会議録(第3回堺市都心交通検討会議)
更新日:2014年2月26日
1 開催日時 | 平成25年1月24日(木曜)、午後6時から午後8時 |
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2 開催場所 | 堺市役所 本館3階 大会議室1 |
3 出席者 | 委員(50音順、敬称略) |
前回会議内容の確認
正司座長
パーソントリップ調査について、平日データであることを明記しほうがいい。また、休日についてはサンプルが少ないのでここまでできないのは承知しているが、分析していないのか。
事務局
平日の分析結果であることを表記する。休日はまだ分析できておらず、今後検討させていただきたい。
宇都宮委員
病院への通院は「送迎等」に入るのか。高齢の方が移動される目的として通院というのは結構あるのではないかと思うが。
事務局
そのとおりである。
正司座長
出発地別のデータについて、大阪府のほうが堺市内より多くなっているが、これぐらいの バランスで違和感はないのか、意外だったのか。
事務局
まだ細かく分析ができているわけではないが、資料(2)最後の右の流動図を見ると、例えば美原区と堺区は線が引かれていないが、これは5千人トリップエンドを下回るような移動しかないということで、これは意外ということ以上に、これから交通だけではなく、まちづくりや行政全体のことを考えていく上で踏まえておくべき結果になっているのではないかと考えている。直接接していない他の区と堺区をどう結び付けていくかといったことは1つの課題になろうかと考えている。
宇都宮委員
データに関してはあまり特徴的な姿が都心には出ておらず、淡々と事実関係を並べているという印象だが、逆に言えば、もし都心機能がより集中していれば、例えば買い物の流動が多いとか、娯楽の流動が多いとか、相対的にそういう可能性があったが、図を見る限りでは、Aゾーン、Bゾーン、あるいは堺区全体を見ても、そういう意味では都心としての特徴がないという特徴が出た、そういう理解になるのか。
事務局
この結果だけでそう言い切るにはもう少し整理が必要かと考えている。ただ、特に堺区と他区との関係について、堺区に来る、さらに堺区の中でも都心ゾーンに来る移動が特色づいてほしい、いろんな目的でここに集中してほしいという思いは行政として当然ある。細かな分析ではあまりわからなかったが、流動図にすると明確になったので、これについては交通を考える上での要素がかなりあると思っている。
正司座長
これは平日のデータを整理した結果であることに注意が必要である。また、都心の着地特性と他の区の着地特性を比較しないと都心としての特徴について議論ができないところがあると思う。
弘本委員
前回の調査に比べてどこか変化を感じたことはあるか。
事務局
今回のような都心に特化した分析は、10年前には行っていない。最後の流動図は前回の結果があるので比較は可能だが、まだ分析というところまではできていない。分担率がどう変化しているのか、自動車の割合が下がってきて他の割合が上がってきている、といった全体の大きなトレンドを見ている状況である。まだあまり細かい分析はできていない。
正司座長
さらに分析を続けられると思うので、この会議にも情報提示していただきたい。
都心活性化に交通が果たす役割について
正司座長
都心の状況を交通面から示してもらったが、交通と一言で言っても、移動という意味での交通もあれば、交通機関、交通手段という意味の交通もある。どちらかの議論に絞るということではなく、いろんな角度からご意見をいただければと思う。
宇都宮委員
