土佐十一烈士墓
更新日:2021年10月15日
指定区分
国指定史跡
説明
土佐十一烈士墓は慶応4年(1868年)に起った堺事件で切腹した土佐藩士11人の墓で、宝珠院(ほうじゅいん)境内にあります。
堺事件とは、慶応4年2月15日堺港に上陸してきたフランス軍艦の兵に対し、鳥羽伏見の戦以後に堺の警固にあたっていた土佐藩士がこれを阻止しようとしてフランス人11人を殺傷した事件です。フランス公使は憤激し、2月19日に明治新政府に対し土佐藩士の斬刑や謝罪を含む五ケ条の要求を提出し抗議しました。結果、2月23日土佐藩士隊長 箕浦猪之吉(みのうら いのきち)ら20人の切腹が妙國寺本堂庭前でフランス人士官等の立ち合いのもと行われました。しかし、11人が切腹した時点で、フランス人達は切腹の悲惨さにすっかり青ざめ切腹の中止を命じ、残りの9人は罪人として土佐に返されることになりました。
箕浦達11人の亡骸(なきがら)は妙國寺北隣の宝珠院境内に葬られ、墓碑は土佐藩主 山内豊範(やまのうちとよのり)により建てられ、後に修復されました。この墓碑の正面には戒名、側面に俗名が彫られています。なお、フランス人水兵の亡骸は、神戸市旧居留地外人墓地に葬られました。
このように開国期の外交関係の歴史を語り伝える遺跡として重要であり、昭和13年(1938年)に国の史跡に指定されています。また、この事件の詳細については、旧『堺市史』等に紹介され、小説としては森鴎外の「堺事件」や大岡昇平の「堺港攘夷(じょうい)始末」などがあります。
土佐十一烈士墓
明治時代
指定年月日
昭和13年8月8日指定
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