ライフストーリー6 三浦裕美加さん
更新日:2023年3月17日
このストーリーは2020年に公開されたものです。
大阪の中心街で育った私は30代半ばで結婚し、子どもを授かった。その後、パートナーとの別れを経て、2018年に泉北へ。7歳になった娘とふたり、駅から徒歩3分ほどの賃貸住宅で暮らしている。
子どもの頃から型にはめられるのが苦手。19歳でサンフランシスコの学校に留学したりと、自分なりに正直に生きていた。でもある日、弟が亡くなって、何が正解かわからなくなった。
家族ってなんだろう。勝手気ままな自分は間違っているんじゃないか。人生観が混沌とする中で、自分を律して、型にはまって生きてみようともした。でも、私の心は幸せにはなれなかった。
帰国してからも、カフェやバーで働いたり、好きな英語を子どもに教えたり、通訳の仕事をしたり。資格をとってアロマセラピストとして働いたり。振り返れば、自分を探して、必死でもがいていたんだと思う。
そんな私が巡り巡って親になり、今ではヨガ講師をしている。きっかけは、通訳で関わったヨガの先生との出会い。子育て中の“何物でもない私”の中に、「体は魂の入れ物である」というヨガの教えが、スッと入ってきた。
ヨガにもいろんな種類がある。体を重視するヨガ、心にフォーカスするヨガ。体と心、どちらもつながっているけれど、私はどちらかと言えば後者の方、“いまここ”に意識を向ける、心のヨガの魅力を伝えている。
レッスンの後には、気持ちを言葉にしやすい英語で、自分の内側から出てくる言葉を吐きだしてもらう時間をとっている。私自身が救われた、心のヨガを日常に取り入れてもらいたいと思って始めた取り組み。
住まいを泉北に決めたのは簡単に言えば成り行き。でも、住んでみたら最高だった。森があり、神社がある。季節が巡り、文化が香る。気がつけば、自然に飢えることがなくなったし、家賃の負担もずいぶん楽になった。
近くに畑もあるし、環境への負担が少ない農法で作物をつくる人たちもいる。都会ですり減らしていた心のゆとりが、少しずつ戻ってくるのを感じている。きっと日常が自然だからだと思う。
友人に泉北の良さを話していたら、あるとき彼女も「泉北に住む!」と言い出して、本当に近所に引っ越してきた。驚いたし笑っちゃったけれど、知ったら来たくなる魅力がこのまちにあることを、私が一番知っている。
大阪にいた頃は、いろんなことを効率で選びがちだった。忙しくて、余裕がなくて、娘と接するのが辛い時期もあった。でも今は、娘と手を繋いで、ゆっくりと歩く時間が愛おしい。
ひとり親の子育ては、やっぱり大変なときもある。それでも、心豊かに育ててあげたい。娘に寄り添える自分でありたい。このまちで、ヨガを通じて、みんなが自分自身であることを肯定できる場所をつくっていきたい。
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