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記念講演

更新日:2012年12月19日

大賞 ジハン・ペレラ氏

「A DOVE SITS ON MY SHOULDER ~平和への想いを胸に~」

 みなさま、今回遠くスリランカから参りました平和活動家としてみなさまにお話できますことをたいへん光栄に思います。今、世界の政治は、対テロ戦争に向かっており、その結果、世界中に影響が出ています。そして日本も例外ではありません。世界の強国の政府は、一方に付き、そして対テロ戦を戦っています。しかし、日本政府のように、このテロの問題に対してより微妙な立場をとっている国もあります。この世界の対テロ戦争ですが、これは2001年9月11日、アメリカの世界貿易センタービルで発生したテロ以降に形成されました。そしてそれは、小国や、スリランカで起こっているような小さな紛争にも影響を与えています。

 わが国スリランカでは、9.11世界同時多発テロの後、国際的な環境がよい変化をもたらしました。タミール・イーラム解放の虎(LTTE)のリーダーは、スリランカ政府に対して武器を持って、テロを使って攻撃をしていました。そのLTTEが、一方的に、9月11日のちょうど3ヵ月後2001年12月に停戦を宣言しました。当時の首相、ラニル・ウィクラマシンハは、宣言を受け入れました。そしてノルウェー政府の仲介のもと、この宣言は正式なものとなり、政府とLTTEの間での停戦合意がなされたのです。

 しかし、残念ながらもうこの停戦合意は存在しません。この停戦に合意していた政府も現在は反対に回っています。そして、マヒンダ・ラージャパクサ大統領によって2008年に完全に破棄されました。しかし、これは政府側だけを非難するべきものではありません。もともとこの停戦合意の基礎は、5年前から弱いものでした。LTTEは、2003年3月の和平交渉からも立ち去り、また、2003年7月の東京支援国会議への参加も拒否していたのです。

 私が今ここで講演している間にも、先ほど話がありましたように、スリランカでの戦争は激しくなっています。スェーデンのウプサラ大学の調査によりますと、2007年に世界では4つの大規模な戦争があり、その定義は、戦場での死者数が1年間で1,000人を超えるものということです。スリランカは、その中の一つに入っています。そして、イラク、アフガニスタンでの戦争以外にそのような紛争はありません。また、最近スリランカの政府は、過去2年間で11,000人のLTTEの中核メンバーを殺害したと言っています。この数字は誇張されているとはいえ、もし政府側の死亡者数に一般市民の死亡者数を追加すると、その数は、1,000人をゆうに超えるものであります。

 現在、戦争の状況は、スリランカの政府が優勢に立っているように見えます。現在政府軍は、LTTEの本拠地である北部のキリノッチ郊外まで掌握しました。また、政府はすでに、もともとLTTEに支配されていた東側の地域と北部の半分も掌握しています。しかし、LTTEが、以前は全て支配していたその北部の残り半分に集結し、この戦争で最も激しい局面が始まりそうなのです。この地域の一般市民の状況は、本当にひどいものです。LTTEは、まず一般の市民たちがこの地域から出て行くことを許していません。彼らは、市民を地域に閉じ込め、強制的に徴兵し、兵士に育て上げているのです。そして将来的には、政府との戦いの中で、人間の盾として使おうと考えています。この地域の人々は、国際的な人道支援団体に頼ることもできません。というのは、スリランカ政府が国際的支援従事者に対して政府は安全を保障できないので、この地域から一時的に避難するよう要請したからです。ですから、この地域の市民がどのような苦境に立たされているかお分かりになると思います。

 スリランカ政府は、今、これまで25年間不可能だったことが、可能になると考えているようです。これには、政府にとって追い風の状況が発生しているということです。まず一番大きな追い風というのは、現在の政府のリーダーたちは、いかなる犠牲を払ってでもこの戦争に勝つのだという決意をしているということです。本当に決意が強い政府です。一方でこの犠牲は多大なものです。もちろん財政的な支出もありますし、そして人命も犠牲になっています。そしてまた人権侵害も発生しています。拉致、標的殺害、そして一般の人たちが自分たちの家を追われているという状況もあります。軍事的な勝利と民族的なナショナリズムの傲慢さが強まるにつれて、民族的少数派は脅威を感じています。

