(2021年7月27日)防空壕のあるギャラリーを訪ねて
更新日:2022年3月10日
防空壕入り口
防空壕階段
雨の日の夕方、山ノ口商店街にある「ギャラリーいろはに」を訪ねました。
コロナの緊急事態宣言の最中の商店街を歩いている人はほとんどないのだなと歩いていましたが、後で聞くと、コロナでなくても人通りは多くないそうです。閉まっている店もあれば、開いているお店もあります。各店の間口は広く、ゆったりとした店構えがつづきます。どことなしか時間の流れがゆっくりです。
ところどころ、道端に人目をひくためのこどもの絵や手作りのオブジェのようなものがあり、商店街への想いとDIY精神、そしてユーモアを感じます。
ガラス張りの「ギャラリーいろはに」に来客の姿はなく、扉を開けて入ると、額縁に入った山の絵をざっと眺めました。ガラス窓の向こうには小さな庭があり、植物やオブジェの空間に心地よく光がさしこんでいます。
このまま帰るよりは、と思い、中の扉に「こんにちは」と声をかけました。
すると、会いたかったギャラリーのオーナー北野庸子さんが現れました。
簡単に自己紹介をすると、さりげなく「お時間あるなら、お茶でもどうぞ」と扉のなかに消え、コップを載せたお盆をチラシ置きの台に。いつもそのようにお客さんに声をかけてらっしゃるのだろう絶妙な声です。こちらに気を遣わせないトーンなのです。
ギャラリーをはじめた理由は、すでにネットの記事を読んで知っていました。そこから20年を経てもなお、そのお気持ちでつづけていらっしゃることを端々から感じました。
「防空壕、観られますか」
話をしていたこの床の下に防空壕がありました。
床下収納のように床をめくりあげると、階段。
ほんのすこし湿気を含んだひんやりとした空気を感じます。
北野さんは「ここを展示に使ってみない?って、作家に声をかけるんだけど、あんまり使ってもらえないのよ」とすこし残念そう。
「戦争遺留品を収集し展示している長崎の被爆者である内田伯(つかさ)さん(*1)
が「目から消え去るものは、心からも消え去る」っておっしゃっていたの。それを聞いて、残そうと思ったの。堺にも空襲があったこと、いまの人たちには信じられないでしょう」
中の扉に貼ってある写真を北野さんは指さす。
モノクロ写真は空襲の前とあとの堺市。
「このあたりなんて、ほとんど焼け野原でしょ。」
70年前の堺市役所まわりは、灰色だ。
灰色だった街は、いまでは色とりどりの建物、行き交う車、電車、人々。
「防空壕の見学に、小学生や学生さんたちが来てくれるわ」と北野さんは言う。
そして、めあての防空壕だけでなく、展示されている作品や空間を見てしまう。芸術やアートに触れてしまう瞬間。
目に見えるものとして記憶をつなごうとすることは、表現しようとする人間の根源的な想いとつながっているのではないかと思いました。
目。
見える、見えない、ということだけでなく、考えることをあきらめない姿勢を持ちたい、と、すっかり陽の暮れた商店街をあとにしました。
2021年7月27日
プログラム・ディレクター 上田 假奈代
ギャラリーいろはに
https://akaci517.wixsite.com/gallery-irohani
防空壕
https://akaci517.wixsite.com/gallery-irohani/blank-4
颯爽人 つーる・ど・堺
https://toursakai.jp/sasso/2013/01/01_779.html
*1 内田伯(つかさ)さん
長崎原爆の被爆遺構として国史跡に指定された旧城山国民学校校舎の保存運動を先導した被爆者。(2020年4月に死去)
15歳の時に被爆し自身は大けがを負い、家族5人が犠牲となった。戦後は市職員となり、原爆戦災誌の編集、爆心地公園に残る「被爆地層」の保存に携わった。収集された資料からは、被爆校舎が『物言わぬ語り部』として被爆の実相を伝え続ける。
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