与謝野晶子のふるさと、堺で美し過ぎる装幀に出合う
更新日:2021年5月10日
1901年(明治34年)に『みだれ髪』で、衝撃的な文壇デビューを果たした与謝野晶子。
与謝野晶子をふるさと堺で感じてみませんか?
装幀タワーがキラめく与謝野晶子記念館
生涯を通じて数多く出版された晶子の著書。心を打つ歌もさることながら、装幀の美しさにも定評があるんです。学芸員に、晶子の著書の装幀が展示されている与謝野晶子記念館を案内してもらいました。
芸術の新たな潮流『アール・ヌーボー』への憧れが装幀に
一歩足を踏み入れると、ひときわ目を引く「装幀タワー」がお出迎え! 美術的にも評価の高い晶子の著書が、ライトアップされたタワーに展示され、まばゆいばかりです。「晶子の著書の装幀は、藤島武二、中澤弘光ら、アール・ヌーボーの影響を受けた洋画家たちが手がけています。明治時代、西洋から入ってきた芸術の新たな潮流に、晶子と、夫である寛(与謝野鉄幹)も憧れていたんです」と学芸員。
「自身の著書に、気鋭の作家の芸術を取り入れた晶子。本を出版する際は、主に夫の寛が装幀にもいろいろとリクエストを出していたようです」
「夫の寛をヨーロッパに遊学させるため、晶子は屏風に墨で歌百首を書きつけた『歌百首屏風(複製)』(写真奥)を作って費用を捻出したんだといわれています」
有名な『みだれ髪』の表紙には隠れたメッセージが
展示されている著書は、藤島武二が装幀を手掛けたデビュー作『みだれ髪』から、晶子が半生をかけて取り組んだ「源氏物語の現代語訳『新訳源氏物語』」まで45点。「『みだれ髪』表紙のデザインには、隠された意味があるのをご存じですか? ハートを射ぬいた矢から飛び出している花は“歌”をあらわしています。さらに私は、ハートの下の“三”の文字は“血”を表現したんだと思います」と学芸員。誰もが知る有名な本の装幀には、恋愛の歌で一躍時代の寵児となった晶子ならではのメッセージが込められていたんですね。
時代を超えて愛される~おしゃれな装幀たち~
『みだれ髪』1901年(明治34年)装幀/藤島武二「やは肌のあつき血汐にふれもみで…」など、今も歌い継がれる作品を数多く収録
『恋衣』1950年(明治38年)装幀/中澤弘光 交流のあった歌人・山川登美子、増田雅子との共著
『新訳源氏物語』1912年(明治45年)装幀/中澤弘光晶子の原点ともいえる「源氏物語」全54帖の現代語訳
『巴里より』1914年(大正3年)晶子と寛の共著 装幀/徳永柳洲 晶子と寛がヨーロッパを旅した体験を記した紀行文を収録
童話集『行って参ります』1919年(大正8年)装幀/竹久夢二 少年少女向けの童話集。晶子は絵本や童話作品も数多く出版しました
精緻に復元された生家で少女時代の晶子に思いをはせて
館内では装幀のほか、ほぼ実寸大に再現された、晶子の生家「駿河屋」を見ることもできます。「晶子は店の帳場で、家族が寝静まった夜のわずかな時間を利用して、父親が収集していた源氏物語などの古典文学をよみふけっていたんです」と学芸員。海外の人にこの話をすると驚かれるそうで、「貴族でも富豪でもない、普通の商家の娘が、レジカウンターで1000年前の女性作家が書いた文学を学び、偉大な歌人になったことに感銘を受けられるようです。学ぶことはどこでもできるということを、晶子は教えてくれているのですね」。再現された駿河屋は店先に立つこともできるので、少女時代の晶子に思いをはせてみては?
