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第4回歴史的なまちなみ勉強会(平成26年2月16日(日曜))

更新日:2021年4月22日

 平成26年2月16日(日曜)、堺市立町家歴史館山口家住宅で、第4回歴史的なまちなみ勉強会を行いました(参加者40人)。

 今回の勉強会では、住み慣れて普段見過ごしているまちなみや町家などを改めて見直し、各所に残る貴重な歴史や文化資源を再発見するため、『まち歩き』を実施し、その後、京都府立大学の大場教授に、「堺旧環濠都市の町家と町並景観」について『講演』をしていただきました。

 また、『まちなみ再生の取組み』について、市と準備会から報告を行いました。その際、山口家住宅の竈(かまど)で炊いた上神谷(にわだに)米のおむすびも振る舞いました。

第4回歴史的なまちなみ勉強会の様子第4回歴史的なまちなみ勉強会

まち歩き

 堺環濠都市北部において、各時代の外観様式をよく現している町家(6カ所)を見てまわりました。各町家の前では、スタッフが町家の特徴などについて解説しました。

講演:『堺旧環濠都市の町家と町並景観』

講師

大場 修 氏(京都府立大学大学院 教授)

講演の様子講演(京都府立大学大学院 大場教授)

本日の講演について

  • 近世/江戸時代の町家から、近代/明治・大正・昭和時代の町家へという流れについて、また、近代の町家の特徴や角地に建つ町家の景色、高塀造りと呼ばれる町家、格子・犬矢来(いぬやらい)・虫籠窓(むしこまど)などの町家の細部、さらに、土蔵について解説を行う。

近世町家から近代町家へ

1) 鉄砲鍛冶屋敷について

  • 堺では山口家住宅を除くと、鉄砲鍛冶屋敷が最も古い町家ではないかと思われる。山口家住宅は妻入りで建てられているが、鉄砲鍛冶屋敷などの堺の町家は、一般的に、通りに平行して棟が連なる平入りで建てられている。
  • 古い町家ほど土間が広い傾向にあるが、この建物も広い土間を持っている。一般的に、年代を追うごとに土間幅は狭くなり、床上の生活空間が拡張されてゆく傾向がある。
  • 構造的には、柱が棟まで通っている通し柱となっている。これは、堺の町家に共通する特徴であり、大阪市内や京都の町家も同じ形態である。京都の町家と堺の町家は、間取りも構造も非常によく似ていると思われる。

2) つし(厨子)二階について

  • 関西では、2階の高さが低い屋根裏空間を「つし(厨子)」と呼んでいる。つし二階を持つ背の低い町家は、江戸時代から明治にかけて多く建てられた。
  • 環濠都市の北部には高い密度で町家が残るが、約半分がつし二階建てで、残り半分が総二階建てである。江戸時代的な背の低い町家と、近代の総二階建て町家が、ほぼ同じ比率で建ち並んでいるのが堺の特徴のひとつである。
  • つし二階建てが町家の約半分を占めているというのは大変貴重であり、京都でもこれほどの密度では残っていないのではないかと思われる。江戸時代から明治、大正時代まで、つし二階建ての町家の伝統は続いたのでないだろうか。

3) 建築年代について

  • 建物の外観から建築年代を判別するのは難しい。つし二階建ては、大正時代になっても建てられている地域もあれば、江戸時代の後半で既に総二階建てが建てられている地域もある。
  • 大阪市の平野では、文久3(1863)年の幕末の町家と、およそ100年前の町家が、同じ高さで建てられている。
  • つし二階建てでも、建てられた年代によって、2階の使われ方が異なっている。初期のものは2階に居室はないが、明治中頃になると、表側は低いままで裏側が高くなり、2階の裏側に居室が設けられるようになる。表側からはわからないが、着実に二階建ての町家へと歩みを進めてきたようである。
  • 本格的な総二階建て町家が登場するのは昭和初期である。
  • 町家の隣が空き地になっていると、建物の側面を見ることができ、ある程度、建築年代を想像することができる。屋根が裏側に吹き下ろしているものは、古い建物である可能性がある。棟のラインが中心ではなく裏側に寄っているものは、裏側の2階に居室がつくられている可能性があり、江戸時代のものではなく比較的新しい町家ではないかと想像することもできる。
  • しかし、実際は、建物の中に入って間取りなどの調査をしなければ、建築年代の正確な判別はできない。