川崎や北九州との比較について、同じ政令都市としても非常によく似ている。堺の特色は、自動車交通量と事業所等はあるが、歩行者交通量が少ない。川崎は最近、JR川崎駅の西側にラゾーナ川崎というショッピングセンターができ、かなりにぎやかになったという経緯があったのでそのせいかと思ったが、平成17年度の道路交通センサスの交通量ということは、まだラゾーナができていないので、できる前の川崎と比べても堺の交通量はかなり少ない。一方で、商業集積を見ると、こちらは平成19年の商業統計調査なので、ラゾーナができて以降の川崎と比べても、事業所数だけを見るとさほど差はないという中で、やはり歩行者量が少ないというのが1つの特徴ではないかと感じた。川崎からは東京にもすぐ行ける、横浜にもすぐ行ける、川崎の郊外の人は直接東京に行ってしまう。そうでありながら、実際にまちを歩いてみても川崎の駅前商店街はそれなりに人がいるのに対して、堺はそこまでではないなという印象があったので、改めてデータを見ると、それがわかった気がした。
それでは、何が堺と川崎で違うのか。都心の強みと弱みの整理で、交通の現状は公共交通を中心に書いていると思うが、道路交通は堺も大変整っている中で、公共交通はモード間の連携が弱いというところが川崎と違うのではないかと思えた。また、商業のところで大規模商業施設が都心外で出店しているとあるが、これは川崎でも北九州でも同じ問題を抱えていると思う。そういったことを考えると、改めて堺市は交通モード間の連携が弱いということが1つの問題として浮き彫りになったのではないかと思う。
田中委員
堺は道路もきっちりしていて、交通情報も確認できるが、堺東駅を降りて緊張感がなかなか解けないというか、道路という視点で見るとかっちりしすぎているというか、整いすぎている。もちろん内部のほうに入っていくとコンパクトにできた地域もあるのだが、とかく道路が通っているところはきっちりと作られすぎているという感じを受けた。
例えば、鉄道とバスの乗り換えが便利で歩かずに済むが、それが逆に便利すぎて、ゆっくりと、「堺東に来たな」という感じを持たせない。南海本線の浜寺公園駅から阪堺線の浜寺駅前停留場の間は歩いて移動するのだが、その歩くということで「浜寺公園が見えるので、少しゆっくりと歩いてみようか」という気になる。それで阪堺線の和菓子でも買おうかと思うと、和菓子屋さんがすぐそばにある。都心はあまりにもうまく交通網を作りすぎたために、逆に外から来た人、あるいは都心以外から来た人にとっては、非常に窮屈な感じを受ける。歩くというのは、目的もなく歩くということもあり得るので、目的を持って移動しているということではない部分というか、回遊性といった部分をもっと重要視すべきではないかという気がする。
私は堺市都市整備公社のまちづくり活動の支援をしているが、堺市の地図に市民活動を点で表すと、南区と美原区は活動支援に応募してきた市民団体がなかった。美原区や南区は市民活動が活発でないわけでもないはずだが、多分都心まで行って助成金を申請することまではないといったところではないかと思う。やはり南区や美原区の人たちが都心に気軽に来ていただけるような状況が生み出せていないのではないかと感じている。
正司座長
お二人の意見とも、都心部に人が歩いていないのではないかというご指摘といえ、道路がすっきりしすぎていて、機能的すぎるという話でもあると思う。百貨店などでは意図的に迷路を作って上の階にお客さんを上げるようなことをするのだが、一言でいうと猥雑さというか、ごちゃごちゃしたところがないことが、きれいだけれど面白くないということになっている面もあるのではないか。特に、平面に人がいないから出てこないのか、出てこないからいないのか、わざわざ平面に出なくても移動できるような構造になっているのか。そのあたりは難しい話だと思う。
田中委員
すっきりしすぎているだけではなく、ちょっと中に入れば面白いところがいっぱいあるのだが、そこまで外部の人が行くかというと、なかなか。そこに行くように、例えば駅を降りてすぐにバス停があるのではなくて、到着して、自問自答できるような空間というか、スペースのようなものがあって、少し歩いて乗る。そこで一度落ち着けるという空間が必要。サイン計画も今までやってこられたようだが、そのあたりをうまく拠点の中で整備する必要があるのではないか。あまりにもカチカチに作っていて、いろんな面白さがあるのに、それが活用されていない気がする。
宇都宮委員