 そしてもう一つ政府にとっての追い風ですが、それは国際的な環境が変わったことです。今、国際社会は、スリランカの内戦状況を静観しています。アメリカ、中国、インド、パキスタン、イランなどの強国は、スリランカ政府軍を支援しています。日本は、軍事的には支援していませんが、一方でかなり多くの経済的支援を提供しています。そのことによってスリランカ政府は財政赤字を緩和しているのです。日本の支援が入ってきているのです。

 スリランカもLTTEも国際的な対テロ戦争という意味では、大きな位置を占めているわけではありません。しかし、スリランカでの現在の出来事は、世界的な対テロ戦争から影響を受けています。つまり世界的な対テロ戦争の顕著な特徴がスリランカでも確認されるということです。例えば、人権の侵害が放置されています。そして人々が逮捕され、行方不明になっています。対テロ戦争で世界中で起こっていることは、スリランカでも起こっているのです、それは、我々の味方でない者は、我々の敵だという考え方です。そしてこの対テロ戦争のメッセージは、スリランカでもはびこっています。つまり、戦争を支持しない人たちは、裏切り者と呼ばれているのです。

 そしてもう一つ国際的対テロ戦争の重要な影響として、国際社会による反政府組織の資金と武器調達に対する抑止活動があります。また、国際的な工作員、LTTEの分子に対する取り締まりも行われていますし、LTTEの前線組織も禁止されています。LTTE自身もアメリカ、カナダそして全EU諸国といった多くの国で禁止されています。このことはLTTEにマイナスの影響を与えており、現在の弱体化、あるいは、弱体化しているように見える要因となっています。この世界的な潮流を受け、国家と反政府組織に存在する不均衡が非常に大きくなっており、今、スリランカの多くの人たちは、もうこの差は決定的に大きくなった、つまり戦争によって解決ができるようになったと考えているのです。政府の人たちも、社会一般の人たちも、25年経って、戦争による解決がようやく可能になったと考えているのです。しかし、軍事的勝利のたびに民族的ナショナリズムが台頭してきています。そして、そのこと自体が民族対立をさらに激化させています。民族的少数派の人たちが脅威を感じるからです。また、最近の世論調査でも、スリランカでは、民族の間で大きな対立があることが示されています。一方では、シンハラ人は、軍事解決を支持しています。つまり、戦争で勝利した後、政治的解決をめざそうという人たちです。その一方で、民族的少数派の人たちは、まず政治的解決が先で、その上で戦争を止めようと考えています。

 これまでスリランカの戦争の状況について説明してきました。そしてスリランカ政府とLTTEのことを説明しました。スリランカで起こっている戦争を説明することは、海外でも自国でも、私の使命と考えています。私は、自国の人々にもこの戦争のことを説明しています。私が平和活動を始めたのは25年前のことですが、当時大学生として民族紛争を研究しました。そして1984年一番初めの新聞記事を発表しました。それ以降、これまで民族紛争と平和的解決をマスコミとのインタビュー、新聞への執筆、セミナー、ワークショップ、そして平和行進やデモを行うことで訴えてきました。

 現在、私はスリランカ国民平和評議会(NPC)で仕事をしています。これは、中立的な多民族の組織で、すべての民族グループがNPCに参加しています。私は、1995年にNPCを創設した時のメンバーです。そしてこの組織は、平和に対する人々の動きを活性化させることで、実際に優秀な政治家たちをサポートするために設立されました。そして、その中でどうして政治改革が必要なのか、どうして問題解決のために交渉が必要なのかということをスリランカの人々に説明してきました。

 私は、NPCに参加する前から平和活動を行ってきました。先ほども申し上げたとおり、大学での勉強を終えアメリカから戻り、さらに民族紛争の研究を始めてからです。その中で、どうしてタミル人の多くがスリランカ政府に抵抗するのに反対しているのかをシンハラ人の人々に説明しました。私は、シンハラ人として説明をしました。シンハラ人として、シンハラ人の考え方、シンハラ人の恐怖というものを理解したうえで、同胞のシンハラ人に説明しました。

