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ワークストーリー1 鈴木有美さん

更新日:2023年3月17日

このストーリーは2021年に公開されたものです。

私が泉北にやってきたのは2015年のこと。東北・宮城県で生まれ、高校卒業後、上京。東京で出会った夫と結婚し、彼の生まれ育ったこの土地へたどり着いた。2人の子どもに恵まれ、URの団地で暮らしている。

仕事はコック。イベントやケータリングを通して、身近な人に地元のものを届けたいと思ってる。家族が1番で、仕事は2番目。そんな自分への戒めも込めつつ、団地の部屋番号っぽく「パーラー102」なんて名前をつけた。

高校受験に失敗し、私立高校へ通った私は、大学へ行かずに働くことを決めた。東京のファミリーレストランに就職し、働きながら調理師の免許を取った。店長まで任せてもらい、人の成長や喜ぶ顔がうれしいことを知る。

そこに勤めて10年。改めて料理を一からやりたいと思い立ち、退職して、吉祥寺のハモニカ横町の飲食店で仕込みのアルバイトを始める。イタリアンや和食など、7つある店舗の料理の仕込みを全部任せてもらった。

武蔵野の野菜を使ってつくる料理。いろんな経歴をもった個性豊かなメンバー。仲間たちがつくる、吉祥寺の玄関口で、お客が夜な夜なお酒を呑んでいる雰囲気がかっこよくて、私もいつかそんな場をつくりたいと思った。

 

2011年3月11日。大地震が故郷を襲う。もっと続けたかったけど、仕事を辞め、片付けを手伝うために一時帰省。数ヶ月後、生活するために再び東京へ。新たなことに挑戦したくて、2年と決めてパン屋で修行する。

その後、「絶対に向いてるから」と勧められ、鍋の実演販売の職につくことに。この時、家庭料理をめちゃくちゃ練習し、お客さんから台所のお悩みをたくさん聞いた。どうすれば買ってもらえるかも、めちゃくちゃ考えた。

振り返れば、本当にいろんなことをしてきた。そして今、ここ泉北で、これまでの経験を全部生かして「パーラー102」をやっている。泉北の農家さんがつくった野菜で、手の届く範囲の人たちに、料理をつくって届けている。

「このまちかっこいいよな」とか、「公園の屋台で飲むっていいよな」とか。吉祥寺のときのように、お決まりの味じゃなくて、店員とお客がやり取りしながらつくって、呑む。常連になる。そんな誰かの日常になりたい。

お客の中には、「昔近くに住んでたんですよ」って人もいる。その人が、「すごく変わっててうれしい」って言ってくれたら、こっちもすごくうれしくなる。いいでしょ?かっこよくなってるでしょ?帰っておいでよ(笑)。

「パーラー102」とは別に、南区役所の1階にある「里山キッチン」でも働かせてもらっている。ここは、「ヤオヨロズヤ」が地域の野菜とお米を使ったお弁当をつくって販売する、就労継続支援B型作業所。店長はなんと私。

みんなでメニューを考えたり、作業してもらったり。毎度ハプニングだらけ。でもそれがめちゃくちゃおもしろい。試行錯誤しながら、メンバーたちと「福祉の現場の最高にオモロイところ見せたろな」って話している。

そしてもうひとつ、集会所で小さなイベントなどを開いて子どもたちの居場所をつくる「団地寺小屋」を企画している。つながりが薄くなっている団地内でコミュニティをつくれるか。私なりの実験。

世界がコロナ禍となり、学校給食が簡易化された。それをふびんに思ったメンバーで、学校帰りの子どもたちに惣菜を届ける「泉北おかず食堂」を始める。期間限定のつもりが、続投を望む声多数につき、月一で開催中。

ずっと手探りだけど、気がつけば仲間は増えていた。みんな時間になるとやってきて、椅子を出して、会話する。居場所を必要としている人同士がつながる、それだけでいい。それだけで、いざというときに助け合えるはず。

そんないろいろをいつか、地域内で循環するしくみにつなげたい。育てた作物の売り先があって、料理する人がいて、障がいのある人が働いて、子どもたちへ。それができたら、何かあっても、きっと地域で生き延びられる。

ここは50年前、今の私たちと同世代の人たちがつくったまち。だから、何かしようとすることをみんな応援してくれる。チャレンジに寛容なこのまちは、子育てにも、働くにも、これ以上ない場所だと思っている。

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