同じような話だが、道路は使いやすくなっている。言い換えると非常に広い道路がたくさんあって、整然としている。それがむしろ歩く楽しみを奪っている感じがある。これまで産業都市としての道路交通をしっかりと担うべく、他の政令指定都市に負けずに頑張ってきた結果の裏がえしが、歩行者量の現状として現れているのではないか。都心の強み・弱みの整理や3番目の議題にある道路の特性比較、そして川崎との比較を見てもそういう印象がある。
川崎の件を繰り返し申し上げれば、堺の人は大阪に出てしまうからにぎわいがないという理屈は多分成り立たないということである。川崎も同じ立地条件で東京に出てしまうし、横浜にも出てしまう。また、郊外の人はダイレクトに東京へ出ていく人が多い中で、川崎と堺は何が違うのかというところから出てくる話かと思う。
弘本委員
現状という意味では、先生方のおっしゃっているとおりと思う。今後に向けてという意味では、今までの整然とした産業都市の「合理的に人・物を運ぶ」という都市づくりから、小さいが人の暮らしの豊かさを体験できるように、少しずつ成熟していかなければいけない。これから高齢化がますます進んでいく中で、できるだけ多くの方が元気に動くためにも、まちの中で暮らす、まちの中に出かけていくという生活文化を支えていくような仕組みを作っていくという発想が大事だと思う。それから、子どもたちの安全を見守るという意味で、やはり人の目で見守ることが最も安全なので、子どもたちの安全な交通環境を育むため、人々の目線等を作っていくシステムも必要になってくると思う。
また、これから文化施設や文化観光拠点の整備を進めていく中でも、そちら側の発想と交通側の発想をうまくすり合わせていくことを考えていかないといけないのではないかと感じる。
田中委員
高齢者の方のことを考えるのは当たり前のことだが、先ほど弘本先生がおっしゃったように、それを見守る人たちがいて、ついつい助けを生み出すというか、人と人との関わりを生み出せるような計画というのは、拠点整備の中で無理ではないはずである。利便性や効率性だけで作ってしまうのではなく、ちょっと余裕のある空間というか、スペースが必要ではないかと思う。
いつも堺東駅で降りてバスに乗ろうとしたとき、たくさん並んでいる人たちを見たり、いいサインがあっても十分活用されていなかったりというのが、気にかかるところではある。
正司座長
計画を作るときは課題の把握から入り、問題を解決するために作るので、例えばサイン計画も人を溜めるためにサインを作るわけではなく、人を流そうとする。それはもちろん大切なことだが、一方で、自然発生的にいろんな賑わいができるところで人々が自由にいろんなことを試せることを意図的に促すような計画、仕掛けというのもあり得るわけだが簡単ではない。そういう意味で歩行者計画は難しい。計画というのは両方のパターンがあっていいはずで、その2つを意図的に、表と裏か、並行してパラレルで作るのか。特に、本来便利でほっておいても人や活動が集まってくるはずの都心がちょっと元気がないのをどうにかしようといったときには、集まり方の弱いところの仕掛けを考える、問題解決型ではない計画が求められているのではないかと思う。
宇都宮委員
先ほどの川崎との比較で、堺は大阪に近いからという理屈は成り立たないということを申し上げた。川崎は川崎駅に駅が集中している。京急川崎駅は若干離れているが、それでも近くにある。堺は、それに対していくつかの駅が離れている。多分そのあたりが賑わいを作る上での問題なのではないかと感じているだろうと思うし、私もそれは要素としてはあり得るとは思うのだが、身近な例で言えば、高槻のような堺よりもむしろ小さな都市であったとしても、そこには百貨店がある。阪急高槻市駅とJR高槻駅は歩けば15分かかるぐらい離れているが、むしろその離れていることによって、その間を人々が歩いて、賑わいを維持しているようにも見える。
高槻は15分ぐらいかもしれないが、海外の都市でも大体鉄道駅というのは都心から離れている。日本でも地方の都市は離れていることが多い。実際は、地方都市は駅から離れた中心市街地が賑わいを失っているケースが多いのだが、例えば九州の熊本や鹿児島といった都市は比較的賑わいを維持していると言われていて、あそこも駅から離れている。駅が集中せずとも賑わいを維持している中心街もあるのではないかと思う。
