)美が布団(ふとん)から出てきて、横からのぞきこみます。
「お母さんの描(か)く絵は、ほんまにええなあ」
お優(ゆ)美も絵(か)を描くのが大好きなのです。顔つきだけでなく、好きなことも、幼い頃(ころ)のお育によく似(に)ています。
 「どうやったら、お母さんみたいに描(か)けるようになるん?」とお優(ゆ)美に聞かれると、「毎日描(か)いていたら、どんどん上手になるんや」とお育は答えます。
「わたしも大きくなったら、おべべの絵柄(がら)考える人になりたい」とお優(ゆ)美が言ったことがあったなとお育は思い出しました。
 「そうや。お優(ゆ)美に描(か)かせたろ」
いいことを思いついて、お育の顔がぱあっと明るくなりました。自分の描(か)いた絵が反物になり、それが着物になる。絵が大好きなお優(ゆ)美への、何よりのお祝いになりそうです。
 お育は、早くお優(ゆ)美に伝えたくて、急ぎ足で家へ向かいました。おかみさんに借りた上等な着物のすそがはだけないように気をつけながら。
 どんな絵柄(がら)の反物ができるのだろう。その頃(ころ)にまた見に来ようと鳥は思いました。

五右衛門(ごえもん)ものがたり

 行列からさらに離(はな)れた場所から、男の心の声が聞こえてきました。
「あーあ。家に帰りたないなあ。どこで時間つぶそか」
浮(う)かない顔をしている男は五右衛門(ごえもん)といいます。
 朝、家を出るとき、子どもたちと言い争ったことを思い出しているのです。子どもたちはお父さんに遊んでほしくて、「お父ちゃん行かんといて」と五右衛門(ごえもん)の着物の袖(そで)をつかんで引き止めました。
 「年に一度の大事な住(すみ)吉(よし)さんの祭礼なんや」と五右衛門(ごえもん)が振(ふ)り払(はら)うと、「お父ちゃん、お酒飲みたいだけやろ」と長男の太郎(ろう)が言いました。

 「アホなこと言いなや。住吉(すみよし)さんのバチが当たるで」
五右衛門(ごえもん)は思わず太郎(ろう)を突(つ)き飛ばしました。太郎(ろう)の小さな体は吹(ふ)っ飛び、床(ゆか)にしりもちをつきました。
「お父ちゃんのアホ。お父ちゃんなんか嫌いや」
太郎(ろう)が泣きながら言うと、弟の二郎(ろう)と三郎(ろう)も「お父ちゃんなんか嫌(きら)いや、嫌(きら)いや」とわめきました。
 あんまり騒(さわが)がしいので、奥(おく)の部屋で赤ん坊(ぼう)の四郎(ろう)におっぱいをあげていた女房(にょうぼう)のお千代が出て来て、
「もうあんた、出かけるんやったらはよ行き」と五右衛門(ごえもん)を追い立てました。
「ああ行ったる行ったる」と五右衛門(ごえもん)は怒りながら出て行きました。
「お父ちゃん、帰って来んかてええで」と太郎(ろう)の声が背(せ)中に突(つ)き刺(さ)さりました。
 五右衛門(ごえもん)が足もとの石ころを思いっきり蹴(け)ると、下駄(た)から飛び出した小指が石ころの角に当たり、足袋(たび)に血がにじみました。まったく、踏(ふ)んだり蹴(け)ったりとはこのことです。

