常設展「百舌鳥古墳群と堺の歴史・文化」
更新日:2024年7月28日
概要
堺市は、伝統ある歴史と文化を誇りとする町です。
かつて、大小100以上の古墳が集まった百舌鳥古墳群には、仁徳陵古墳に代表される巨大古墳が数多くあります。海を渡ってきた人々は、権力者の力を見せつける巨大なモニュメントに、驚きの声をあげたことでしょう。しかし、いったい何人の人々が参加し、どれくらいの月日で、どのようにして造りあげたのでしょう。まだ解き明かされていない数々のなぞがあります。
交通の要所として発展しつつあった堺の町が、応仁の乱の影響で遣明船の発着港となってから、会合衆とよばれる有力商人たちが中心となり、自由都市・貿易都市として栄えました。キリスト教の宣教師が「堺は日本のもっとも富める港」と記すほどの繁栄ぶりでした。この富を背景として文化が花開き、堺商人の一人である千利休が茶の湯を大成しました。アジアではもちろん、ヨーロッパからも注目される重要な役割をはたしていたのです。
大坂夏の陣の余波により町は全焼しますが、江戸幕府によって堺の町域が広げられ、碁盤の目状に整備されます。江戸時代初め頃までは、生糸の貿易で栄えましたが、しだいに商業の中心は大坂へと移っていきます。古来の伝統でつちかわれた堺鉄砲の生産技術が、江戸時代の平和により終息していくと、煙草庖丁をはじめとして今日まで続く庖丁へと引き継がれていきました。ほかにもすり鉢・瓦・織物など、江戸時代の堺は職人の町・工業の町として成熟していきます。
慶応4年(1868)につくられた堺県は後に大阪府に吸収されますが、明治22年(1889)に市制が敷かれ、堺市になりました。港が改修され洋式灯台が設置されました。レンガや自転車など、新しい製造業が生まれました。明治6年(1873)に浜寺公園が、ついで、幕末の砲台跡に大浜公園が開設され、大浜海岸は海水浴場となり、明治36年(1903)の第5回内国勧業博覧会で水族館が設けられました。大浜公園は潮湯場、少女歌劇が行われた公会堂など大阪近郊のリゾート地としても発展しました。
堺市博物館では、常設展で堺の歴史と文化を紹介し、様々な展示企画を実施しています。
古代~古墳の時代~
主な展示品
- 仁徳天皇陵石室石棺図
- 仁徳天皇陵甲冑図
- 仁徳天皇陵出土埴輪
- いたすけ古墳出土衝角付冑形埴輪
(以上複製)
- 大塚山古墳出土鉄製品
- 陵南赤山古墳出土埴輪
- 百舌鳥古墳群内の集落出土資料
- 仁徳天皇陵古墳出土須恵器 甕
- 御廟山古墳出土家形埴輪・囲形埴輪
- 大阪府陶邑窯跡群出土品(須恵器)[重要文化財]
※「堺市博物館オンラインミュージアム」で学芸員が解説する動画をご覧いただけます。
※常設展で紹介している古墳の解説を掲載した「百舌鳥古墳群展示ガイド」PDFをダウンロードできます。
中世~中世の堺~
主な展示品
- 沙弥性蓮処分状(複製)
- 大御記(複製)
- 念仏寺築地修理料差文(複製)
- 南蛮船(カラック)模型
- 堺鉄砲(火縄銃)
- 銃身製作工程資料(復元)
- 大筒(複製)
※「堺市博物館オンラインミュージアム<館長セレクション>」で現存する日本最長の「慶長大火縄銃」の解説動画をご覧いただけます。
近世・近代~堺の産業・文化~
主な展示品
- 菱垣廻船模型
- 祭礼鉾(復元)
- 大和川筋図巻
- 堺緞通織機
堺の宗教文化・堺市博物館の収蔵庫から
主な展示品
- 行基菩薩坐像
- 行基菩薩行状絵伝
- 日部神社石燈籠
(以上複製)
- 観音菩薩立像[重要文化財]【令和6年度出展期間:4月2日~6月9日、11月16日~3月2日】
- 若松荘中村結鎮御頭次第[堺市指定文化財](個人蔵)
- ふとん太鼓
※展示資料の内容等は変更される場合があります。御了承下さい。
※「堺市博物館の収蔵庫から」での展示作品をご覧いただけます。
このページの作成担当
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電話番号:072-245-6201
ファクス:072-245-6263
〒590-0802 堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内 堺市博物館
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