イギリスのマンチェスターも、まちの中心の縁(へり)と縁に拠点となるターミナルが分かれていた。都心交通を変えることによって中心街の賑わいを維持し、若干衰退していたものが盛り返している。海外の諸都市においても、駅の拠点があるから賑わっているということではないと思う。堺は駅が離れていることが気になるのだろうが、それゆえに賑わいを取り戻せないということではないと思う。むしろ先ほどの話で言えば、今は若干歩ける、そういう余地を持っているのではないか。
正司座長
高槻やマンチェスターとの比較は面白いと思う。高槻はふたつの駅間は10分ぐらいなので徒歩圏である。マンチェスターは、ピカデリー駅とビクトリア駅の間は歩くには遠く、バスに乗らなければいけない距離で、それぞれに駅前はあったがバラバラだったと聞く。昔は都市自体にパワーがあったので大丈夫だったが、落ちてきて、それを北から南へ、都心を貫く路面電車を郊外鉄道からそのまま乗り入れる形で実現したという。マンチェスターはそういった仕掛けを入れた。このように、1つの交通システムを作ることと都心の賑わい再生との一体化した戦略を取った例かと思う。
マンチェスターの例は「つなぐ」がキーワードだが、裏道の楽しさという話もよくある。裏道は面白いのだが、路地だったりするので、それを横に移動していかなければいけない。堺の人が横に移動しないのは、魅力が少ないからなのか、横の移動が大変だからなのか、その両方なのか。そのあたりまで検討しないと、これでも都心部は人の移動が多いはずなので、このままでは都市としてのまとまりがだんだんなくなるのではないかという危惧もある。
資料で、「人が目に見える」ではなく、「移動が目に見える」という形で書かれているのは重要な指摘だと思う。いろんな都市の活性化について研究されて出てきたのであれば、そのあたりの事務局の考えを聞かせていただきたい。
事務局
堺市では、シンボルロードとして大小路の道路整備に30年弱ぐらい前から取り組み、おそらく全国でも質の高い、高質な道路空間ができ上がっていると思う。残念ながら当初は、単純に歩道を広げれば賑わいが出ると信じていた。また、それ以前には、戦災で焼けた後に、火事、災害に強いまちをめざして、戦前は狭かった道路を戦災復興で広げ、都市の骨格として立派なまちの中心部ができ上がった。そういう経緯がある。
ただ一方で、多くの商業施設が消えていき、また歩行者量もどうやって増やしていけばいいのかの答えが見えない中で、都心交通の検討と並行して、阪堺線の活性化に向けて、少し交通の枠組みを超えた様々な取り組みをさせていただいている。いかに人々の見えるところで、実際の人の移動という部分も含めて、そういった取組みを見ていただけるのか。
先ほど少し裏に入ると面白いところが堺にはたくさんあるのではないかというご意見をいただいたが、そういった人の活動なり、そこへ行く人の移動、楽しそうな人の表情も含めた移動というものを目に見えるものにしていくことが、まちのわくわく、市長も「わくわく」をめざすということを最近よく申し上げているが、それに近づく1つの要素ではないかと思う。おっしゃられたように交通には2つの側面があり、交通機関的な話と同時に、いわゆる動いている部分、これは乗り物を降りた後が中心になるかと思うが、そういったところをいかに見せていくか、見える化していくかというあたりを、堺は決して人が少ないわけではなく、産業も含めて数字が低いわけではない中で、工夫のしどころを何かしら考えていく必要があると思う。これを成立させられる明確な答えを持っているわけではないのだが、こういう形でご提示させていただいた。先生方からご意見をいただき、そこの答えを見出していきたいと思う。
田中委員
