このページの先頭です

本文ここから

芝辻理右衛門家文書

更新日:2023年12月22日

指定区分
堺市指定有形文化財

説明

 芝辻理右衛門家文書は、堺において「五鍛冶」の地位にあり、鉄炮鍛冶仲間の鉄炮年寄を務めた芝辻理右衛門家(以下「同家」)に伝来した資料群です。
 同家の由緒によれば、初代に当たる助延(すけのぶ)は、大坂の陣では鉄炮の修理、鉄炮の玉の製造及び供給によって徳川方に貢献し、堺の鉄炮が大坂方に渡るのを機転によって回避したことで知られます。このように、同家は大坂の陣で徳川方に味方したことで、堺鉄炮鍛冶の指導的立場である「五鍛冶」の一人として、堺鉄炮鍛冶集団の中心的地位に就いたのです。
 上記のような内容を持つ芝辻理右衛門家文書は、計107点の文書から構成されます。その内容は、徳川政権下における、同家の鉄炮年寄としての正当性が記された「(1)芝辻理右衛門家の歴史・由緒などに関する文書」、砲術家の稲富宮内少輔(いなとみくないしょうゆう)と堺の有力な鉄炮鍛冶たちとの間で交わされた「(2)江戸時代初期の堺鉄炮鍛冶への鉄炮発注に関する文書」、鉄炮年寄が幕府へ差し出した願書や仲間内での相論に関する「(3)鉄炮鍛冶仲間に関する文書」、芝辻理右衛門に与えられた高須稲荷を巡る公事や、芝辻家の仏事に関する「(4)芝辻理右衛門家の宗教面に関する文書」、芝辻砲の実寸大図面である「日本鉄炮御由緒大筒絵図」などの「(5)絵図類」、明治以降の同家の動向をたどることができる「(6)近代関係資料」の6種類に大別することができます。
 以上のような内容を持つ芝辻理右衛門家文書は、近世堺における鉄炮鍛冶の実態や鉄炮産業などについて知ることができる貴重な資料であり、その価値は非常に高いと言えます。

「五鍛冶」とは

 大坂夏の陣の際に徳川方に味方した堺の鉄炮鍛冶たちのことです。芝辻理右衛門家のほか、芝辻長左衛門家、榎並屋勘左衛門家、榎並屋九兵衛家、榎並屋勘七家が含まれます。

延宝7年(1679)芝辻理右衛門口上の画像延宝7年(1679)「芝辻理右衛門口上」

文政3年(1820)御番所江差出候願書之覚の画像文政3年(1820)「御番所江差出候願書之覚」

明治12年(1879)堺港波止場増築金寄附に付堺県褒賞状の画像明治12年(1879)「堺港波止場増築金寄附に付堺県褒賞状」

所有者

 堺市(堺市博物館所蔵)

時代

 江戸時代~明治時代

指定年月日

 令和5年12月22日

このページの作成担当

文化観光局 歴史遺産活用部 文化財課

電話番号:072-228-7198

ファクス:072-228-7228

〒590-0078 堺市堺区南瓦町3番1号 堺市役所高層館5階
(文化財課分室)〒590-0156 堺市南区稲葉1丁3142

このページの作成担当にメールを送る
本文ここまで