 「太郎(ろう)があんなこと言うからや。親を大酒飲み呼(よ)ばわりしやがって」五右衛門(ごえもん)の心の声はぼやき続けます。
 太郎(ろう)を思わず突(つ)き飛ばしたのは、太郎(ろう)の言ったことが当たっていたからでした。たしかに、五右衛門(ごえもん)は祭礼の後に飲むお酒が楽しみだったのです。長い長い道のりをねり歩いた町人たちに「今年もありがとう。来年もよろしく」とふるまわれるお酒のおいしいこと。
それを目当てに五右衛門(ごえもん)は毎年行列に加わっていたのでした。
 けれど、五右衛門(ごえもん)は今年の行列には加わりませんでした。こんな浮(う)かない顔でねり歩いたら、住吉(すみよし)さんのバチが当たりそうな気がしたのでした。そのかわり神社に立ち寄(よ)って、家族の無事と安全を願うお守りを買いました。これを持って帰って、子どもたちと仲直りしようと思ったのです。
 少し気持ちが軽くなった五右衛門(ごえもん)は、大好きなお酒を飲みました。ところが、お酒を飲むと、また朝のことがいまいましく思い出されて、
「アホたれ。俺(おれ)はこんなに家族のことを考えたってんのに、あいつら、なーんもわかってへん。だいたい、女房(にょうぼう)があいつらを甘やかすからや」と妻(つま)への不満まで飛び出して、ちょいと一杯だけのつもりが二杯、三杯……。
 おや、せっかく買ったおまもりが、足もとに落ちてしまっています。五右衛門(ごえもん)はお守りを落としたことに気づかず、ぶつくさ文句(く)を言い続けています。こんな調子で家に帰ったら、仲直りどころか、またもめてしまいそうです。鳥は落としものを教えてあげたい気持ちにかられましたが、それはできません。心の声は人間から鳥への一方通行なのです。

日世輪酒太郎(ひよわさけたろう)ものがたり

 今度はどこかの家の庭先から男の心の声が聞こえてきました。
 「なんでわかってくれへんのやろ」
神社に納(おさ)める鯉(こい)をたらいで洗(あら)いながら、暗い顔をしている男は、日世輪酒太郎(ひよわさけたろう)。その名の通り、ひ弱で気が弱く、酒の力を借りなければ言いたいことも言えません。

 女房(にょうぼう)のお熊は、酒太郎(さけたろう)よりも体が大きく、声も大きく、熊(くま)が襲(おそ)いかかってきたら素(す)手で倒(たお)してしまいそうな強い女です。酒太郎(さけたろう)は結婚したときからずっとお熊(くま)の尻(しり)に敷(し)かれっぱなしです。けれど、酒太郎(さけたろう)は、そんなお熊(くま)のことが大好きなのです。お熊(くま)の太い腕(うで)も、力士のような立派(りっぱ)な腹(はら)も、地響(ひび)きを立てる勇ましい歩き方も、酒太郎には頼(たの)もしく、まぶしいばかりでした。
 「割(わ)れ鍋(なべ)に綴(と)じ蓋(ぶた)。俺(おれ)とお熊(くま)は似(に)合いの夫婦(ふうふ)や」
口に出したことはありませんが、一生お熊(くま)について行こうと誓(ちか)っていました。
 お熊(くま)が地鳴りのようないびきをかいて眠(ねむ)るそばで、月を見上げて酒を飲む時間が、酒太郎(さけたろう)は幸せでした。
 ところが、昨晩(ばん)のこと。いつものように酒太郎(さけたろう)が一人で酒を飲みはじめると、お熊(くま)が突然(とつぜん)ばっと起きて、酒太郎を背(せ)負い投げしました。そして、驚(おどろ)きと痛(いた)みで何も言えない酒太郎に言い放ったのです。
 「あんた、浮(うわ)気してるやろっ」
酒太郎(さけたろう)には、まったく身に覚えのないことでした。畳(たたみ)に打ちつけられた背(せ)中をさすりながら、「浮(うわ)気なんか、してへん」と消え入りそうな声で言い返しましたが、お熊(くま)は信じてくれません。「嘘(うそ)や。若(わか)い女とこっそり会ってたやろっ。このことは内緒(しょ)やでってうれしそうに話してたやんっ」すごみのあるお熊(くま)の大声に障子(しょうじ)の紙が震(ふる)え、酒太郎(さけたろう)も震(ふる)え上がりました。きっとお熊(くま)は変な夢(ゆめ)を見たのだろうと酒太郎(さけたろう)は思いました。朝になったら、けろりと忘(わす)れているに違(ちが)いありません。

 ところが、夜が明けてもお熊(くま)はまだ怒(おこ)っていて、朝ごはんは、たくあん二切れだけでした。
「浮(うわ)気なんか……そんな怖(こわ)いことできるわけないやろ」
痛(いた)む腕(うで)を動かしながら、酒太郎(さけたろう)は鯉(こい)を洗(あら)います。
 昨夜お熊(くま)に投げ飛ばされた痛(いた)みが体のあちこちに残り、動かすたびに悲鳴を上げます。
 骨(ほね)が折れてなかっただけまだ良かった、と酒太郎(さけたろう)は思いました。一番傷(きず)ついているのは、腕(うで)でも背(せ)中でもなく、心でした。
「若(わか)い女なんか知らん。言いがかりもええとこや。女房(にょうぼう)に内緒(しょ)なんか……」
ふと酒太郎(さけたろう)は手を止めました。
「もしかしたら……」
その若(わか)い女というのは、神社の巫女(みこ)さんのことではないかと思い当たったのです。

