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堺をおもえば…扇原貴宏さん 思い出の場所と店

更新日:2023年8月3日

堺をおもえば…扇原貴宏さん

扇原貴宏さんの思い出を辿る

扇原貴宏さんとめぐる、あの名店と名所へようこそ

菩提幼稚園

幼稚園の卒園文集に「おおきくなったら…」

 扇原選手が通った菩提幼稚園は園庭が広く、子どもたちが伸び伸びと遊んでいた。
 その一室で、松本陽子園長は扇原一家について嬉しそうに語ってくださった。
「扇原君のお母さんはPTA会長をやってくださったこともあって、今でも年賀状のやりとりをしているのでよく覚えています。兄弟で通っていて、お兄ちゃんの正吏君はおとなしくて、貴宏君はやんちゃでじっとしていない子でした。お顔はお兄ちゃんはお母さんそっくり、貴宏君はお父さんそっくり。当時から可愛くて、今もあんまり変わっていませんね」
 菩提幼稚園にはサッカークラブがあったとか。
「ちょうどお兄ちゃんが入園した年にコスモスサッカークラブを作って、週1回、先生を呼んで教えてもらうようにしたんです。今でも続けていますよ。正吏君が初代で、貴宏君も後から入りました。2人とも運動神経がよくて上手でしたけど、貴宏君は負けず嫌いでお兄ちゃんに負けたくないみたいでしたね(笑)」
 園長先生は、扇原選手が卒業した平成9年(1997)の卒園記念文集「さいしょのだいいっぽ」を探しておいてくださった! そこには覚えたばかりのひらがなでこう書かれている。
「ほしぐみ おうぎはらたかひろ おおきくなったら、さっかあせんしゅになりたいです。そしてつよいせんしゅになれるようにがんばります。」
 自分がサッカーをしている絵も書いてある。幼稚園の頃からまったくブレていないのだ!
 お母さんからは「たかひろくん そつえんおめでとう 3ねんかんよくがんばったね。しょうがっこうへいっても いっぱいあそんでたくましくなってね。おかあさんより」という温かいメッセージが書いてある。
 担任の先生からは「スポーツがとくいなたかひろくんだから きっとつよいサッカーせんしゅになれることでしょう。せんせいはたかひろくんといっしょにサッカーゲームをしたことをぜったいわすれないよ! いつまでもやさしいたかひろくんでいてね」

「ぼくのたからもの」というコーナーでは「ゲームボーイ」と書いてあるから、この頃、これでサッカーゲームをするのが好きだったのかもしれない。
 園長先生によると、担任の先生は扇原選手がプロになってからセレッソ大阪の握手会に行ったことがあるそうだ。
「そうしたら、お母さんが気づいて貴宏君を連れて来てくださったんですって。扇原さんはご夫婦の仲がよくて、それがお子さんたちにいい影響を与えているんじゃないでしょうか。仲良しファミリーで、みんな優しいんですよ」
 扇原選手がロンドンオリンピックに出場したときは大盛り上がりだったという。
「貴宏君がうちの卒業生なのは誇りです。一度、遊びに来て欲しいですねえ」
 園長先生は優しい笑顔でこう締めくくった。

第二東初芝公園

小・中学校と思い出の第二東初芝公園

 堺市立日置荘小学校と日置荘中学校は隣同士。ここに計9年通ったわけだ。
 そこから北東に400mほど行ったところに、一番よく遊びに行ったという第二東初芝公園がある。
 壁の丸い穴をめがけてサッカーボールを蹴っていたそうだが、2年前に改築されてその壁はなくなってしまった。 改築前の写真を見ると、確かに丸や三角や星型の穴が開いたコンクリートの壁がある。近所の方の話では「野球やサッカーをする子どもたちが、よく穴をめがけてボールを放ったり、蹴ったりしてましたわ」とのこと。思い出の壁がなくなってしまったのはちょっと残念だ。

大忠

家族ぐるみのお付き合いの駄菓子屋さん

 第二東初芝公園の近くに、中野尚(たかし)さんと親子(ちかこ)さん夫妻が経営する酒屋兼駄菓子屋の[大忠]がある。親子さんの父上が60年前に酒屋として創業、30年ほど前から駄菓子も置くようになったそうだ。中野さん夫妻は扇原選手のことをよく知っているという。
「扇原君のおばあちゃんが近くに住んでいたから、生まれたときから知っていますよ。うちの嫁さんがお母さんと仲がいいしね。うちではガブリチュウというお菓子をよく買ってたのを覚えています。でも、小学生の頃は友だちと来ても、自分がお金を持っていないと店に入って来ないんです。親の躾だったのかな。