4) 地域による違いについて

  • 三重県の伊賀市で調査した町家は、明治後期に建てられたつし二階建てであるが、2階の裏側に立派な座敷が設けられている。
  • 同じ伊賀市でも、大正10年に建てられた造り酒屋は、表側も裏側も高さが低く、2階に居室が設けられていない。この町家の敷地は非常に大きく、2階に居室を積み上げる必要がなかったのだと思われる。
  • このことから、建物や敷地の条件によっては、大正時代になっても2階建てにしていないこともある。
  • 現在調査を行っている新潟県の佐渡島には、江戸時代の後半に建てられた二階建ての町家が建ち並んでいる。これは、2階の表側に居室を設けるためである。
  • 関西以外では表側の2階に居室を設ける傾向にあり、早い時期に表側の背が高くなってゆく。一方、京都や大阪、奈良は非常に保守的で、遅くまでつし二階建ての伝統が続いていた。

近代町家の形成

1) 戦前町家について

  • 総二階建ての町家は、表から見ても2階建てであることがよくわかる造りになっている。
  • 2階の背が高くなり窓も大きくなるため、虫籠窓にも金属格子を入れるなど、従来のものとは違って開放的な造りに変わっている。格子の代わりにガラス窓がはまっているものも多く、虫籠窓の伝統が終わっていることがわかる。
  • しかし、2階の軒裏には垂木や庇を支えるための腕木が残るなど、伝統的なつし二階建ての軒裏のデザインが受け継がれている町家もある。
  • 昭和/戦前の町家には、防火を目的として軒を蛇腹風につくる「箱軒」を設け、2階壁に銅板を貼るものがある。また、「卯建」(袖壁)を設けるものや、1階腰壁を石貼りとし、出格子窓を設けている町家が、堺にも多く見られる。
  • このような形態は、大正時代より前には少なく、昭和になって流行したものと思われる。また、出格子は元々金属格子であったが、戦争中に供出され、木格子に付け替えられたものもあるようだ。このような町家が昭和/戦前期のスタイルで、戦前町家と呼びたい。
  • 銅版貼りは戦前町家を特徴づけるひとつの要素であるが、この発信源は東京ではないかと思っている。東京には関東大震災以後に流行した「看板建築」というものが多くあり、これには銅板が多く用いられた。江戸(東京)は火事が多いため、防火的な配慮から「蔵造り」というものが早い時期から普及していたが、手間賃が高い。それゆえ、ローコストで防火的にも有効な銅版貼りが流行し、その後、全国に広がったのではないかと思われる。
  • 堺に多く残る戦前町家の一つひとつについて、2階壁の銅版を貼り直すなどの丁寧な修景を行えば、統一感のある、近代の綺麗な家並みが再生されるのではないだろうか。

2) 長屋について

  • 環濠都市の北部においては、長屋建ての町家が全体の3割を占めているようであるが、長屋は通りに対して広い幅を占有するので、実際の景色としてはそれ以上の比率になるのではないかと思う。
  • 長屋の軒が続く眺めは壮観で、特に軒が高い総二階建ての長屋が建ち並ぶ景観は見事であり、このような景色を大事にしたいと思っている。
  • 大阪市の平野の約20年前の写真を見ると、戦前町家が見事に建ち並んでいるが、今日撮った写真を重ねてみると、部分的な建て替えが目に留まる。家並みの連続感が断ち切れると全く違った景色になる。堺においては、今なお残る貴重な景色を保存する手立てを考えていただきたい。