比較というわけではないのだが、飯田市を思い出した。飯田市も大火で昭和20年ぐらいにまちが焼失して、隣焼の恐れがある細い路地はやめようということで、大きな道路を十字に通してまちを4つに分散させた。それは有名な話なのだが、あそこがなぜ観光地になったかというと、道路の中央分離帯にりんご並木があり、そのりんご並木は地元の中学生がずっと育てている。普通、りんごの実が生ったら誰か取る人がいるものだが、皆、大火の後にそのりんごを育てたというストーリーをわかっていて、そういうストーリーがずっと語り継がれてきたために実を取らない。周辺を歩いてみると、まちは全部焼けたのだが、蔵が至る所に残っていたので、その蔵を改修してカフェなどを作ったり、二度と災害が起こらないように裏側の道を整備したり、至る所に看板を立て、「これはこういうことで蔵の建物を修復させた」というストーリーが書かれてあったりもする。いい道路と裏側の路地があるので、それをどう関連付けて魅力あるものとして感じてもらうのか。看板を立てるとか、あるいは語り継がれるようなものを作るなど、小さな仕掛けの積み重ねでよく、たくさんの予算を使っていいものを作る必要はないのではないかと感じた。
弘本委員
今、田中先生がおっしゃった小さな仕掛けづくりという話では、堺区役所がまちづくりを市民参画で進めている。例えば、区民まちづくり会議をプラットホームに、市民の方がいろんな取り組みをされている。そこに大学のコンソーシアムも参画されたりしているので、そういうところとうまくつなげると、先生がおっしゃったようなことは仕掛けていけるのではないかと思う。そういうところと交通網をうまくリンクしていただけたらと思う。
正司座長
おそらくそういった仕掛けというか、芽はあるので、それを育てるのと、もっと大きく羽ばたくための計画というか、バックボーンになるようなもの、ことをどう作るか、それら2つを同時に考えることが大事だと思う。
都心における主要道路の特性比較
宇都宮委員
改めて堺を歩いて、整然とした道路が完備されている都市だと感じた。緑も多く、都市計画的には非常に良くできていると思うのだが、他の先生方からご指摘があったように、賑わいとは少し違う方向に行っている。これまでの都市計画というのは、堺のような産業都市の場合はそれを支えるためのインフラとして道路が機能してきたわけで、それを否定するつもりはないが、今後、改めて道路の機能を考えるとすると、道路は交通のキーとおっしゃったが、それは単に人を流すという意味でのキーではなく、道路を賑わいの空間にするためには、従来の整備とは違ったことを考えたほうがいいのではないかと感じる。例えばフランスのナントでは、川を埋めて道路にしたのをもう1回、水辺を再生するなど、かなり大がかりなこともやっていたと思う。
それから、堺は渋滞が少なく、比較的スムーズだということだが、「車に便利なまちづくり」が、「人が歩いて楽しいまちづくり」と一致するのか。場合によっては相反するということも念頭に置いた上で考えていく必要があるのではないか。
田中委員
日常と非日常とがあると思うが、非日常として、堺はイベントが多い。その中で歩行者天国にしたり、道路空間を別の用途で使ったりしているものは、どういった時期にどういうイベントをどこの場所で行っているのか。
事務局
車道を使った代表的なものとしては、長年、堺まつりを年に1回、秋に開催している。10月の第3日曜日に、堺駅と堺東駅を結んでいる大小路線を、阪神高速の通っている交差点は歩道橋があるので止めないが、通行止めにしてパレードを行っている。
それ以外では、11月に堺区ふれあいまつりがある。市役所の前、阪神高速と大阪和泉泉南線の間の区間について、時間は少し短くなるが通行止めにし歩行者天国的にしている。
それから、堺まつりのときは、大小路線と同時に道路交通の関係で大道筋の一部区間も通行止めにするなど、かなり広範囲にわたって道路使用を行っている。
田中委員
日常と非日常をうまく使い分ける必要があって、私の大学の学生で堺に住んでいる人が何人かは、堺まつりのパレードは非常に興味を持って見ている。「あのパレードがあるから堺が好き」と言っている。私も1度拝見したいと思っている。道路は、通常は交通を捌くものであったとしても、非日常で愛着を持ってもらえる可能性は十分あり得るのではないかと思う。そういうものを長年やられているところがポイントで、それをいかに広げていくか。