 貴宏君は小学生の頃からサッカーがうまいので有名でしたよ。技術のレベルが普通の子じゃなかった。注目されているせいか、当時は気がきつかったね。今のほうが愛想あるわ(笑)。去年の暮れも“僕の彼女です・・・”って、きれいな女の子連れて来たわ」
 いえ、去年、結婚したので奥さんでしょう。
「エーッ、結婚したの!? “彼女です”て言うてたけどなぁ。美人で控えめな感じの人やったわ」
さりげなく紹介しに寄ったのかもしれない。

新金岡FC

堺北FCは今、新金岡FCに

 扇原選手が小学4年生から6年生まで所属していた堺北FCは、今は新金岡FCに統合されている。現監督の福田司(つかさ)さんは堺北時代から扇原選手を見てきた。
「僕が22歳から23歳でコーチをしていた頃、タカ(扇原選手)は日置荘のサッカークラブがなくなるというのでお兄さんと一緒に堺北FCに入ってきたんです。当時は今と違ってFWで、ズバ抜けてうまかったですよ。普段は人なつっこくて可愛くておとなしいんですけど、試合になると目の色が変わる。負けん気が強くて、けっこう相手を引っ張ったりしてました(笑)。もうサッカー一筋のサッカー馬鹿でしたよ」
 当時の監督は米瀬正行さん。
「タカは米瀬さんをものすごく慕っていて、“この監督がいたからプロになれた”と言っています。いつも応援してくれるおじいちゃんのことも慕ってた。でも、2人ともタカがプロになって点を取る前に亡くなっちゃったんですよ。タカがプロとして初めてゴールしたとき、両手の人差し指を空に向かって立てたんですけど、片方は米瀬監督、もう片方はおじいちゃんを指したらしいですよ。泣かせるでしょ?」。扇原選手はおじいちゃんっ子だったのか。
 長年、新金岡FC(堺北FC)を率いてきた米瀬監督はそれほど人望が厚かった。
「だから、うちは2011年に監督が亡くなってから2年間、監督を置かず、コーチだけでやってきたんです。でも、それではやっぱり指導に無理があると、僕が監督になったら、タカがサイン入りの色紙と励ましの手紙をくれたんですよ。嬉しかったなあ。OB 会にも二度ぐらい来てくれたし、正月明けにも遊びに来てくれました。試合では激しいプレーをするけど、そういう優しいヤツなんですよ」

 現在、福田監督は新金岡FCと新金岡SS(サッカースクール)で、幼稚園の年長さんから小学6年生まで約150人を指導している。練習日には新金岡小学校の隣にある金岡東第1公園で子どもたちが真剣にボールを蹴っていた。
「いつか、うちのクラブからタカみたいな子が出て欲しいですねえ。あんな選手、そうはいませんけど」

大阪府立大型児童館ビッグバン

小学校の遠足大定番ビッグバン

 ビッグバンは幼稚園から小学3年から4年ぐらいまでを対象にした大阪府立の大型児童館。扇原選手が小学校2年になった頃の1999年にオープンした。
 扇原選手も覚えている巨大ジャングルジムは「遊具の塔」。地上25mの4階から53mの8階までを8層に区分し、網やポールなど17種類ある垂直遊具を好きなルートで登って行く仕組み。これは大人も楽しめる。
 他に、大昔、大阪に生息していたという約6mのマチカネワニを倍以上の13mの大きさで再現し、中に入ったり、歯を抜いたりして遊べる「アストロキャンプ」。音と光で演出されたエレベーターで宇宙へ出発する「ワープカプセル」。まるで宇宙空間を歩いているような体験ができる漫画家、松本零士名誉館長監修の3D立体映像通路「ほしのみち」。日本が活気にあふれていた昭和30年代の街並みを再現して、当時のおもちゃで遊べる空間など盛りだくさんだ。
 安全性が考慮されているので、小学生が友だち同士で自由に遊んでいるのが印象的。親が楽をできる施設かもしれない。

