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戦没者・戦災死没者の追悼

更新日:2025年2月17日

追悼施設について

平和塔

第二次世界大戦の終戦から25年後の昭和46年、大仙公園の中央部に、戦地や空襲で犠牲になられた方の英霊を慰め、恒久平和を祈念するために建設されました。
平和塔の高さは約60メートル、地上15階建て相当の三角柱の建物で、堺市の市章にもあるように、堺市が摂津・河内・和泉の三つの国の境に栄えた町というところから三角の塔になっています。
(※平和塔は非公開のため、立ち入ることはできません。)

「堺市平和塔建設趣意」

今日、わが国が、平和の礎の上に世界でも例をみないほどに高度経済成長を遂げ、あらゆる分野においてすばらしい前進が約束されています。
わが堺市におきましても阪神経済圏の一翼を担う国際的な一大産業都市として、隆々発展、躍進途上にあり、自由と平和と繁栄を享受いたしております。その陰には過ぐる大戦において、多数の犠牲者があったことに深く思いをめぐらし、全市民がこれらの尊い命に心からの追悼の誠を捧げ併せてわが国が恒久平和の国として伸び栄えるよう祈念し、自由と自治、貿易と文化の輝かしい伝統をうけつぐ堺の市民であることを更に自覚いたし市民総調和の精神をもって、このまちをより住みよくより明るい幸福な百万都市建設へと邁進いたす象徴として、平和塔の建設が戦後本市の重要な市民的課題として長年市民の渇望の的となっておったのであります。
幸にして、本年度当初市議会の議決を経て、その建設経費を計上いたし、もって市民の幾久しい切なる要望に応えようとするものであります。

出典:「平和塔建設について(報告)」堺市平和塔建設委員会(昭和45年4月)


平和塔の写真平和塔

礼拝堂

先の大戦で犠牲になった方々を追悼するために、大仙公園に平和塔とともに昭和46年に建設されました。
毎年8月15日に礼拝堂を開放し、礼拝堂内に献花する場を設けています。
(※普段は開放していませんので、中に入ることはできません。)

堺市遺族会

英霊を追悼し遺徳をたたえ、平和を尊ぶ心情を後世に伝えることを目的に、昭和22年に設立されました。遺族の福祉向上のための取組や、戦没者に対する慰霊・追悼事業、平和塔・礼拝堂の清掃活動等を行い、また、大仙公園に礼拝堂の説明掲示板や平和を希求する石碑等を設置しました。
※会員の高齢化により活動の継続が難しくなったことから、令和3年6月に解散しました。

追悼行事について

戦没者追悼式

堺市では、昭和39年から令和2年まで、堺市遺族会等に協力いただき、戦没者・戦災物故者を追悼する式典を開催していました。
令和3年からは堺市単独ではなく、大阪府・大阪市が共同で開催している大阪戦没者追悼式に堺市も加わり、毎年7月下旬頃に三者で追悼式を開催しています(令和3年はコロナ禍の影響により中止)。

関連情報

戦後80年 平和の灯を未来へ

令和7年は第二次世界大戦の終わりからちょうど80年の節目の年となります。本市では、堺空襲をはじめとする戦災を語り継ぎ、未来の世代が安心して暮らせる世界を築くために、戦後80年を記念して、様々な事業を行います。

このページの作成担当

健康福祉局 長寿社会部 長寿支援課

電話番号:072-228-8347

ファクス:072-228-8918

〒590-0078 堺市堺区南瓦町3番1号 堺市役所本館7階

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