角地町家の景観

  • 通常、町家は、角地に建っていても建て方を変えず、側面は単に壁を立ち上げていることが多い。せいぜい、通り土間の壁に明かりとりの小さな窓を設ける程度で、大きな窓をつくったりすることはせず、関西では角地を生かした町家のデザインがあまり進んでいない。
  • ただし、堺における角地の町家には、通常の切妻造りの屋根ではなく入母屋造りが用いられ、側面を飾るデザインになっているものもある。虫籠窓が側面にも設けられ、角地を前提とした建て方になっている町家もある。
  • 角地の町家は、通りの景色を引き締めるアクセントとなる重要な存在であり、特に大切にしていきたいと思っている。
  • 富田林市の旧寺内町にある旧杉山家住宅(重要文化財)は、建物の平面形状が雁行型となっていることから、側面を見ると入母屋の屋根が幾重にも重なるデザインになっている。このような屋根の形は「八棟造り」(やつむねづくり)と呼ばれているが、実際に八つの棟があるわけではなく、沢山の棟があることに由来している。
  • 橿原市の今井町にある今西家住宅(重要文化財)は、代表的な八棟造りの町家であるが、構造的に必要があるわけではなく、屋根を飾り、見え掛かりをよくするためにこのような建て方をしている。城郭や御殿建築の伝統が町家に引き継がれているのだろう。
  • 堺にも、八棟造りの町家が存在している。

「高塀造り」の町家形式

  • 高塀造りと呼ばれる町家で、町家のひとつの類型である。京都では、店を仕舞うという意味で、「仕舞屋造り」(しもたやづくり)という言い方をしている。
  • 京都の例では、高塀造りの町家を旅館として使っている例もある。塀に格子窓がついているが、内側は部屋ではなく前庭である。
  • 高塀造りは、京都の「表屋造り」(おもてやづくり)と呼ばれる建て方が元になっている。京都の大きな町家は、店と居住空間が棟でわかれていて、その間に玄関や坪庭がある。この店の棟を表屋といい、この建て方を表屋造りと呼んでいる。高塀造りの町家は、商売をしていないため表屋を設けず、代わりに塀を建てる専用住宅の建て方で、表に大きな庭を構えている。
  • 堺にも見事な高塀造りが多く見られ、背の高い表蔵が建てられているものもある。
  • 高塀造りの塀の高さは、景観を念頭に置いて、つし二階の町家の軒の高さに合わせたものとなっている。家並みが連続する景色は美しく、高塀造りというものの存在も重視する必要があろう。
  • また、堺には、外観はつし二階建てであるが、前庭を設けて高塀造りの要素を上手く組み込んだ町家もある。江戸時代にはこのような複雑なものは無い。非常に面白い、ユニークな近代の町家である。

町家の外観:格子/犬矢来/虫籠窓の構成

1) 格子・犬矢来について

  • 堺の町家の格子は、京都などと比べると比較的太いようである。また、犬矢来(駒寄せ)が非常に発達していて、鉈ではつったような殴りの意匠を持つものなど、色々なバリエーションが見られる。
  • 堺には、格子に加えて、その外側に犬矢来(駒寄せ)を設けるものがある。あたかも2重のスクリーンを構成するような外観である。
  • 犬矢来(駒寄せ)は、町家の外観の非常に重要な要素だと思っている。犬矢来は犬猫避け、駒寄せは馬が入ってこないようにという意味を持つが、実際には人が入ってこないように設けているものかもしれない。
  • 堺には、細い道路の両側に、格子や犬矢来(駒寄せ)を設けた町家が並ぶ景色が残されている。京都では公道でこれほど細い道はあまりなく、大事にしたい街路景観だと思う。

