堺環濠都市北部地区の魅力
更新日:2023年4月11日
堺環濠都市地域は、江戸期に形成された短冊型の「元和の町割」と土居川・内川が当時の環濠都市の面影を残しており、本市を代表する歴史・文化的景観を有する地域の一つです。
堺環濠都市の中でも特に北部地区は、第二次世界大戦の戦火を免れたことから、重要文化財の山口家住宅をはじめ町家や寺社などの歴史的な建造物が多く残っており、包丁や線香など伝統産業との職住一体の生活様式が見られる地区です。
写真の説明 | ||||||
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文久3年の堺 | 泉州堺湊新地繁栄之図 | 桜之町での神輿渡御祭の様子 | 刃物を製造している様子 | 観光ボランティアガイドの研修 | 堺市立町家歴史館清学院 | 北旅籠町西・北半町西のまちなみ |
堺大絵図 | 住吉祭礼図屏風 | 神輿渡御祭で町家に吊るされた提灯 | 北旅籠町東のまちなみ | 山口家住宅での観光ガイドの様子 | 井上家住宅(鉄砲鍛冶屋敷) |
桜之町東のまちなみ |
堺戦災図 | 重要文化財山口家住宅 | 神明町東のまちなみ |
山口家住宅で開かれた茶会の様子 | 七まち町家会の取組 | 九間町東のまちなみ | 北旅籠町東のまちなみ |
環濠都市航空写真 | 線香を製造している町家 | 刃物を製造している町家 | まちなみに配慮して建てられた建物 | 内川・土居川清掃活動の様子 | まちなみに配慮した屋外広告物 | 寺町のまちなみ |
重層的な歴史が息づく
- 古くから交通の要衝として発達し、紀州街道や熊野街道、竹之内街道、長尾街道、高野街道の五街道が通っています。
- 中世には、勘合・南蛮貿易の拠点として発展し、会合衆による自治が行われました。
- 江戸時代に形成された環濠都市は、南北3キロメートル、東西1キロメートルに及び、西方を除く三方に濠をめぐらせ、現在の環濠都市の基礎となっています。
- 環濠都市では、通りに面して独立した両側町が形成され、それぞれが独立した町として成立していました。明治5年の町名改正では、町を分断することのないよう、「丁目」ではなく、「丁」を用い、美原区を除く全市で継承されています。
近世・堺のまちなみが息づく
- 近世初頭まで自治都市として繁栄し、富を蓄積していたため、堺は権力者による支配権争いの場となり、大坂夏の陣(1615)によって焼け野原となりました。しかし、徳川幕府はすぐに復興に着手し、短冊型の街区整備(元和の町割)が実施され、今もこの街区が残っています。
- 第二次世界大戦により、堺の中心部は大きな被害を受けましたが、環濠都市北部地域はその戦火を免れたことから、江戸期以降の伝統的建造物が今も数多く残っています。
- 江戸期に建てられた重要文化財の山口家住宅や、数多くの伝統的建造物によって、元和の町割とともに、戦前のまちなみが残る貴重な地域です。
伝統産業や伝統的活動が息づく
- 環濠都市は、元和の町割によって職人町が形成され、刃物、鉄砲、線香などの生産が行われた、畿内有数の産業が発展した地域です。
- このような匠の技術が受け継がれ、刃物、線香、昆布などの伝統産業が伝わっています。
- これら伝統産業は町家がその活動の場となっており、職住一体の生活様式が今も残っています。
- 中世に端を発する、住吉大社から宿院頓宮への神輿巡行(神輿渡御祭)が今も行われています。
- 中世の堺では堺商人の間で茶の湯文化が花開きます。近世以降も環濠都市では茶室が建てられ、山口家住宅には茶室が今に伝わっています。
地域の自主的な活動が息づく
- 北旅籠町など、元和の町割が今に残る堺七まちでは、堺文化財特別公開とあわせ、地域住民ら有志で作る「堺七まち町家会」の主催により、町家公開や各種イベントが実施され、来訪者を楽しませるとともに、まちなみや町家の魅力を発信しています。
- 自治会による美化活動のほか、平成14年に結成された「内川・土居川を美しくする会」による内川・土居川や周辺の清掃活動が行われ、まちなみの美しさが保たれています。
- 山口家住宅や清学院等では、NPO法人堺観光ボランティア協会による観光ボランティアガイドが行われ、その魅力を発信しています。
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