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チャレンジ!これからのあなたヘ ~科学技術分野での女性の今と未来~

更新日:2012年12月19日

コーディネーター
渡辺 めぐみ(わたなべ めぐみ)
(大阪大学女性研究者キャリア・デザインラボ准教授)
パネリスト
相馬 芳枝(そうま よしえ)
(神戸大学特別顧問)
西岡 亜貴(にしおか あき)
(NPO法人堺にわだに村代表理事・第一航空株式会社 機長)
赤井 恵(あかい めぐみ)
(大阪大学大学院工学研究科助教)

一昨年、4人の日本人がノーベル賞を受賞しました。今年は日本人として2人目の女性宇宙飛行士が宇宙に飛び立ちます。女性の科学分野での活躍が期待される中、女性科学者はいまだに少なく、特に日本は諸外国に比べ女性の参画が遅れているといわれています。

分科会では、科学技術振興機構「さきがけ」研究員の赤井恵さん、ヘリコプターのパイロッ卜として活躍されている西岡亜貴さん、そして、科学分野への女性のチャレンジ支援に取り組まれている相馬芳枝さんをお迎えして、科学技術分野への女性のチャレンジについて考えました。若い世代が夢へと挑戦し、未来の夢を紡げるように。

渡辺 めぐみ

 このたびコーディネーターを務めさせていただきます渡辺めぐみと申します。私は今、大阪大学で女性の科学の研究者の方々を支援するという仕事をさせていただいております。

 それでは早速パネリストの皆様に自己紹介を兼ねましていろいろな現状のお話などをお聞かせいただければと思います。

ヘリコプターの女性パイロッ卜との出会い

西岡 亜貴

 3姉妹の三女として堺に生まれたきっすいの堺っ子でして、にわだに村というNPOの名前にもなっている上神谷小学校から中学校、高校は三国丘高校を卒業しまして、大阪市内の短大で栄養士の免許を取ったんです。夢を追ってとか、やりたいことはないのか、そうそうないんですよね。そのままずっと就職難に突入し、就職がないのでアルバイトをしました。

 そうすると母親が、電器屋さんをやってみればということで、両親が経営する電器店に就職しました。どっぷり電気工事をしていたので、「女の子やのに偉いね、よっぽど好きなんやね」と言われたのが1番多いせりふなんですね。そんなことないんだけどなと思いながら、毎日、父、母と頑張っていました。

 ここできっかけですね。新聞記事に女性のヘリコプターのパイロットが、航空法でがんじがらめの日本の空をもう少し楽しく飛びやすくしようということで、すごい笑顔で載っていたんですね。すごく格好よかったので、その人に東京まで会いに行きました。そしてオーラというんでしょうか、本当に大きく輝いていて、もう吸い込まれるように免許を取ろうと決断し、すぐオーストラリアに飛んでいきました。

 オーストラリアへ行って免許を取ります。順調に進み、待っていたのが日本での厳しい訓練、仕事用の免許ですね。気象予報士になるのかというぐらいに天気を勉強し、整備士じゃないんだけどというぐらい整備の勉強もしました。あと、航空法も勉強しました。

 免許取得後、また就職難です。まだまだ航空業界は男性社会でして、女性はなかなか面接までいけずに就職難でした。運航管理という地上勤務の仕事にはよく募集はあるんですが、操縦士の仕事がないんです。しかし、運がいいのか、名古屋の某スポーツ用品店所有のヘリコプター操縦士の募集がありまして、何と女性1人だったんですが、就職が決まりまして、スポーツ用品店のヘリコプターのオーナーさんのパイロットをすることになりました。スポーツ用品店ですので、スキー場とかゴルフ場をもっていらして、VIPを乗せてゴルフ場へ、選手も乗せました。楽しく名古屋で過ごさせてもらったんですけれど、ここでまた転機が来ます。

 ことしの3月に新聞にも掲載していただいたんですけれども、ヘリに乗った人々の顔が見たいと、約1年後に退職し、地元から近い第一航空でヘリの遊覧飛行の受付アルバイトを始めました。名古屋から帰ってきたんです。人の笑顔が見たい、役に立ちたいなと思ったんですね。帰ってきて、とりあえずアルバイトをしました後、無事、第一航空入社、今の八尾空港に勤めています。