 私の子ども時代の一つの思い出ですが、小学2年生の時に親の前で国語の教科書を朗読していました。私は、ドゥッタガーマニー王というシンハラの歴史の中でも偉大な王の話を読んでいました。その話は、王子の話で始まります。王子は身体を伸ばさずにベッドの上で寝ようとしています。つまり身体を曲げた状態でベッドの上に寝ようとしていました。そして王子の母親が来て「息子よ、どうしてそのように体を曲げた状態で寝ているのか、体を伸ばした方がいいではないか。」と言います。すると王子は答えます。「僕は身体を伸ばせないんだ。なぜなら僕の下には大きな海がある。そして僕の上にはタミル人がいるから。」と言います。その後、この王子はこのように言います「タミルと戦うんだ。」と。そこで王子の母はこのように言います。「それは本当に危険なことですよ。なぜならタミル人は本当に悪い人々だから。」と。しかし、私がこの本を読んでいる時に、私自身の母親が私を止めました。こんな物語を信じてはだめだと母親は言いました。タミルの人たちはそんなに悪い人たちではない、実際、私の最良の友達の養父はタミル人であると言いました。そしてまた、私たちの家族の友達には多くのタミル人がいると言いました。そのうちの一人は上院議員のナデサンさんです。彼はスリランカの上院議員の元議員でした。そしてスリランカの人権派の弁護士としても活躍していました。私は、彼からシンハラ人がタミル人によるテロリズムと考えていることの、もう一方の視点を学びました。政府自体が人々を弾圧しているということ、人々を差別しているということを学んだのです。つまり一方から見たテロリストというのは、他方から見れば自由のための戦士であるということです。

 私の母が言ってくれたこと、上院議員のナデサンさんから聞いたこと、それが私の肩の上にとまる鳩です。タイトルにあります鳩(DOVE)というのは、まさにそういうことなのです。この鳩は、私の母とナデサンさんだけでなく、ほかの人たちから学んだことも囁いてくれます。一部に関しては、潜在意識の中に入り込んでしまってもう思い出せないこともあります。私は若いころには、たくさんの読書をしました。とくに私が影響を受けた作家は、偉大なロシアの作家たちです。当時、ソ連はロシアの本をスリランカで安く売っていました。そして、本屋でこういった偉大なロシアの小説が安く売られていました。私は、自分の小遣いを集めてこういった本を買いました。とくに二つ影響を受けたものがあります。まず一つは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」です。もう一つは、トルストイの「復活」です。

 まず、「カラマーゾフの兄弟」の中で登場人物の一人が次のような質問を受けます。「あなたは一人の子どもの涙の上に世界の平和を築くことができるか。」と。彼は、「それはできない。」と答えます。しかし、今スリランカでは、残念ながら何万人もの子どもたちが難民キャンプで生活しています。そしてまた何千人もの子どもたちがLTTEに徴兵され、少年兵として使われています。両者が信じているのは、戦争によって最終的に平和が、そして戦争からの開放がもたされるということです。

 そしてもう一つ私が影響を受けた本がトルストイの「復活」です。この中では、ある男性がシベリアに行きます。そして凍りついて荒れ果てた土地に住み込みます。そうすることで、彼が困難な状況に陥れ、刑務所に入れ、誤った道を歩ませた女性の人生を立て直そうとしたのです。しかし残念ながら私の国では、今、多くの兵士を、反政府軍の兵士を殺害することによって満足感を見出しています。というのは、彼らは間違った道を歩んでいると考えられているので、我々は彼らに寄り添い、救うのではなく、彼らを殺しているのです。そういった誤った道を選んだ人たちも、スリランカの息子であり娘であります。また一方で、戦闘に加わる者を変えること、テロリストを変えることは不可能であり、テロリストを根絶するまで平和はないと考える人たちもいます。

 私の肩の上の鳩は、また別のメッセージを伝えてくれます。もう数年前になりますが、私は、今、戦争が非常に激しくなっているスリランカの北部に行きました。そして、カトリックの司教ラヤップ・ジョセフの家に滞在しました。その中で一冊の本と出会いました。それは、全米カトリック司教会議がアメリカの国民に向けて書いた教書で、そのタイトルは「平和のチャレンジ神の約束と我々の対応」です。そしてこれが出版されたのが1983年の5月です。1980年代といいますとみなさんご存知のように世界は分断と緊張の時代でした。冷戦があったのです。現在も続く核戦争の脅威もありました。アメリカでは、ソ連は脅威だと考えていました。そしてレーガン大統領は、ソ連を「悪の帝国」と呼びました。

 しかし、この本の中で司教たちは次のように述べています。「司教として外交上の必要性を超えたこの問題を憂慮している。国家と国民の問題に関与する場合、その政治的な理論において真実を高めることが重要である。外交上の交渉では、相手を潜在的な敵、もしくは、実在的な敵と考える傾向にある。もちろん、ソ連の振る舞いは非難されるべき場合もある。しかしながらソ連の国民、ソ連のリーダーたちも神と似せて作られた人間である」と。