親も楽できる大阪府立大型児童館ビッグバン

萩原天神

お祭りの金魚すくいが好きだった萩原天神

 萩原神社は、近世には萩原山日置天神と称され、伝記によれば天徳3年(960)に菅原道真公が祀られたことが記されているという。正面の参道は狭いが、境内は広く、梅、桜、シバザクラ、藤、パンジー、ベゴニア、ネムノキなど季節の花があふれる神社でもある。
毎年10月に秋祭りが催され、だんじりやふとん太鼓の宮入が行われる。
1月9、10日のエビス祭りは福引き、縁起物、餅巻きなどで賑わう。
4月29日の昭和の日に行われる赤ちゃんの泣き相撲でも有名。先に泣いたら勝ちとするか、負けとするか、神社によって違うが、萩原天神は先に泣いたら勝ちである。

ラウンドワンスタジアム堺中央環状店

数あるラウンドワンの中でも国内最大級

 大泉緑地の近くの[ラウンドワンスタジアム堺中央環状店]は2004年12月オープンというから、ちょうど扇原選手が中学生になった頃にできたものだ。
 数あるラウンドワンの中でも最大級の店舗で、スポーツとアミューズメントの融合施設「スポッチャ」が設置されている。入場料だけで時間内なら館内のアイテムを使いたい放題というシステムで、テニス、フットサル、ほか数え切れないほどのアイテムが楽しめる。
 「スポッチャ」のほか、ボウリングもカラオケもあり、特に48レーン横並びのボウリングフロアは圧巻。水曜と木曜はプロボウラーの高田浩規さんのレッスンも開催している。取材日にちょうど高田プロがいらしたので写真のモデルをお願いしたが、さすがフォームが違います。

炭火焼肉のて初芝店

家族でよく行く炭火焼肉

[炭火焼肉のて]は大阪に8店舗あり、扇原選手行きつけの初芝店は南海高野線初芝駅から徒歩4分。
 店長に扇原選手がタンとハラミが好物だと伝えると、「両方とも高タンパク低カロリーですから、スポーツ選手にもいい部位だと思います。それに、うちはタンで有名なんですよ」と言う。
 扇原選手が残したサインは2012年6月9日付けになっているが、エリアマネジャーの渡邊和宏さんは「扇原さんは小さい頃からご家族でよくいらっしゃってます。この間のオフには奥さまとお2人でいらっしゃいましたよ」と教えてくれた。

一心堂本店

フルーツ大福にファンが途切れぬ[一心堂]

 [一心堂]は昭和30年(1955)に大阪で創業し、昭和47年(1972)に萩原天神に移転。40年ほど前に東京でいちご大福が発売されたと聞き、
「いちごを入れるなら冷たくなければおいしくない。うちは冷蔵庫に入れてもおいしいいちご大福を作ろう」
と柔らかいお餅を開発、大きないちごをひと粒丸ごとと丹波大納言小豆で作った餡を包んで売り出したところ、大評判になったという。

 その後、お客さんの「ぶどうの大福が食べたい」「桃も」という要望に応えて、いろいろな果物で作っているうちにフルーツ大福の[一心堂]として全国的に有名になった。今やスイカ、マスクメロン、完熟マンゴー、ラ・フランス、梨など、よそのお店ではあり得ないようなフルーツ大福が名物になっている。果物は厳選され、どれも大きくてジューシーなのにビックリする。しかも、最初の目標通り、冷蔵庫に入れておいても柔らかいので、さらに感激。これは一度食べたらもう一度、と思う味だ。
 フルーツ大福はすべて、毎日、朝から職人さんたちが手作り。店舗は小さいが、朝から晩まで引っ切りなしにお客さんが訪れ、阪急うめだ本店に出した売り場も拡張、オンラインショップも手がけているから、従業員は50人もいるという。

堺カントリークラブ

同級生と行った堺カントリークラブ

 堺カントリークラブは、阪和自動車道の堺インターチェンジから約10キロメートル。金剛生駒山系の豊かな自然の中にある。丘陵地帯にありながら全体的にフラットなコース設計なので、シニアや女性、初心者でも無理なく楽しめるそうだ。松・竹・梅の3コースに9ホールずつあり、計27ホール。特に竹コースは尾根を縦断する珍しいレイアウトで、打ち上げと打ち下ろしのショットにチャレンジできる。
 料金がリーズナブルなせいか、平日の朝から訪れるゴルファーも多い。セレッソやガンバ大阪の選手も来ることもあるという。

地図

※記事内容は取材当時のものです。

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