福泉上校区
更新日:2019年3月26日
上地蔵尊
上地蔵尊
上地蔵尊歴史は古く、堂に安置している尊像は、行基(668年~749年)の作で、「霊験あらたかなりとて、縁日には近郷近住により老若男女群集し」とある。
その昔、この地に兵衛という人がいた。その妻の照女は法貴丸(行基の幼名)の乳母として、行基を大切に育てた。行基はそのお礼に、地蔵尊の石像を作って、照女に与えた。照女はその後、尼僧となって妙善と名のり、堂を建てて地蔵尊を安置し、一生、信仰に励んだ。妙善の死後も村の人たちの篤い信仰は続いていたが、天正年間(1573年~1592年)に入り、尊像は悪徒により井戸の中に投げ込まれた。
その後数十年が過ぎ、正保3年(1646年)、井戸の中から声がするのを聞きつけ、中をのぞいて見ると、一体の石像があった。これを引き上げると、妙善が信仰していた地蔵尊であった。そこで人々は、このいわれあるお地蔵尊を、お堂を建てて安置した。「上村の地蔵」と呼ばれて、岸和田の蛸地蔵と並んで有名であった。
数十年前頃までは、この上地蔵尊の前に土俵が組まれ、村相撲の練習も行われ、夏には盆踊りも開催されていた。しかし、お堂の老朽化が進み、平成12年に建て替えられ3月19日に落慶法要となった。屋根は本葺瓦で飛鳥野瓦を使用した堂々たる造りである。
生蓮寺
生蓮寺
生蓮寺は400有余年の歴史を持ち、青陽山眞證院と号して浄土眞宗西本願寺の末寺であり阿弥陀仏を本尊としている。貞亨5年(1688年)に本願寺から生蓮寺という寺号を得ている。それまでは、村人の浄土真宗の教えを守る念仏の道場として創建され存在していた。約200年前ごろ現存の生蓮寺本堂が建立された。
平成8年大修復が完成し3月3日に蓮如上人の500回遠忌も合わせて修復落慶法要が勤められた。
浄明庵
浄明庵
御本像は阿弥陀如来様、境内に延命地蔵菩薩様も安置されている。約400年前、この地に浄土念仏を篤く信仰する念西という人がおり、彼の死後、村人達が遺徳をしのび草庵を建立し浄明庵と名付けたことが起源とされている。
明治33年本堂が全焼するも明治35年に再建された。
神武天皇御東征日下津舊跡の巨石碑
神武天皇御東征日下津舊跡の巨石碑
神武天皇が東征で上陸したと言われる石碑が日部神社より少し東側に建っている。石碑は3mもある巨石碑で、現在、敷地はフェンスで囲われ堺市が管理している。
以前は、そこに立つと北に石津川側が段丘にて下がり高台から見下ろす景色が心地よい場所であったようだ。
地車(だんじり)
地車(だんじり)モニュメント
初代の地車は、大正4年に和泉市伯太より購入した二台を大工下川安治郎が一台にして、不足の彫り物は新調したものであった。昭和初期に修理、昭和57年に大改修した。この時の彫り師は木下彫刻所によるもので、だんじりの姿見が一変する修理であった。
しかし、平成9年10月の曳行を最後に引退。80年以上にわたり愛され親しまれた「上」を去り尼崎市築港地区の南浜で大切に保存されている。
平成6年6月に地車新調購入委員会を発足し、平成10年9月、全長4.23m大屋根の高さ3.83m、巾2.53m、長さ2.94m、総重量4.8tの「鶏鳴だんじり」が完成した。
この鶏鳴の謂れは、大正時代に先代のだんじりを購入する資金を貯めるために先輩達が鶏の鳴く夜明け前から働き、だんじりを購入した篤き心を引き継いでいくために命名された。鶏鳴だんじりを模したモニュメントも設置されている。
地車(だんじり)モニュメント
このモニュメントは上村の鶏鳴だんじりを模して先達の篤き心を受け継ぎ地域の団結力で安心安全のまちづくりを進める象徴として製作された。
- モニュメント石碑一部抜粋
『安全安心のまち上村』
聖徳太子がこの地の風景をめで佳村と命名されたのが由来。
五穀豊穣の感謝と祈りを込めて行われる秋祭だんじり曳きに寄せる住民の思いは強く男たちの熱き血が沸き魂が触れあうまち上村。(平成21年9月20日)
笠池公園・中之池公園
笠池公園・中之池公園1
笠池公園・中之池公園2
「笠池公園」「中ノ池公園」は地域の安全・安心、そしてうるおいとやすらぎの住み良いまちづくりをめざして整備が進められた。
当校区は以前に、「今池」「中之池」「笠池」という三つの大きな池があった。笠池は和泉市の「鶴田池」(行基が鶴田池院を建立、鶴田池の築造もこの頃)から石津川までの中継池として造られ、中之池と共に昔に築造(一説には約800年前)されたと考えられている。昭和20年代頃は、これらの池は水も澄み、子どもたちの水遊びやトンボ捕りなど、住民のいこいと、うるおいの場であった。
昭和40年代になり、池周辺の宅地化が進み、農業用水路やため池に家庭の雑排水が流れ込むようになり、青藻が発生し、周辺には悪臭が漂うようになった。
当校区の将来を見据えて、地域の人々の憩いの場に、また、災害時の避難場所となる大規模な公園として「笠池公園」、災害時の防災用水に利活用できる重要な溜池として、中之池公園として池を整備した。中之池の南端には災害時の飲料水としても利用可能な約100mの掘り抜き井戸が設置され、笠池公園側から福泉上小学校を通り石津川迄の間に「福泉雨水線下水管布設工事」として、内径1000mm~4000mmの特殊マンホール等が施工され、上地域と笠池・中之池周辺の浸水状況は大きく改善し、安全安心のまちづくりの象徴となっている。
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