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大鳥大社 本殿 神門及び瑞垣 拝殿 神饌所及び玉垣

更新日:2025年4月18日

指定区分

堺市指定有形文化財

説明

 大鳥大社は、「延喜式神名帳」に記載のある式内社で、和泉国では唯一の名神大社(みょうじんたいしゃ)であり、和泉国一の宮でもあります。当社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の霊が白鳥となり、この地に降り立ち留まったため、その霊を祀ったことに始まると伝えられ、大鳥氏の祖先を祀る氏神とする説もあります。
 現存する社殿は、本殿等が明治38年(1905)に焼失した後、明治42年(1909)にかけて内務省神社局により再建されました。本殿、神門、拝殿が南北軸に沿って整然と並び、本殿に向かって高さを上げて神聖性を高める空間構成や、神饌所という附属建物の計画的な配置などから、明治政府により定められた社殿の配置や規模を規制する「制限図」の影響を受けていると考えられます。
 明治維新後、全国各地で神社が再興された時代にあって、当時の神社政策に沿って、近代日本にふさわしい神社建築のあり方を模索した歴史を物語る建造物として歴史的価値が高く、建築家 安藤時蔵により、社殿全体に復古と近代的な創意を融合させた意匠がみられる点も特徴的です。

南面して一直線に並ぶ社殿(奥から本殿、神門・瑞垣、拝殿)の画像南面して一直線に並ぶ社殿(奥から本殿、神門・瑞垣、拝殿)

本殿

 本殿は、棟札によると明治40年(1907)の再建で、桁行2間、梁間2間、正面に階隠(はしかくし)を付け、屋根は切妻造、妻入とします。「大鳥造」とも称される形式で、彩色や絵様、組物などの装飾的要素を用いず、素木造で直線的な部材を用い力強く構成され、一方階隠は軽快な造りとします。また、菊花紋の錺(かざり)金具 を随所に使用し、皇室とのつながりの深さを表したと考えられます。
 復古を重視しつつ、近代の新たな造形を付加した意匠を用いて建築されたことがうかがえ、修理技術者であり建築家としても活躍した、内務省技師の安藤時蔵が手掛けた建築という点でも、近代に造営された神社建築の一例として、本市のみならず全国的にも重要な建造物です。

神門及び瑞垣

 神門は四脚門(よつあしもん)形式で、両脇に本殿を囲むように瑞垣(みずがき)〔透塀〕を設けます。建築年代を示す資料はありませんが、本殿と一連で同時期に建築されたと考えられ、当社の構成要素として貴重であり、周りを囲むことで本殿の神聖性をより高めています。
本殿の意匠と調和するよう設計しながらも、神門には懸魚(げぎよ)を付けず、また瑞垣においては腕木の先端に傾斜を付けることで軽快にみせ、本殿の重厚さを際立たせているなど、細部の納まりに工夫がみられます。

拝殿

 拝殿は、棟札によると明治41年(1908)の建築で、方三間の切妻造で、妻入とし、正面に向拝(こうはい)を付けます。直線的で、装飾性を排した簡素な意匠でまとめられ、本殿・神門との連続性が感じられます。
 正・背面の妻側においては、中央間を広げ、柱を上段の梁まで延ばし高さに変化をもたすことで、中心性が意識されています。また、本殿等を瑞垣で囲んだ区画の外側に独立して配置されるという近代社殿の姿を伝えており、貴重な建造物です。

神饌所および玉垣

 神饌所(しんせんしょ)は、神への供物を調理する建物で、桁行5間、梁間3間、切妻造、平入で、正面に向拝を付けます。建築年代を示す資料はありませんが、神饌所及び玉垣もまた、本殿をはじめとした社殿と同様に直線的な意匠を基調とし、明治の再興時の境内整備における一連の建造物であると考えられ、大変貴重です。

所在地

 堺市西区鳳北町1丁1-2

所有者

 宗教法人 大鳥神社

建物の構造と年代

  • 本殿  桁行2間 梁間2間 切妻造 銅板葺  明治40年(1907)  
  • 神門及び瑞垣

      神門  1間1戸四脚門 切妻造 銅板葺  明治時代
      瑞垣  折曲り延長47間 銅板葺  明治時代

  • 拝殿  桁行3間 梁間3間 切妻造 向拝1間 銅板葺  明治41年(1908)
  • 神饌所及び玉垣

     神饌所  桁行5間 梁間3間 切妻造 向拝1間 銅板葺  明治時代
     玉垣   折曲り延長79間 銅板葺  明治時代

指定年月日

 令和7年4月18日

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文化観光局 歴史遺産活用部 文化財課

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ファクス:072-228-7228

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(文化財課分室)〒590-0156 堺市南区稲葉1丁3142

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