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世界遺産の登録基準への該当性

更新日:2012年12月19日

提案資産名「百舌鳥・古市古墳群-仁徳陵古墳をはじめとする巨大古墳群-」

1.資産の適用種別及び世界文化遺産の登録基準の番号

  • 適用種別 文化遺産(記念物および遺跡)
  • 該当する登録基準 (ii)(iii)(iv)

(ii) 百舌鳥・古市古墳群における巨大古墳の墳丘形態は列島各地の古墳のモデルとなった。また副葬品、埴輪等も広く影響を与えており、本資産は、日本の古墳文化の交流の中心であった。さらにアジアレベルでの相互交流があったことは、中国製の金銅製の装身具や馬具、ペルシャのガラス器などに加え、朝鮮半島を通じて導入された製作技術による多量の刀剣や甲冑類からも明白である。

(iii) 古墳文化は巨大な墳墓である古墳の築造によって特徴付けられる。特に百舌鳥・古市古墳群は古墳の巨大化の頂点にあたるものであり、日本列島にかつて独自の文化が存在したことを示す顕著な物証である。

(iv) 百舌鳥・古市古墳群は、大規模な労働力の集中によって成し遂げられた記念碑的構築物であり、前方後円墳をはじめとする独特な墳墓形態とその築造技術は、日本列島で独自の発展をみたものである。百舌鳥・古市古墳群にある巨大古墳の設計プランを基に造られた前方後円墳が遠く九州や中国地方などにも存在するなど、それらのことを可能とする高度な土木技術も相まって、日本独自の古墳文化が花開いたものである。

2.真実性/完全性の証明

百舌鳥・古市古墳群を構成する古墳の多くは、『古事記』・『日本書紀』・『延喜式』などの古代の文献記録や絵図等とともに今に伝えられている資産である。古墳群についての考古学的研究や文献史料の考証等が進められた結果、古墳の築造年代は4世紀後半から6世紀前半に求められるようになった。各古墳の墳丘もほぼ原形を保っていることが明らかとなっている。百舌鳥・古市古墳群中の仁徳陵古墳、応神陵古墳などの巨大古墳は、同時代の日本列島の中で隔絶した規模をもっており、5世紀前後の倭国王墓であることは疑いがない。
百舌鳥・古市古墳群には、巨大古墳を中心にその陪塚や中小の古墳など、本資産を語る上で重要な様々な規模や墳形の古墳が現存している。これは、古墳そのものが高度な土木技術で造られたものであることに加え、国及び地方公共団体の取り組み、さらには古墳を守り継承してきた地域住民の古墳保存に対する理解と協力によるものである。

3.類似資産との比較

百舌鳥・古市古墳群は、国内最大の古墳を含み、群としても最も卓越したものである。同時期の他の古墳群は、それぞれ個性をもちながらも、基本的には百舌鳥・古市古墳群の内容を地域の状況に合わせて、縮小・単純化したものである。
また世界には、巨大墳墓といわれるものは数あるが、仁徳陵古墳は前方後円形という、特異な形態を採用し、墳丘規模としても世界最大の平面積を誇る。他の巨大墳墓の多くが、方錐形や截頭方錐形といった形態をとるのに対し、前方後円墳は著しく複雑な構築物である。さらに、前方後円墳、前方後方墳、上円下方墳、円墳、方墳といった様々な形態がともに採用されていることも世界の類似資産と著しくことなった特徴である。
加えて、世界の類似資産には、中国の西安や韓国の慶州のように大規模墳墓は首都の近辺に集中する例が多く、膨大な数の前方後円墳が日本列島のほぼ全域という広い範囲に分布した状況は、極めて特異である。
仁徳陵古墳は、その巨大さからギザのピラミッド、始皇陵と対比されることがある。しかしながら、それはエジプト古王国や中国秦王朝のように中央集権的な国家が発達した結果として現われたものではない。当時の日本列島においては一人の絶対的な王が君臨したのではなく、多くの首長が存在した。これら首長が古墳の大きさを競い合った結果として前方後円墳は巨大化し、その総数は4,700基以上にも及んだ。4世紀後半から5世紀後半の100年以上にわたり、これらの前方後円墳の頂点に立つ、倭国王墓がこの地に築造され続けた。
これら王墓や陪塚が一群を成しているのが、仁徳陵古墳や応神陵古墳に代表される百舌鳥・古市古墳群なのである。

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