 今、第一航空に入社してお仕事していますが、入社前に地域の方とNPO法人を設立しようと、ヘリコプターをまちづくりに、まちづくりという目的のもとにヘリコプターを使えないか、堺をアピールするのにヘリコプターを使えないかということで、NPO法人の申請をしていました。申請をしている間に第一航空に入社して、その後にNPO設立登記完了ですよね。

 新聞などにも取り上げていただきまして、無事、皆さんを乗せたりするイベントをしております。今は堺市南区で実績があるんですが、今後、堺の中央部でやっていきたいなと思って活動をしています。

 私の夢でもあるんですが、シャーププラズマクラスターイオンって、今すごいですよね、新型インフルエンザに効果があるということで。ヘリコプターイオンを振りまきたいと、そう思って頑張っています。

ナノテクノロジーとは

赤井 恵

 私は、大阪大学で研究しておりますナノテクノロジーについて少し説明させていただければと思っています。

 私は工学研究科で研究しております、工学部に所属しています。工学部というと、英語で言うとデパートメントオブテクノロジー。つまりテクノロジー学科なんです。皆様、最近のテクノロジーでびっくりしたものってないでしょうか。例えば、この10年前に青色LEDが中村修二先生によって発明されました。ほんの10年前なのに、もう町中にはこの青色のイルミネーションが輝いているだけでなく、信号機もほとんどすべて置きかわりました。やっぱり科学とか技術は、こんなふうに世の中を一気に塗りかえてしまう力をもっている。

 私が最近すごくびっくりしたのは、例えば私がもってるフラッシュメモリー。2003年に512メガバイトで3万2000円、1ギガバイトにすると6万円。それが今ではたった150円になっているんですね。こういったシリコンの微細化による情報の発展は20世紀の技術と言われていたんですが、日本が誇る企業さんの技術は21世紀に入っても着実に進化されており、やはり日本の技術力はすごいなと思うわけです。

 個人的に最近1番びっくりした科学の発展、ターボ湯切り。実はしばらく妊娠出産でジャンクフードを食べておりませんで、久々に食べてみると、湯を出すところが変わっていると。これ、実はすごい技術だと思ったんですね。この薄いアルミの薄膜をつくる技術、そしてきれいにはがせるその粘着の技術。科学というのは需要があって、そして開発して、そして確実な技術力があって成り立つものですから、日本人しかこういうものをつくらないと思うんです。こういうことを考えついてちゃんとつくれるところが、この日本の技術力のすごいところかなと思います。

 さて、私がやっていますことは、これほどにはわかりやすいテクノロジーではありませんで、簡単に言うと、分子1個で動作する究極の分子素子をつくるのをめざしていますと。何のことやらわかりませんけれども、簡単な言葉でまとめてしまうとナノテクノロジーという言葉を使わせていただいております。最近よく聞くと思うんですけれども、実は何のことかわからない。実は専門家にも何のことかわからない言葉ではあるんです。私が最もきっちりあらわしているなという定義はこれです。物質を個々の原子や分子のレベルにおいて、理解、制御、操作する技術のこと、もしくはこれを利用することだと思っております。

 実はナノテクノロジーという言葉がこんなにはやってきたのは2000年からです。当時クリントンがナショナル・ナノテクノロジー・イニシアチブというのを打ち出しまして、米国はこのナノテクノロジーを押していくと言いました。このナノテクノロジーを押し出した米国内務省の役人が「原子や分子が動かせる、それが科学の発展につながっていく。そういうことを国民の特に若い子どもたち、特に女の子たちに見せることで、科学の魅力を皆さんの子どもたちに教えて、そして特に女の子たちを科学の道に呼び込もう。ナノテクノロジーはそういう力もあるんだよ」ということを言われまして、さすがそこはアメリカだなと感心いたしました。この世界のあり方を変えるというのが、ナノテクノロジーののろしだったんです。

 一つの新しいテクノロジーというものの解釈として、次に世界を変えるようなもの、これをもたらすのがナノテクノロジーの定義かと思っております。実はこのパラダイムシフトをもたらすようなナノテクノロジー成果は、まだほとんど世の中には出てきておりません。20年後ぐらいには必ず出しますので、ちょっとお待ちいただきますようにお願い申しあげます。

