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提案のコンセプト

更新日:2012年12月19日

提案資産名「百舌鳥・古市古墳群-仁徳陵古墳をはじめとする巨大古墳群-」

資産の名称・概要

「百舌鳥・古市古墳群―仁徳陵古墳をはじめとする巨大古墳群―」

古墳時代と古墳文化

人類史上、世界各地の古代国家形成に至る道筋は多様である。その過程において、都市や城塞など巨大なモニュメントが社会の統合や国家の維持に重要な役割を果たした事例が数多く見られる。それらの一つとして墳墓があり、土や石、木など様々な材質を組み合わせ、墳墓をモニュメントとした文化が世界に広く存在する。
このような世界の墳墓築造の歴史の中で、日本列島においても3世紀後半から7世紀に、とりわけ独創的かつ多数の古墳が造られた。この時期、前方後円墳を頂点とする古墳文化が、北は東北南部から、南は九州南部に至る1200km以上の範囲に及び、20万基以上の古墳が築造された。
古墳の墳丘の形は、前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳など多様で、規模についても大小様々であるが、大型の古墳は全て前方後円墳である。前方後円墳は、円形と方形を組み合わせた日本独自の鍵穴形の墳墓であり、後円部には、竪穴式石槨などの埋葬施設がしつらえられ、首長が多数の銅鏡や武器、馬具などの副葬品とともに埋葬された。さらに墳丘は、葺石に覆われ、まるで石の山のように造られ、各所に円筒・人・動物・家・武具など多彩な形の埴輪が立て並べられた。このような埋葬施設の構造や副葬品、埴輪などの質と量は、墳丘規模にほぼ比例している。これらは埋葬された人物の社会的地位に基づくものである。また、代表的な古墳は、『古事記』や『日本書紀』などにも記載されており、当時の支配者層のものであることは疑いがない。
古墳文化は、当時の政治や文化の中心であって後に畿内といわれる地域を核として広範囲に展開した。また、発掘調査が進んだ現在でも、この時代に認められる大規模土木工事は、巨大古墳築造において特に顕著である。古墳が人々の生活の中で特別な意味を持った時代として、この時期を古墳時代と呼んでいる。

古墳の大きさと百舌鳥・古市古墳群

古墳の特徴や性格は、その大きさと墳形に端的に表わされている。この点で、大阪府堺市にある仁徳陵古墳は日本の古墳を象徴するものである。仁徳陵古墳は、墳丘長486m、高さ35mの前方後円墳で、一つの墳丘としては世界最大の平面積を誇り、周囲の三重の濠の範囲を含めると総長840mにも達する。仁徳陵古墳を当時の技術で建設するために必要な労働力についての試算(※注)によれば、1日あたりピーク時で2000人、延べ680万7000人を動員して、15年8ヶ月の工期を要するという。
仁徳陵古墳は単体で存在するのではなく、堺市百舌鳥周辺の段丘上に他の古墳と共に群をなし、百舌鳥古墳群を形成している。百舌鳥古墳群は、東西4km、南北4kmの範囲に広がり、仁徳陵古墳をはじめ、墳丘長360mで我が国第3位の規模の履中陵古墳、同290mのニサンザイ古墳など、4世紀後半から5世紀後半に築造された47基の古墳が現存する。
この百舌鳥古墳群の東約10kmに、墓域を異にしながらもこれと一体的なものとして営まれたのが、羽曳野市・藤井寺市にまたがる古市古墳群である。古市古墳群も百舌鳥古墳群と同じく、東西4km、南北4kmの範囲に広がり、墳丘長425mで我が国第2位の規模を誇る応神陵古墳をはじめ、同290mの仲姫陵古墳、同242mの仲哀陵古墳など、4世紀後半から6世紀前半にかけて築造された44基の古墳が現存する。
5世紀の段階には、日本列島で最大級の古墳がこの両古墳群で築造され続けた。両古墳群には、墳丘長200m以上の前方後円墳10基を含む、様々な規模と墳形の古墳が集中しており、5世紀前後の倭国王を中心とした支配者層の権力の強大さを示すものとして、古墳文化を代表する資産である。

東アジアでの位置づけ

日本列島で古墳が築造された3世紀から7世紀にかけての東アジアは、歴史的に重要な局面にあった。この時期、中国王朝が魏晋南北朝時代、朝鮮半島は三国時代という、多くの国が覇権を争う動乱期にあたる。日本列島でも、高句麗の南下政策などの国際的緊張関係を背景に政治的まとまりを強化し、東アジア国際社会の主要な構成員として発展していく。中でも5世紀には、5代にわたる倭国王が中国南朝に使いを送り、冊封を受けたことが中国の『宋書』などに記録されている。彼ら「倭の五王」の墳墓は、百舌鳥・古市古墳群の巨大前方後円墳のうちに求めることができる。また、本資産出土の金銅製の装身具や馬具、最新の鉄製武器・武具、さらにガラス器等も、このような東アジアとの活発な交流によってもたらされたものである。やがて7世紀前後には、中国では新たに隋・唐が成立し、朝鮮半島では新羅が統一をはたした。日本でも中国の律令制を受容した中央集権国家が成立し、古墳時代も終焉を迎える。

資産の価値

本資産は、日本における国家形成過程を示すモニュメントであるのみならず、古墳文化という、独特な墳墓の築造に膨大なエネルギーを集中した、他に類をみない特異な文化がかつて日本に存在したことを物語る遺産として、人類共通の普遍的な価値をもつ。

※大林組プロジェクトチームの試算(「王陵」『季刊大林』第20号、1985年)による。

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