私の研究室に徳島出身で、徳島の中心市街地の活性化を研究したいという学生がいる。徳島の大きなイベントとしては、8月の阿波踊りがある。夏場だけ賑わうのではなく、春も冬も秋も賑わうには、阿波踊りのような大きなイベントだけではなく、それに関係するような小さなイベントをどのようにつなぎ合わせていくかというところを研究している。みんなが愛着を持っている大きなイベントと連動させるような小さなイベントを、道路周辺で展開させるのも1つの方法ではないかと感じた。
弘本委員
堺の都心では人口が増えており、大阪市に通う方が多いのだろうが、交通利便性が高く住環境は比較的ゆったり暮らせることを評価してお住まいになられる方が多いと伺っている。もともと堺に住んでいる方はある程度まちをご存じかもしれないが、新たに堺を居住地として選んで来られた方や、あるいはもともと住んでいたがそれほど堺を知らなかった方などは、自分の住んでいる場所しか知らないという方がかなり多いのが実態ではないかと思う。行動範囲が極めて狭いというか。そういう方々がもう少しまちの中に出ていくような仕掛けがあまりなされていないのではないかと思う。例えば、最近、転居してきた際にガイドマップを渡すまちがある。そのときに、交通手段をどのように使ってどのように楽しめるのかという情報や、交通を軸としたまちの楽しみ方の情報提供があるとかよいのではないか。そこに住み始めた時というのは、まちに対して出ていきたいという動機が高いと思う。やがて何もしなくなっていくのだが、最初は知りたいという思いがあり、情報を渡すには非常にいいチャンスなので、そういう方々がまちに交わる機会を作る。そのために交通を1つ武器として活用していくことを考えてもいいのではないかと思う。
宇都宮委員
イベントは重要だが、これを打ち続けるのも大変だと思う。そういう中で、賑わいのひとつの要素として、アルコールを飲めるかどうかがある。自動車との関係になるのだが、富山でセントラムという環状線の公共交通を作った。自動車を使うか公共交通を使うかで大きく人々の来街頻度が異なり、まちなかの滞在時間も公共交通のほうが長く、消費金額も公共交通のほうが高いという結果が出ている。もちろんイベントがあればそれに越したことはないのだが、公共交通で来ることによって、車のように点と点を結んで、駐車して目的物だけを買って帰るのではなく、歩くことによってまちなかでお金を使う。最終的にはアルコールが入ることによって消費金額が上がっていく。特殊なイベントだけに頼らずとも、交通を使いながらまちのにぎわいを創出しているという数値がはっきり出ている。そう考えると、先ほどの道路依存のまちづくり、自動車にやさしいまちづくりとは違った方向で考える必要はあるのではないかと感じる。堺の休日の交通手段はデータがないのでわからないのだが、平日の自動車の交通手段分担率は高かったと思う。そういうことを考えても、これだけ道路が整備されていて、渋滞もなければ、自家用車で行こうかという方も多いのではないかと思う。そのあたりの考え方を少し変えていくべきなのではないかと感じる。
正司座長
資料「都心における主要道路の特性比較」の書き方だが、道路の役割の交通機能と空間機能といったところはいいのだが、「交通を考える上で、最も基本的な空間」と書かれている。「道」ならいいのだが、「道路」と書かれている。ここをまとめるのはロジックで、道路ではないはずである。この書き方を変えないといけないのではないかと思う。そういう意味では、ここで交通機能の比較をしているのは通行量だけで、他はどこと結んでいるかしか書いておらず、本当は大静脈と毛細血管の比喩にあるとおり、堺市に直接関係のない車でも市内を移動しないといけない。それを流すための道と、そうではない道がある。車に乗っている人は強者であり、ちょっと遠回りをしてもすぐに着くので、それを外回りさせる道とさせない道というのは考えて作っているはずで、そういったことが特性比較の議論にも出てこないと、議題2で言っていた話と矛盾する気がする。