 私がジェンダーの分野に関して思いますのは、普通の能力の女性がどんどんと参入することが大切かなと思っています。私の年代より上の女性研究者は本当に天才、優秀。女性研究者は男の人の最低3倍は優秀じゃないとやっていけないのよと。でも、ふと気づいたんです、それっておかしくないかなって。この科学業界に入ると、男性は普通に働いておられますので、もちろん物すごく優秀な研究者もおられるんですけれども、普通の男性もいらっしゃるわけです。どうして女性だけがそんなに優秀じゃなきゃいけないのということで、これからは私のような普通の人聞がどんどん入っていくことによって、科学技術の世界の中に女性が入っていけるんじゃないかなと思っております。

研究者から研究者を支える側へ

相馬 芳枝

 私、最初はお医者さんになりたかったんです。医学部も受けたんですが落ちましたので、理学部に入りました。40年前、ちょうど公害問題が世の中へ出てきたころで、私に与えられたテーマは一酸化炭素の分析でした。私は学卒で研究所に入りましたので、これで将来研究者としてやっていけるだろうかと大きな危機感をもち、そのころ内地留学制度がありましたので、京大へ行ってたたき直してもらいました。

 それで仕事中心の生活になりました。まず学位を取らなければ、次に留学もしなければと思い、結婚はしていたんですが、そのときは単身でアメリカへ行きました。そこで私がついた女性のプロフェッサーが、子どもをもっても仕事の第一線で活躍してらっしゃる。こういう生き方もあるのかと目が覚めまして、帰って、私もじゃあ子どもをもとうということで出産しました。40才でした。それから苦労しつつ研究をしまして、その途中で猿橋賞をいただきました。そのうちに地球の温暖化ということで、二酸化炭素の再利用をするという研究を始めました。私の夢はシンプルケミストリーというんですが、やり手の仲人さんを見つけて化成品を簡単につくればいいじゃないかということなんです。きれいに、簡単に、経済的に化学製品がつくれればみんなに愛される化学になるんじゃないか、そういうプロセスをつくろうというものでした。

 研究は楽しいのですが、7年前に定年になりましたので研究所を辞めました。その後、男女共同参画の仕事をしております。

 ここから男女共同参画のお話になりますが、女性研究者の国際比較です。日本は1番下で、女性研究者の数は13%。韓国にも負けておりまして、先進国中で最下位です。フランスやアメリカは20%から30%の女性の方がいらっしゃいます。最近では、国連の女性差別撤廃委員会からきつい勧告が再び出ております。

 政治経済活動へ女性がどの程度参加しているかという指数があります。人間開発指数、これは平均寿命、教育水準、所得などを総合的に評価したものですが、日本は7位です。ところが、ジェンダー・エンパワーメント指数、これは国会議員、専門職、管理職に占める女性の割合はどの程度かということですが、今年のデータは57番めということで、女性の専門職に占める位置は非常に低い。人間開発は十分に達成されているんですが、社会活動に参加する機会がたりないということです。

 これではいけないということで自然科学系の学会が立ち上がり、女性を増やすために連携して行動しましょうという動きが7年前に始まりました。男女共同参画学協会連絡会の活動です。

 連絡会でまずアンケート調査を行いました。研究者に女性が少ない理由ですが、1番高いのが、家庭と仕事の両立が困難だということがあげられております。運よく採用されても、今度は職場環境に問題があると言われています。それから、男性の意識改革が必要です。男性に仕事と家庭の両立をしていただきたいということもあがっております。

 私たち連絡会が政府に対して出した要望書が、政府の第3期科学技術基本計画に全部採択されました。これが効きまして、まず産後、出産育児から研究を中断した人に復帰資金をつける。それから、女性研究者支援モデル育成事業が平成18年度から発足しました。そして、女子中高生を理系にいざなうイベントにもお金がつくようになりました。

 女性の活躍促進がなぜ必要かということなのですが、女性の活躍を促進しているところは、企業の売り上げが高いのですね。それから、ワーク・ライフ・バランスを取り入れている企業は営業利益が高い、伸びているというデータが出ております。

 育児期にある夫婦の家事・育児の時間の各国比較では、日本は家事・育児合わせても1時間未満です。アメリカ、ドイツ、英国は3時間から4時間、男性の方が家事・育児をしております。男性が協力している国は、女性も社会で活躍をよくしているわけです。日本でも、男性の皆様のご協力をぜひお願いしたいと思います。