 「将来我々が、過去の米ソ関係についてのみ非難されると信じることは、創造的な外交に対する人間の可能性や我々の心の中心にある神の行いを見くびることになる。実際は想像もつかない変化への扉が存在するかもしれないのである。我々は超大国の関係が緊張のないもの、そして平和が簡単に達成されるといった夢のような理想を説いているわけではない。むしろ私たちは心の殻に対して警鐘を鳴らしているのだ。心に殻があれば、将来を過去とは違うものにするための変革に対して人々の心を閉ざしてしまうことになる。」そういったことを言いました。

 その後、実際にソ連で変革が起こりました。スリランカでもやはり心の殻を取り除く必要があります。アメリカのカトリック司教が自国民に言ったようにです。私の鳩が常に私に言います。他国で可能であったことは、スリランカでも可能であるという信念を持って働きなさいと。

 スリランカの民族紛争は、世界でも最も長期化している紛争の一つです。25年以上続いています。ある意味では、これは国内の一勢力が国家を分裂し、独立国家を築こうとしている企てです。LTTEは、人口の12%を占め、国土の北部、東部に住むタミル人によるタミル人国家の樹立を主張しています。一方、シンハラ人が住むのは、主に西部、中央部、そして南部です。人口の75%を占めています。彼らは、スリランカの分裂には真っ向から反対しています。この小さな島スリランカは一つの分かつことのできない国だと考えています。インドの南部のタミルナドゥ州にもたくさん住んでいるタミル人とは違う考え方です。

 1982年、私は、シンハラ人の農家に滞在させてもらい、研究活動を行いました。彼は私に正面の部屋を貸してくれました。離れのようになっていて戸を閉めると個室になるつくりでした。ある日私は、彼にこの民族紛争についてどう思うか尋ねました。学生として研究していたからです。答はこうでした。説明は簡単であると。「あなたは、お客様だから正面の部屋をお貸しした。好きなだけ滞在していただいて結構ですよ。」ありがたいことだと思いました。それに続いて彼はこうも言いました。「もしあなたがここに半年滞在して、突然この部屋は自分のものだと言い出したらどうでしょう。」、「それはちょっとおかしいんじゃないですか。自分の部屋だと言い出すなんて。」、すると彼はこう言いました。「それこそタミル人がシンハラ人にしようとしていることなんだ。」と。

 シンハラ人の名前が最初に文献に登場するのは、2500年前に遡ります。シンハラ人がたいへん誇りに思っている歴史です。そして1500年前にも仏教僧が歴史書を編纂しました。この歴史の根底を流れるのは、スリランカは、シンハラ人と仏教徒の国であるということ。そして、繰り返し南インドから来たタミル人に侵略を受けてきたということです。私に部屋を貸してくれた先ほどの農家の主人のように、多くのシンハラ人がスリランカはシンハラ人の国だと考えています。最近も軍の幹部が公式に次のような発言をしました。「自分はこの国が、シンハラ人のものだと強く信じている。ただ、少数民族の社会も存在するし、自分たちと同じように彼らを扱うつもりはある。人口の75%を占める多数民族として自分たちは決して屈することはないし、この国を守る権利がある。我々は強い国家である。彼ら少数民族は私たちと国の中で共存することは可能である。しかし、少数民族だからということを口実に不当な要求をするべきではない。」と語りました。

 戦場での勝利によって、スリランカの軍は、断定的な発言を公然とするようになりました。しかし、シンハラ人国家の強さを殊更に強調する背後には、もう一つのシンハラ人の不安が隠れているのです。シンハラ人は、多数民族でありながら、少数民族としてのコンプレックスを持っていると指摘する学者もいます。つまり、シンハラ人は、南アジアという大きい地域で見ると、脆弱な少数派であるということです。また、シンハラ人は、歴史を生々しく記憶しています。スリランカという島内では75%を占めるかもしれませんが、南インド地域では非常に小さな少数民族なのです。8000万人のタミル人がいるタミルナドゥ州と比較すると、その数は、スリランカにいる1500万人のシンハラ人を大幅に凌駕するものなのです。

