美原のあけぼの
更新日:2013年1月16日
今から1万2千年より以前は氷河期で、考古学では旧石器時代と呼ばれています。このころ、日本はまだ大陸と陸続きで、ナウマン象などが狩猟の対象になっていました。当時、美原を含む近畿圏では、二上山付近から産出するサヌカイトを利用して石器を作っていました。
氷河期が終わると、気候が温暖になり、陸続きだった日本も列島となり、海が陸地の奥にまで入り込んできたことにより、人びとの生活も大きく変わりました。現在の大阪平野は、今からおよそ1万年ほど前には、上町台地が半島のように海に突き出しているだけで、大阪湾も現在の大和川のすこし北まで入り込んできたと考えられていました。美原も現在と比べると、海にずっと近かったのです。
この美原に私たちの祖先が住み着いたのは、およそ2千年前と推察されます。彼らは、羽曳野丘陵(平尾山)の西側の川に沿った小高いところに住み、魚をとったり、貝をひろったり、木の実を集めたり、手に弓や槍を持って、獲物を求めて駆け回り、鹿やうさぎなどを獲って、生活をしていたことでしょう。
縄文時代の終わりごろに、農耕文化が日本に伝わり、やがて定住・農耕の時代へと進んでいきます。美原ではまだ弥生時代の水田も住居跡も発見されていませんが、弥生時代の美原は、狩猟などが行われていた場所で、人びとは松原などの周辺地域に住んでいたと考えられます。
古墳時代になると、前方後円墳と呼ばれる古墳が造られ、全国に広まります。5世紀ごろの美原では、丹比氏の首長の墓と思われる黒姫山古墳が築造されました。現在、美原に残っている古墳は、黒姫山古墳だけになってしまいましたが、発掘調査で、太井遺跡から次々と小規模の古墳が発見されています。
黒姫山古墳(写真提供:みはら歴史博物館)
ひとことコラム サヌカイト
全国でも二上山と四国・讃岐地方を中心に、瀬戸内海地方だけに産出する安山岩の一種。打力で破壊しやすく、用いて硬く、扁平な割れ方をするため、石斧や矢じりを作るのに適していた。石を叩くと「カンカン」と澄んだ音がするので、カンカン石とも呼ばれる。
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