一定の道幅で賑わいを創出するというと、実際には車の走行空間を削って活用することになると思う。しかし単に削るだけだと大小路のようにたくさん歩いていても賑わっているように見えない形になる。「道路の望ましい使い方は?」で終わっていると、昔の高度成長期のころの都市計画の議論からあまり変わっておらず、資料2でめざしている、みんながわくわくするような都心を作ろうという議論とは合わない。意図とは違うと思うが、ついつい昔ながらの発想が残っているのではないかという気がする。3人のご意見を踏まえてストレートに言うとそういうことかと思う。
田中委員
歩くにしても歩ける距離というものがあって、障害をお持ちの方や高齢者の方もいるし、アルコールの話もあったが、車を使わずまちを楽しみたいという人もいる。例えば与謝野晶子生家跡から山口家住宅まではゆっくり歩けるとは思うのだが、それらをつなぐような、距離的に言うとそんなに長くない小さなコミュニティバスのようなものはあるのか。
事務局
山口家住宅から与謝野晶子生家跡のある宿院あたりまでの移動で申し上げると、阪堺線の停留場間が250mから200mぐらいの間隔にあり、そういった移動を阪堺線が担っていると考えている。
また、仁徳天皇陵古墳周辺から旧市街地への移動については、参考資料(2)のバス路線を見ていただくとおわかりかもしれないが、庁内でもその間を結ぶ交通機能が弱いという意見が出ている。気軽に乗り物に乗ったり、歩いたり、さらに乗って巡れるような交通機能も、先ほど来出ている高度成長期における交通機能を単に数字的に上げていくようなものとは別に、まちづくりの特色として考えていかなければいけないのではないかという議論をしている。
田中委員
以前、豊中市において交通社会実験として、起伏のある坂道を小さな乗合自動車のようなものを巡らせた。対面で座ってちょっと話ができるぐらいの、タクシーより少し大きくて、バスより少し小さいものだった。必ずしも官が主導でやる必要はなく、NPOでやっている人たちもいるので、民と官が一緒になってやれるような小さな取り組みで、主要道路と細街路をつなぐことで堺の魅力が伝わるようなものがあればいいと思う。
金沢では商店街の中を走るバスがあり、通る前と通る後でどれだけ商店街に落ちたお金が変わったかを研究されている人もいる。自動車ほどではないが、高齢者の方は自転車に乗れない方も多いので、そういうものがあればいいのではないかと感じた。
事務局
先ほどの説明の補足だが、春と秋の文化財特別公開時に限定で、無料ループバスを走らせている。観光移動の充実ということで、このサービスは好評であり、庁内でも少し拡大していけないかという議論がされている。
また、日常的な移動という点では、堺の場合は自転車に特色がある。これは単に乗り物としてだけではなく産業的な面もあるので、自転車も活用しながら、堺では高齢者もたくさん自転車に乗っておりその辺の安全性を確保するというテーマもあるのだが、今おっしゃられたような小さな移動も見える交通というか、賑わいにもつながる要素かと考えている。
正司座長
ここで1つだけ注意していただきたいのは、単機能の交通システムを作るのはよくないということである。歩行者支援的な交通システムと、地点へ運ぶための交通システムは全く性格が違う。これを両方同じシステムでやるのは非常に難しい。システムというより、地形に恵まれていないとできないことが多いので、往々にしてそれを勘違いしてシステムを入れて失敗するというケースがある。そういうことは堺市では絶対にしないでいただきたいと思う。
事務局
本日ご欠席の塚本先生から事前にご意見を頂いているのでご紹介する。
堺市の特殊性として、堺区が全市域的には求心力が少し弱く、いわゆる都心になりきれていないという課題を解決していく観点を持つべきではないか。堺区が中心的な区であると認識することの必要性、そう思っていただけるだけの都市機能をどう持たせるかの議論が必要ではないか。そういうことがあれば、いろんな政策について議論をしていく素地ができるのではないか、というご意見である。