仕事に対する思い・なぜこの仕事を選んだのか

西岡 亜貴

 新聞にヘリコプターのパイロットとして格好よく載っておられたんですが、やはりその女性との出会いが大きかったと思います。直接お会いしたのがよかったですね。その方が免許を取られたころは、やはりまだまだ昔の風潮が残っておりまして、どちらかというと体育会系の、どうしても女性には向かない環境での免許取得の訓練学校とかが多かったんですね。その中に女性は入りにくいということで、今回、女性に対して訓練しやすい環境をこの社長である女性の方がつくってくださいましたので、本当に楽しく訓練することができました。ですので、この仕事を選んだというより、出会って、確かめて、進んでいったというかたちです。

赤井 恵

 実は小さいころから学者にもなりたかったですし、何にでもなりたかったです。1番のきっかけは、ちょっとだけモラトリアムで修士に入りましたら、そこで出会った実験が本当に楽しくて、私はこれに向いているというのを本当に実感したわけです。ですから、自分の一生をかけても惜しくないものに出会えたというのがラッキーだったなと思います。

 実際にこの業界に入って思いましたのは、実は女性に向いてるんじゃないかと。研究者というのは、やっぱり何かをつくりあげる、発見する、もしくは論文に発表する、それで業績が決まるわけです。この論文に発表するときは、相手には私が男か女かなんて関係ないわけです。ですから、本当の実力が実は認められやすい世界だと思っております。研究が楽しいというきっかけでしたけれども、やっぱりこういう業界に入ってよかったと思っています。

相馬 芳枝

 私、仕方なく理学部の化学へ入ったんですね。そこでよかったのは、いい先生と出会ったということです。先生がご自分の部屋を開放なさって、研究に興味のある人はいらっしゃいというふうに、とてもおおらかな先生でした。そこで、テーマを与えていただいて、研究の初歩を教わるというか、遊ばせてくださったんです。それがとてもおもしろくて、研究って格好いいな、将来、研究所に就職したいと自然に思うようになって化学の世界に定着いたしました。

 それから就職して、これも上司がよかったんです。男女差別のひどい分野ですが、実績で勝負できるように成果を出すことだよとおっしゃいました。学卒で就職しましたので、大して力ないわけですね。何にもできないと言ってもいいぐらいです。ほれ込むところまで与えられたテーマを一生懸命勉強することしかない。私たちが日々やっているのは、実際に実験をすることです。そのうちにほれ込んで、少々反対意見があっても今度はやめられない状況になりました。やっぱり実際に実験してみるというのが非常に大事だと思います。

女性として仕事で難しいことは

相馬 芳枝

 何が難しかったかというと、子どもをもってからの研究と育児との両立なんですね。私は保育所にも預けましたけれど、病弱だったので、最終的にはお願いできる人にお願いしてたらい回しで育てました。

 あと難しいことといえば、女は力がないからボンベ運べないんじゃないか、それはよく思われることだと思うんですが、ボンベを運ぶには機械があります。機械で運べないこと、これは女じゃなくても男性の方でも難しいので、そのときにはまた複数で協力するということは、研究所ではお互いにやってることです。ですから、助けてもらう、そして自分もできることを協力するということで、コミュニケーションをよくすればやっていけると思います。

赤井 恵

 私はやっぱり子どもが生まれてからの家事が大変でした。結婚しても大して仕事に支障はないんです。子どもが生まれて離乳食が始まり、1か月、2か月、離乳食つくったんでしょうか。そのころ、もう体力的、精神的にも限界になってまして、私はもう無理ですと。このままあなたがそれを続けられるんなら離婚しましょうと言って離婚折衝に入りました。そしたら僕、家事をやりますからということで、4年ちょっと前からうちのすべての食事は夫がつくるようになりました。

 これができるようになって、私は子どもをもちながら仕事が続けていけるという、何か自信のようなものが出てきました。

チャレンジ!これからのあなたヘ ~科学技術分野での女性の今と未来~の写真2

科学技術の分野に女性を増やすには

西岡 亜貴

 増やすというのは難しいかと思うんです、今の環境上。ただ、そうそう自分の興味をもつ路線のトップにいる人が身近にいるとは限らないですよね。女性が職場に立つことで難しいことがいろいろあり、無理じゃないのとか、それは難しいよという言葉を1番よく聞くんですよね。難しかったらどれだけ難しいのかを自分で確認するというのがいいと思います。余り、そんなの珍しいとか、聞いたことないという情報に振り回されないように、自分で動いてほしいと思います。

