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ワークストーリー2 花本ゆきのさん

更新日:2023年3月17日

このストーリーは2021年に公開されたものです。

最近、よく島根のおばあちゃんのことを思い出す。物静かなおばあちゃん。幼い頃の私は、帰省するとおばあちゃんの傍らで過ごしていたと両親から聞いた。小豆の入った手作りのお手玉、裁縫箱が好きだった。

泉北で生まれ、泉北で育ち、13年前に結婚。実家近くに戸建を買って、夫と二人の娘と暮らしている。そして3年ほど前から、その家とは別にアトリエを借りて、絵を描いたり、刺繍をしたり、集まりを企画したりしている。

今思えば、幼少期からずっと生きづらさを感じて育った。みんなが当たり前の様にしていることができなくて、それをやりたいとも思えなかった。反抗してばかりで、親はお手上げだったと思う。

高校ぐらいから、心模様は少し楽になっていくけれど、相変わらず目標もなく学校に通うだけの日々。アート系の専門学校に進むも、興味のある授業だけ出席して、なんとなく毎日を過ごしていた。

それがある夜、路上で似顔絵描きの人に出会って、少し風向きが変わる。描いてもらった自分の似顔絵がなんだか無性にうれしくて、私もやってみたいと思った。そして大阪の路上で、生まれて初めてお商売を始めた。
 

友達と道端に座って似顔絵を書いたり、つくったものを売ってみたり。描くことで、喜んでもらえて、しかも収入になる。それでごはんが食べられるし、画材も買える。うれしかったし、おもしろかった。

そんなある日、バイト先の店長に「pittore felice(ピットーレフェリーチェ)」という名前をもらう。それはイタリア語で「幸せな絵描き」という意味の造語。絵を描いて幸せをもらう、私は「幸せな絵描き」だと思った。

5年ほどして、結婚し、母親になる。絵を描く暇なんてない、子育てに向き合う時間。喜び、怒り、うれしい、しんどい。思い通りにならない経験を山ほどして、これまでの全部を少しずつ肯定できるようになってくる。

そして、いろんな人との出会いを通して、段々と「表現」する自分を取り戻していく。義理の姉を通じて針仕事と再会した日。無我夢中で、糸で描いた。魂が震えて、興奮して、眠れなかった。

2018年が終わる頃、15年ぶりに島根に帰ることになった。自然が豊かで、静かな場所。隣町に住むそよさんのおうちに来ると、島根のおばあちゃんと過ごした幼い頃の記憶が、よく蘇る。

がんばらなくていい。ただそこにいていい。私はおばあちゃんの家のような、自由で自然な、ほっとする場所が好きなんだ。そう気づいたら、不思議といろんなことが動き始めて、探していたアトリエも見つかった。

2021年春、「pittore felice」として、貝塚市にある「キタノヴィレッジ」さんで作品展を開かせてもらう。刺繍やドローイングで、とことん作りたいものを作って、それが受け入れてもらえるか。新たな挑戦だった。

たくさんの方が来てくれて、作ったものはほとんど旅立った。素敵なお声掛けや注文もいただく。めちゃくちゃうれしいけど、これは始まり。舞い上がらずに、この気持ちを次に活かすと決めている。

作家活動のほかに、ワークショップの依頼をいただくこともある。泉北・茶山台団地にある交流スペース「茶山台としょかん」の壁に住民みんなで絵を描くという企画でお声掛けいただき、お手伝いをさせてもらったり…

「アップサイクル」の視点を取り入れるようになり、知人に協力してもらって、廃棄されるLANケーブルでかごを作るワークショップを企画したり。子どもたちとブローチを作ることもある。

泉北はおもしろいまちだと思う。ふらっと訪ねた先で、出会った人と話しているうちに仕事が生まれたりする。田畑もできるし、馬のお世話もできる。人のつながりから、やりたいと思っていたことが自然と形になる。

社会がどんどん進化して、変わるものと変わらないものが二極化していく中、両方を知りながら、どう心地よく働き、生きるのか。真ん中を模索していきたい。その道は、きっと子どもたちの心豊かな未来につながるはず。

そして最後は、大きくなった娘たちや訪ねてきた人たちがほっとできる場所をつくりたい。そこで縁側に座ってお茶を飲みながら、来る人に「いらっしゃい」と声をかける、おばあちゃんになっていたい。

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