また、検討の宿題として、堺区とそれ以外の区との比較、あるいは堺東駅や堺駅とそれ以外の主要駅との比較といったことも必要ではないかというご意見もいただいている。
正司座長
そういったことは冒頭の議論の中でも出ていたところであるので、作業を進めていただきたい。実際の印象とデータを見ると違うケースも多いので、川崎市と比較してみてもいいのではないか。
宇都宮委員
塚本先生のご意見はごもっともだが、若干気をつけたいのは、「べき論」として「賑わいを取り戻すべきである」ということは言ってもいいと思うのだが、無理やり郊外の堺市全体の人が本当に堺区を都心に感じなければいけないのか。例えば川崎市であれば、山のほうの東急田園都市線沿線の宮前区の人は、川崎区を中心に考えなさいとは多分言ってないと思う。無理やりではなく、むしろ堺のポテンシャルとして、やりよう次第で自然に人が集まり得るだけの条件が整っていると思うので、それを誘い出すような仕掛けをよく考えたほうがいいのではないかと思う。もちろん大きな方向として、自動車に依存し過ぎているのではないかとか、いくつか「べき論」はあるのだが、都市区域として堺区を都心とすべきで、そのために郊外の人を来させる、といったあまり強い計画ではない、もう少し人々の動機づけにつながるような仕掛けを考えていくほうがいいのではないかと思う。
弘本委員
私も同じことを感じている。クオリティ・オブ・ライフというか、生活の質という観点で見たときに、質の高い状況を作っていくことが必要なのではないかと思っている。とりわけ先ほどの川崎との比較でも、人口や事業所という意味では大きな差はないのに、人々があまり行動していない。行動範囲が狭いということは、生活の充実感が少ないのではないかという気がする。まちの中でいろんな交わりがあることが、生活の充実や、そのまちに対する愛着、生きる張り合いにつながっていくので、そういった視点でそのまちが暮らしていて心地よく、このまちに住んでいて良かったと思えるような状況であるというところが一番大きな尺度なのかと思う。その尺度を支えられるような交通体系を作っていく、堺の都心のあり方を考えていく、先生のお言葉を借りれば、仕掛けを作るということが重要ではないかと思っている。それが都心の品格や魅力になっていけばいいのではないかと思う。
正司座長
塚本先生は、それを踏まえた上でも、堺は都心の強さが弱いと言われており、実は弱くないというデータが出てくるのではないかということを汲んだ上で宿題、課題として提起されているのではないかという気もする。川崎と比べて堺の条件が厳しいのは、首都圏よりも車が使いやすい環境があって、大阪でも車は止められる状況がある。東京ではそれはあり得ない。一方で、川崎にもたとえば宮前区のように、川崎区を経由しなくても東京にまっすぐ行ける路線がたくさんあるという弱点がある。そういったプラス、マイナスの要素はいろいろあるのだが、堺の歩行者が少ないのは確かである。やはり、車の使いやすさだけで進めていくのかどうかというところは分析しないといけないと思う。車が30年前より減っているのかどうかというと、まだそこまでシフトしていないはずなので、それぞれの関係みたいな話も重要ではないかと思う。データの解析をもう少し続けられるということなので、そのあたりをぜひとも解析いただきたい。
閉会
事務局
本日は、交通の面だけにとどまらず、堺の都心がどうしたら活性化し、賑わいを生み出せるのかということについてご議論をいただいた。いただいた宿題も含めて、事務局のほうで再整理を行い、堺の都心交通のあり方をご議論いただけるよう、準備に努めたいと考えている。
また、後日、さらにお気づきの点、ご質問等があれば事務局まで連絡をお願いする。次回会議に向けて整理をさせていただきたいと思う。
次回の日程は、決まり次第ご連絡をさせていただく。
以上をもって、第3回堺市都心交通検討会議を閉会させていただく。本日はどうもありがとうございました。
以上
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