赤井 恵

 やはり女性がこういう業界に入ってすごく大変な姿を見せるのではなくて、楽に楽しくこういう仕事をやっていく姿を、私たちが若い人に見せていくのが大事だと思うんですね。

 実際、私も子どもは産休明けからすべて預けております。やっぱり安心して預けられる、それがあってこそ初めて産休明けに復帰するという勇気がもてるわけですね。平日は夜だけなので、私も少し余裕をもって子どもに対応できますし。ですから、そういうふうに楽をさせてもらって、かつ楽しく仕事をしていく姿を私のような者が見せていくべきかなと思います。

相馬 芳枝

 理科離れを防ぐにはどうしたらいいかということでしたが、まず子どもに対して、そんな難しいお勉強を期待するんじゃなくて、自然に親しませる。自然科学のおもしろさが本当にわかるのは、実験することによってしかわかりません。ありがたいお話を聞いたから科学者になれるわけじゃないんです。余りお勉強お勉強と言わないで、やりたいことを自然にやらせればいいんじゃないかと思います。

 それから、中学生、高校生を対象にした理系にいらっしゃいというイベントを年に1回はやっておりますので、そういうチラシをご覧になりましたらぜひお出かけください。参加していらっしゃる女子学生は、非常に意欲的で、逆に私たちが彼女たちから励まされております。いろんなことをやらせてあげるのがいいんじゃないかと思います。

渡辺 めぐみ

 そういう実験の機会とかは、かなり今は提供されているようですけれども、やはりそこら辺にお子さんを連れて行くというのもいいですけれども、そのときお父様お母様も一緒になって子どもさんとやる。この機会に、本当に科学にちょっとふれていただきたいと思いますね。

会場からの質問

質問1

 いいモデルをお話しすることももちろん大事なんですけれども、こんな方でもこんなに苦労しながらでもこういう道が開けるよというアドバイスができないかなということを感じました。それと、赤井先生が10年間のポスドクの間のご苦労、それを続けてこられて10年目にできたというところ、ちょっとお伺いできればなと思いました。

赤井 恵

 これは科学技術に限らず、やはり自分で自分の納得いく仕事をしようと思った場合に、楽をしてそこに行こうと思うことはまず間違いだというのは皆さんに理解していただければ。もちろん、それに何か補助のようなものが、今後はあると確かにいいなと思いますので、それは相馬先生にお任せいたします。

相馬 芳枝

 私どもこうして順調な歩みをしているかと思われるかもしれませんが、時間から言うとつらい時期の方が多かったんですね。けど、やっぱり自分は何をやりたいかということを本気で考えていただいて、自分がやりたいと思う分野で努力していただくことが大事だと思うんです。努力している過程で道はおのずと見つかるんじゃないかと思うんですね。

理想の男女共同参画社会とは

西岡 亜貴

 男女共同参画というとちょっとかた苦しく聞こえるかもしれませんが、あんまり力まずに男女が共に取り組んでいけたらいいなと思っています。

赤井 恵

 私の思う理想の男女共同参画社会なんですけれども、男性も女性も自分の仕事を心から楽しいと思える社会というのが1番の理想です。ですから、子育てが誇りであって楽しいと思う主婦の方がいる。そして、外に出て仕事をする、それが心から楽しいと思う働く女性がいると。そういう働くことが心から楽しくて誇りがある人ばかりで成り立っている社会が、本当の男女共同参画社会のあり方じゃないかなと思っております。

相馬 芳枝

 科学技術の世界は女性も十分に楽しめるし、力を発揮できる分野です。ですから、将来、科学技術の世界に入ってくる女性が増えてほしい。そして、現在小学校の先生方を見ると、女性の先生が随分活躍してらっしゃいます。それと同じように科学技術の分野でも女性の研究所長がふえ、教授が増え、学長が増えるといいなと思っております。

 家庭においては、赤井先生が実践してらっしゃるように、男性の方が家事を責任もってやってくださるような社会になるといいなと思っております。

渡辺 めぐみ

 皆様も、私たちもそうですが、人類の幸福のために、やみくもの発展ではなく、男女共同参画社会というのがみんなにとって幸せで、そして人類の幸福に貢献するものであると、そういうふうに一人ひとり思えるような社会がくるといいなという、そういうことを結びの言葉とさせていただきます。

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