2) 虫籠窓について

  • 堺の町家の虫籠窓は、すっきりとした矩形(くけい)の形が多いが、中には湾曲した木爪形(もっこうがた)のものも見られる。
  • 背の低いつし二階建ての町家の多くに、虫籠窓が設けられている。
  • 「住吉祭礼図屏風」には、近世ごく初期の堺の家並みが描かれている。ここには、2階から祭礼を眺めている人々に加えて、2階に虫籠窓がすでに描かれていることから、堺では江戸時代のごく初期に虫籠窓が存在していたことがわかる。
  • 京都にも「洛中洛外図屏風」というのがあり、中世末期のものから近世のものまで各時代のものが残されている。近世初期のものを見ると、家並みは大変華やかなであるが、ほとんどが格子で、虫籠窓の類のようなものがない。絵画史料などからは、江戸時代の後半になってようやく確認できる。
  • このことから、京町家は近世初頭の町家の伝統ではなく、虫籠窓を持つ近世末期の町家の伝統が今に引き継がれたものと考えられる。
  • 今日の京町家の虫籠窓は概ね堺と似ているが、軒裏は木が剥き出しになっていて、大阪や堺の町家の造りとは異なる。
  • 近世初頭の京都の町家は、2階が張り出し様々な格子窓を開けているが、この様式は長野県の中山道妻籠宿の町家などで見られる。京都の町家の伝統が、京都を発信源として地方に伝播し、地方で残っているのかもしれない。
  • 虫籠窓は関西を中心に広島あたりまで、西日本を中心に広まっている。山口県の柳井市では、虫籠窓はあるが格子になっていない。一方飛騨や金沢の町家には、虫籠窓がほとんど設けられていない。
  • 三重県の関宿では、格子と虫籠窓が混ざっていて、虫籠窓が関西の町家の意匠であることが伺える。虫籠窓の発信源は大阪なのかもしれない。
  • 堺には、お寺の庫裏に町家のような木爪形の虫籠窓を設けている事例があり興味深い。このようなものは京都では珍しい。

土蔵の景観

  • 堺では蔵が表通りに設けられていて、町家だけでなく、土塀や板塀、蔵が入り混じった景色を楽しむことができる。
  • 大阪道修町の明治期の家並みを見ると、短冊形の地割に町家が並んでいて、主屋の裏手に前栽があり、裏側には蔵が建てられている。蔵の連続した家並みは、延焼を食い止める防火帯の役割を果たし、前栽はそれぞれは小規模ながら、それらが連担することで、グリーンベルトのようにまとまった緑地を形作っている。町家の並びは計画的につくられているわけではないが規則的にできている。この規則性が街区の良好な住環境に貢献していると考えられる。
  • 京都も大阪と同様に、蔵は基本的に裏側に建てられているが、この建て方を可能にしているのは、母屋と庭、蔵を設けるのに必要な敷地の奥行の深さである。
  • 元禄2(1689)年の「堺大絵図」を見ると、敷地の奥行が総じて浅いことがわかる。この当時は通りから通りまで突き抜けているためにそれなりの奥行があるが、現在の地割を重ねてみると、多くが敷地の中程で分割されていて奥行が浅くなっている。このため、蔵を建てる場合には表側に建てることになり、蔵と母屋が並立することになるし、一定の間口がある大きな敷地でないと蔵を建てることができないことになる。
  • 表蔵というのはこのような堺の旧環濠都市の敷地条件が前提にあると思われる。

総括

  • 旧環濠都市の北部には町家が多く残存している。
  • 江戸時代の前期のものから、近代、昭和初期にかけての町家が残り、各時代の外観様式には特徴があり、洗練された意匠を持つ町家が多い。
  • 近世前期以降の町家を時系列にたどることで、堺の町家の歴史と発展過程がわかる。
  • 細い街路の両側に町家が建ち並び、格子と犬矢来(駒寄せ)による濃密な街路空間を構成している。
  • 堺に残る質の高い町家の外観意匠を集め、町家デザイン集を作ることで、今後の町家改修の良い参考資料となるだろう。本物のデザインに依拠したまちなみ整備を行ってほしい。

堺環濠都市北部地区におけるまちなみ再生の取組み

堺市から説明

  • 歴史的なまちなみの再生を地域の皆様とともに進めていくには、地域で町なみ再生協議会を設立し、まちなみのルールを作る必要がある。

  (第3回勉強会後、協議会設立に向け準備会を設置。)

  • まちなみのルールに沿った町家の修理や町家風の建築に対して、市として支援していく。

準備会から町なみ再生協議会について説明

1) 協議会の規約や組織体制等の案について説明

  • 事業内容(研究会の開催、広報・啓発など)や役員(会長など)、任期等について説明。
  • 会員は町なみ再生に賛同いただける方々。
  • 顧問は、校区自治連合会長様(錦西・錦)に、就任を依頼している。
  • 参加者に、協議会活動への参加を呼びかけ。

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