 もう一つ忘れてはならないのは、スリランカの紛争に強国がどう関わったかということです。1980年代の初頭、タミル軍が勢力を増長させていたころ、インドがどのようにタミル軍を支援したかということです。当時は米ソの冷戦の最中でした。インドは、ソ連と手を結び、スリランカは、欧米諸国との関係を重視しました。インドは、スリランカが重要なトリンコマリー港をアメリカに提供するのではないかと恐れました。そして恐らくスリランカを支配したいと思い、そしてスリランカの内戦を悪化させるため、タミルの反政府組織を後押ししました。ただし、その後、インドとタミルの民兵は決裂しました。インドが最終的には和平維持軍をスリランカに派兵したからです。そしてこの和平維持軍は、LTTEと戦うようになり、ついにLTTEは自爆テロ団をインドに送り、スリランカに平和維持軍を派遣したラジヴ・ガンディ元首相を暗殺したのです。

 シンハラ人は、脅威を感じています。スリランカで過半数ではありますが、地域全体で見た場合にです。しかし一方、タミル人もまた脅かされていると感じています。議会では、常にシンハラ人が75%という大多数を占めている、自分たちは人口でも12%しかいない。シンハラ人に利益になることか、タミル人の利益になることか決定がなされるとき、常にシンハラ人側が勝つのです。なぜならシンハラ人は人口でも75%を占め、議会の席でも75%を占めているからです。タミル人を大変動揺させ疎外感を感じることとなった歴史的な決定があります。それは、タミル人の移民労働者に市民権を認めないという決定です。100年も前にスリランカにやって来た人たちに対してです。また、1956年に、タミル語を公用語として認めず、シンハラ語だけを唯一の公用語として認める決定もなされました。40年から50年経った現在、問題は変化してきていますが、基本的な問題は今でも残っています。法律が作られても施行されない、あるいは、法律そのものが全く変更されてないという状態が続いているのです。

 さらにもう一つ、これまで触れてこなかったグループの人たちがいます。彼らも脅かされていると感じています。それは、イスラム教徒です。彼らは、人口の8%です。シンハラ人が75%、タミル人が12%に対してです。彼らも脅かされていると感じています。90年、かつてタミル人の居住区だった北部に住んでいたイスラム教徒は、皆追い出されてしまいました。あるいは、LTTEによって民族浄化が行われたのです。イスラム教徒はタミル人に忠誠心を持っていないのではないかと考えられたからです。そこで追放してしまいました。イスラム教徒は恐れています。タミル人の勢力が強くなれば、同じようなことがまた自分たちの身に起こるのではないかということです。またイスラム教徒の人たちは、シンハラ人が言っているようなスリランカはシンハラ人国家であり、少数民族は不当な要求をしてはならないという見解にも反対をしています。イスラム教徒の指導者たちは、それは間違っている、イスラム教徒は二級の民族ではないのだといっています。

 スリランカや世界各地での動きを見ていると一旦暴力が始まると自然に解決することは絶対にない、エスカレートする一方であるということは明らかです。この暴力の連鎖を止めるためには、強い意志を持って事態をとめる戦略が必要です。冷静な頭で、暴力はすべての人を傷つけるだけである、味方をも傷つけてしまうということを理解しなければなりません。和平的プロセスだけが万人に善をもたらすと考えるべきです。また、人も組織も変われると信じることが必要です。平和の構築で最も難しいのは、反対勢力を新たな目で見ることです。彼らにも一理あるのだと、それが全体的な平和のために必要なのです。というのも、私たちは皆、自分たちの真理しか見ることができないからです。対話をすることによってより大きな真実を得ることができるのです。他者の考えを抑圧するよりも対話したほうがよいのはこのためです。

 スリランカでは、和解や思いやり、そして、許し、こうした考えを大切にする価値観が根付いています。これは、大きな強みであり、和平構築にも生かしていくことができるでしょう。軍事衝突で何百人もの犠牲者が1日で出ることがあります。そんな中にあっても、この20年間、シンハラ人、タミル人そしてイスラム教徒は共存してきました。戦争が続いていたとしても、ともに平和的に暮らしてきたのです。一方、民族的分裂を抱える国家において多数民族の支持をとりつけることが権力を勝ち取る秘訣でしょう。良好な統治や道徳的な価値を国民に訴えたとしても、選挙の前では無力です。70年以上前、ヒトラーがユダヤ人を敵視することでドイツの国民の支持を得て政権の座につきました。人種差別的な政治においては、少数民族のコミュニティが悪者扱いされ、対話や歩み寄りを強調する人たちはつまはじきにされてしまうのです。そして、人種や宗教による恐怖を殊更に強調し、自分たちが脅威にさらされているという扇動的な訴えにより、それに反対するものは裏切り者と見なされてしまうのです。

