このページの先頭です

本文ここから

区の歴史

美原区の位置と自然

 美原区は、北緯34度32分、東経135度33分に位置し、ほぼ同緯度の世界を見渡すと、ロサンゼルス、テキサス、西安などの都市がある。大阪府域では、ほほ中心部、大阪都心部から15キロメートル圏内に位置し、東西4.5キロメートル、南北5.5キロメートル、総面積は13.20平方キロメートル、東は羽曳野丘陵の分水嶺によって羽曳野市と富田林市に、西は堺市東区、南は大阪狭山市および富田林市、北は松原市とそれぞれ境界を接している。
 また、総面積の約50パーセントが標高50メートル以上となっており、区全体を見ると、東南部から北西部にかけてゆるやかに低く傾斜し、大和川左岸の豊かな河内平野を形成している。
 狭山池を源とする東除川は、町東部を南から北に羽曳野市へと流下し、同じく狭山池を源とする西除川は、町西部を南から北に松原市へと流下し、両河川ともに大和川へと注いでいる。
 道路網は、国道309号を中心に、府道と町道によって構成され、近畿自動車道、阪和自動車道につづき、平成16年大阪南東部と奈良をつなぐ「平成の竹内街道」南阪奈道路の開通で、近畿圏道路ネットワークの中の名実ともに要の役割を担うようになった。

みはら歴史紀行

 この歴史紀行は、2005年美原町閉庁記念誌として発行された「美原 わが心のふるさと」を参考に掲載しています。
 古くから交通の要衝となり、渡来文化をいち早く取り入れて、独自の文化を発展させ、日本全体の歴史にも大きな影響を及ぼしてきた郷土の歴史を、いま見つめなおしてみましょう。

美原町の歴史

美原町のうつりかわり

 昭和31年(1956年)9月、町村合併促進法に基づき、黒山村・平尾村・丹南村の3ケ村が合併し「美原町」が誕生し、平成17年(2005年)2月1日に堺市と合併するまでの美原町の移り変わりについて「美原 わが心のふるさと」より掲載しています。

美原町のシンボルマーク

 河内鋳物師発祥の地をイメージした“梵鐘”を中心に、周囲の3つの円で美原の自然の豊かさとして「水辺」「緑地」「空の広さ」を表すとともに、右上に町の花「つつじ」を配しています。また、“梵鐘”は地域と世代を越えて響きわたる住民の調和のハーモニーも表現しています。

みはらシンボルマーク

美原町歌

貴志邦三(作詩)大野正雄(作曲)坂下滉(編曲)
1.未来は広し 日は月に
  伸びゆくわが町 美原町
  集まる道は また分れ
  山のかなたに つらなりて
  栄ゆる郷土の 軸となる
2.緑よしげれ 野も丘も
  ゆたけきわが町 美原町
  生まれしものも 住むものも
  ここに励みて やすらいて
  日毎にかがやく 光あり
3.文化のかおり うるわしく
  明るきわが町 美原町
  心と心 ふれあいて
  仰ぐわれらの 青空に
  明日また希望の 日よ昇れ

美原音頭

貴志邦三(作詩)大野正雄(作曲)坂下滉(編曲)
1.雀さわぐな 桜の下で
  会うて見かわす チョイト顔と顔
  ふたり行きます 法雲寺 ソレ
  美原音頭で ヨイヤサノサ
  踊る手ぶりも ヨイヤサノサ
2.いつも丹比の 鳥居をくぐり
  いとしお方をチョイト松並木
  月の明りが 邪魔になる ソレ
  美原音頭で ヨイヤサノサ
  踊る手ぶりも ヨイヤサノサ
3.姿やさしい 黒姫山は
  池のおもてに チョイト水鏡
  かわいあの娘も 水かがみ ソレ
  美原音頭で ヨイヤサノサ
  踊る手ぶりも ヨイヤサノサ
4.行きも帰りも 高橋こえて
  八日薬師へ チョイト月参り
  人に言えない 胸の内 ソレ
  美原音頭で ヨイヤサノサ
  踊る手ぶりも ヨイヤサノサ
5.晴れてうれしい 三々九度の
  式は菅生の チョイト神の前
  幼なじみの お社で ソレ
  美原音頭で ヨイヤサノサ
  踊る手ぶりも ヨイヤサノサ
  

本文ここまで