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堺市の合併の歴史

更新日:2012年12月19日

 堺市は、明治22年4月1日市制施行後,明治27年の大鳥郡向井村大字七道との第1次合併に始まり、14次にわたり22町村を編入することで、現在の堺市が形成されてきました。

 堺市は、これらの町村と、ともに手を携え、現在のまちをつくってきたのです。

明治元年(1868年)堺県の創設

  • 人口: 937,315人 (当時の大阪府の人口 553,777人)
  • 範囲:大阪南部とほぼ現在の奈良県を含めた範囲

明治14年(1881年)2月7日 堺県廃止、大阪府に編入される

明治22年(1889年)4月1日 市制・町村制施行

堺市域の変遷

堺市域の変遷地図


年 月 日 編入合併等の内容

明治22年4月1日 市制施行
第1次 明治27年2月10日 大鳥郡向井村大字七道編入
第2次 大正9年4月1日 泉北郡向井町・湊町編入
第3次 大正14年10月1日 泉北郡舳松村編入
第4次 大正15年10月1日 泉北郡三宝村編入
第5次 昭和13年2月11日 泉北郡神石村編入
第6次 昭和13年9月1日 泉北郡五箇荘村・百舌鳥村、南河内郡金岡村編入
第7次 昭和17年7月1日 泉北郡浜寺町・鳳町・踞尾村・八田荘村・深井村・東百舌鳥村編入
第8次 昭和32年10月15日 南河内郡北八下村編入
(松原市に帰属した一部を除く)
第9次 昭和33年7月1日 南河内郡南八下村編入
(美原町に帰属した一部を除く)
第10次 昭和33年10月20日 南河内郡日置荘町編入
第11次 昭和34年5月3日 泉北郡泉ヶ丘町編入(35.34平方キロメートル)
第12次 昭和36年3月1日 泉北郡福泉町編入 (19.84平方キロメートル)
第13次 昭和37年4月1日 南河内郡登美丘町編入(4.61平方キロメートル)
第14次 平成17年2月1日 南河内郡美原町編入(13.20平方キロメートル)

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