 もし、政治的な指導者が思いやりや理解を根源に持たなければ、彼らは権力を濫用し、自国民を苦しめるでしょう。今日、20万人を超えるタミル人が新たに難民化しています。戦闘が激化しているからです。彼らは、木陰に住み、急ごしらえの避難所で生活をしています。そして戦いを逃れるため、逃げ回っています。また、一般市民が司法手続き外の手段により残虐な処刑の対象となることもあります。政府がその背後にいることも、LTTEが背後にいることもあります。しかし、権力の座にいる者たちはこうした犠牲を気にする様子もありません。まるで戦争に必要な犠牲であると言っているかのようです。

 しかし、このような状態では、平和や正義が訪れる可能性は、ゼロではないにしても、極めて低いでしょう。ティクナトハン氏はこのように言っています。「わたしたちと同様、政治指導者たちにもよい種と悪い種を持っている。あるいは周りにいる人たちが、そのよい種に水をやろうとしないのかもしれない。恐怖や怒り、暴力にばかり水をやる人たちがいる。私たちは、政治指導者に働きかけ手助けしていかなければならない。」ティクナトハン氏は、現在の世界の対テロ戦争に対してこのように語っているのです。この考えは、スリランカでの問題にも適応することができるでしょう。

 多民族、多宗教、そして政局の大きく動く国においては、一番大きなコミュニティの中だけでなく、異なるコミュニティ間でもコンセンサスを得ることが大切です。力ずくでタミル人たちに強要された解決策が平和を導くとは思いません。なぜならタミル人はこの50から60年間、政治権力、権利を求めて抵抗してきたからです。この権利を得るまではずっと戦いを続けるでしょう。戦争というかたちでないにしろ抵抗を続けていくでしょう。

 私が日本に向けて出国した日、私の組織は、その他の組織とともに抗議行動に参加しました。人権擁護者ですら攻撃されるような、何をやっても許される文化に反対するためです。この2年半の間に約15人のジャーナリストがスリランカ国内で殺害されました。ほかにも暴行されたジャーナリストもいます。そして、人権擁護者である重要な法律家も自宅を爆撃され、暴行を受けました。脅迫や干渉がいかに多いか、法的手続きがいかにないがしろにされてきたかが分かります。人権や良好な統治、説明責任、公人の公正性に対する脅迫や干渉が後を絶ちません。私たちの組織は、他の組織と共に、抗議行動を通して暴力にノーと言ったのです。

 私の肩にとまった鳩は、私にこう語りかけます。「力強い支援があるよ。」と。すべての人々に正義をもたらす平和、その平和を求める人々に深く根ざした支援があるよ」と。日本に参ります2日前、私は娘の通うセント・ブリジット学校の礼拝に招かれました。この礼拝はモンテッソーリ式幼稚園から小学校に入学する子どもたちの礼拝でした。娘もその一人でした。この式典の間、とくに感動したのが、一度ではなく二度も子どもたちは祈りを捧げたことです。それは、「神様、北部や東部に住む子どもたち、お父さんやお母さんを亡くした子どもたちをお守りください。」というものでした。この国の南部においても、周りに住む人たち、そして苦しめられている人たち、北部、東部に住む人たちを思う気持ちがまだ存在しているのです。

 最後に、もう一度ティクナトハン氏の言葉で締めくくりたいと思います。「国が変わっていかなければいけないことは明らかである。私たちには勇気が必要だ。自分の考えを訴えていかなければならない。たとえ多数の人々が反対の方向を進もうとしていても。私たちは、愛する家族、仲間たち、考えを同じくしている人たちに助けてもらえるであろう。方向転換ができるのは、私たち皆が一度に目覚めた時である。個人や小さな集団であってもこうした意識の変革のきっかけを作ることは可能である。」と。私のそばにいる鳩は耳元で囁きます。「希望はそこにある。」と。そして「私たちがこれまで学んできたことはスリランカだけでなく、世界全体を助けることができる。」「たとえ、世界がこれまで以上に対テロ戦争に苦しめられていても、そしてそれに終わりがないように見えるとしても。」と。

 ご清聴ありがとうございます。

 それから、堺市の皆様にもお礼を申し上げます。私の国に連帯感を示してくださいました。そして、それによって、世界中で平和のために戦っている人たちにも連帯感を示されたのです。ありがとうございました。

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