和菓子屋を営んでいた「駿河屋」。「装幀タワー横に晶子愛用の鏡台が展示されているのですが、そのあたりから見ると、ちょうど当時の紀州街道を歩く人が見た駿河屋の雰囲気を体感できますよ」
晶子が古典文学をよみふけっていた帳場も再現されています
晶子の歌碑・文学碑で堺うためぐり
堺市内を歩くと、あちらこちらで晶子の歌碑・文学碑に出合うことができます。現在計26カ所あり、生家跡や子どものころの遊び場など、いずれも晶子ゆかりの地。ここでは、インスタ映え写真が撮れる歌碑・文学碑5つをピックアップ♪
晶子生家跡
「海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女(をとめ)となりし父母の家」
堺の旧市街地エリアを南北に走る大道筋沿いの生家跡にある歌碑。晶子の旧姓「鳳」にちなみ、鳳凰が羽を広げたようなデザインが特徴。
歌碑の上には、晶子が大好きだったアマリリスの花がデザインされています。
DATA
▼所在地/堺市堺区甲斐町西1-1(阪堺電車宿院電停歩1分)
浅香山緑道
「大和川砂に渡せる板橋を遠くおもへと月見草咲く」
大和川の堤防沿いに延びる浅香山緑道にあるこの歌碑は、市民370人の募金で建てられたもの。歌碑の下には、青く美しい大和川をアユが泳ぐ様子がデザインされています。この緑道では、毎年つつじまつりが開催されていて、5月の見ごろには全長600mの緑道に約2500本が咲き誇る、鮮やかなツツジと一緒に歌碑を撮影できますよ。
DATA
▼堺市堺区香ケ丘町5-1(JR阪和線浅香駅歩7分、南海高野線浅香山駅歩12分)
水野鍛錬所
「住の江や和泉の街の七まちの鍛冶の音きく菜の花の路」
鉄砲鍛冶屋敷など歴史的建造物が多く集まる「七まち」。ここにある水野鍛錬所の先代当主の水野康行さんが、「七まち」という地名が歌われていることから、店舗前に建立。包丁型が目を引く歌碑です。
DATA
▼所在地/堺市堺区桜之町西1-1-27(阪堺電車綾ノ町電停歩5分)
開口神社
「少女(をとめ)たち開口の神の樟の木の若枝(わかえ)さすごとのびて行けかし」
堺観光ボランティア協会が設立20周年の2016年(平成28年)に、子ども時代の晶子の遊び場だったという開口神社の境内に建立。ほほ笑みを浮かべる晶子のレリーフが印象的な歌碑です。同協会によれば、恋愛の歌で知られ、子だくさんでもある晶子にちなみ、「この歌碑の晶子の顔をなでると恋愛成就や安産に御利益がある」という都市伝説もあるとか?
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▼所在地/堺市堺区甲斐町東2-1-29(阪堺電車宿院電停歩5分)
さかい利晶の杜
「君こそは現代の極東に於ける天成の叙情詩人なれ」
さかい利晶の杜の開館記念に建立された「与謝野晶子 寛文学碑」。書見台の上に開かれた本をかたどったフォトジェニックな文学碑には、「君こそは(中略)天成の叙情詩人なれ」(寛)、「日本の歌を(中略)世界の詩の領域にまで引上げたのは此人である。」(晶子)など、歌人として、互いの才能をリスペクトする2人の言葉が刻まれています。
DATA
▼所在地/堺市堺区宿院町西2-1-1(阪堺電車宿院電停歩1分、南海本線堺駅歩10分)
今回の撮影ワンポイントアドバイス【屋内での撮影は光の調整がカギ】
ホワイトバランスで個性を出して
屋内は、蛍光灯や電球など光源によって光の色が違うので、「ホワイトバランス」の調整に注意して撮影しましょう。同じ写真でも、ホワイトバランスで被写体の色みを調整することで、イメージがガラリと変わるもの。撮る人それぞれの個性が出せるところでもありますね。
「明るいレンズ」を使ってみよう
交換式レンズのカメラを使う場合は「明るいレンズ」を使ってみてください。明るいレンズとは、絞り(F値)が小さい単焦点レンズのこと。背景ボケが楽しめたり、暗い室内でも手ぶれなく、キレイに撮れます。
tomo.
岸和田・堺を中心に撮影、関西で活躍するフォトグラファー。
Instagram公式アカウント:@tomo_557
晶子ゆかりの堺土産で映える写真を
堺には晶子関連グッズがいっぱい。晶子の足跡をたどったら、ゆかりの品をお土産に♪
ステキ写真を撮影して、SNSで自慢してみては?
東京へ行っても食べたかった味
大寺餅 (大寺餅河合堂)
店名にもなっている「大寺餅」は、慶長元年(1596年)に開口神社の境内に店を構えたことが名前の由来。素朴な“あんころ餅”は、晶子も子どものころから慣れ親しんだ味だったようで、東京に住んでからも、知人に大寺餅をお土産に買ってきてほしいと頼んでいたそう。
DATA
▼所在地/堺市堺区少林寺町西4-1-27
▼TEL:072-222-1223
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晶子の歌で恋の行方が分かる!?
晶子恋歌みくじ (開口神社)
カラフルな和紙の筒の中に入っているのは、晶子が詠んだ恋の歌。全25種類あり、歌の内容に応じて「一目ぼれの恋の予感」「気になる彼と急接近!」などのメッセージとともに、恋の歌の解説が書かれています。すべて前向きなメッセージというのもうれしい。小さな水引のお守り付き。
DATA
▼所在地/堺市堺区甲斐町東2-1-29
▼TEL:072-221-0171
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『みだれ髪』の表紙がモチーフ
晶子の甘食 (マルミベーカリー)
与謝野晶子の生家近くの「堺山之口商店街」にある、昭和2年(1927年)創業のパン屋さん。『みだれ髪』の表紙のハートの焼き印を押した「晶子の甘食」は、プレーン、紅茶、クルミの3種類。
DATA
▼所在地/堺市堺区市之町東2-1-8
▼TEL:072-232-1231
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