 三日ほど前のことです。神社に納(おさ)める鯉(こい)をさばいたときに出る骨や内臓(ぞう)などの「あら」を特別に持ち帰っても良いと巫女(みこ)さんが酒太郎(さけたろう)に伝えに来たことがありました。酒太郎(さけたろう)はお熊(くま)を驚(おどろ)かせて喜ばせてやろうと思い、このことは内緒(しょ)にと巫女(みこ)さんに言いました。
そのやりとりをたまたまお熊(くま)が見ていたのではないだろうか……。
 「なんや、それやったら、鯉(こい)のあらをお熊(くま)に見せて、お前の思い過ごしやて言えば済(す)む話や」
そう思って、酒太郎(さけたろう)はほっとした顔になりました。
「それにしても、お熊(くま)のやつ、俺(おれ)を投げ飛ばすほど焼き餅(もち)焼いとったとはなあ。あいつも俺(おれ)にべた惚(ぼ)れなんやなあ」
 酒太郎(さけたろう)はにやにやしながら鯉(こい)を洗(あら)いました。そんなに力を込めたら鱗(うろこ)がはがれ落ちてしまうのではと鳥ははらはらしながらも、酒太郎(さけたろう)につられて、にやにやしてしまいました。

 ひ弱な男と、熊(くま)のように強い女。そんな似(に)合いの夫(ふうふ)婦もあるのだな、人間って面白いなと鳥は思いました。

エピローグ

 祭礼の中から外から、いろんな人間の心の声が、ひっきりなしに聞こえてきます。まだまだ聞いてみたい気持ちはありますが、鳥は疲(つか)れてきました。体力を使いきってしまう前に、寝床(ねどこ)へ帰ったほうが良さそうです。鳥は何百年も彼方(かなた)の堺(さかい)の町を目指して、金色の羽根を羽ばたかせました。
 建物が空へ向かって伸(の)び、舗装(ほそう)された道を自動車が行き交うのが見えてきました。
 遠い昔の帝(みかど)が眠(ねむ)ると言われる古墳(ふん)には、新しい木々が植えられ、美しい森が形作られています。
 そこは、反物屋のお育や酒飲みの五右衛門(ごえもん)の孫の孫の孫たちが暮(く)らす今の堺(さかい)の町です。ひ弱な酒太郎(さけたろう)と強いお熊(くま)夫婦(ふうふ)の孫たちも暮(く)らしています。うどんを食べて長生きのつるつるさんの孫たちは何人になったのでしょう。面倒(めんどう)くさがりやの志家男(しけお)が結婚(けっこん)できたどうかかはわかりません。ピリオド・マネー・ドル・ユーロが戦争へ行かずに済(す)んだのかはわかりません。著津波亜(ちょっぱー)の瓦版(かわらばん)が一度でも評判(ひょうばん)になったのかどうかはわかりません。
 けれど、鳥が見てきた祭礼の日と今は、たしかにつながっています。あの日から毎日がつながって一年になり、百年になり、西暦(せいれき)二千十五年の今があります。

 そして、「住吉(すみよし)さんの祭礼」は今も受け継(つ)がれています。昔とはいくぶん姿(すがた)を変えていますが、この先一年も家族が無事に過ごせるようにと祈(いの)る人々の気持ちは変わりません。これからも、いつの時代も、変わらないことでしょう。
 建て替(か)えが始まった堺(さかい)市民会館が見えてきました。その前を走る大通りは、フェニックス通りです。七十年前の世界大戦で堺(さかい)の町は大部分が焼けてしまいました。たくさんの人が家族を失い、家を失い、希望を失いました。赤紙で戦争に取られた男の人たちの多くも命を落としました。その後、町の復興(ふっこう)を願って、「不死鳥」を意味するフェニックスの木が町の中心に植えられたのでした。その木の一本に鳥は静かに吸(す)い込(こ)まれていきました。

(おわり)

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