擁護璽(安政地震記念碑)

最終更新日:2015年6月12日

指定区分
堺市指定有形文化財

説明

 「擁護璽(ようごじ)」は嘉永7年(安政元年・1854)に発生した地震災害に関する歴史資料です。嘉永7年の年は、6月14日に伊賀上野地震、11月4日に東海地震、11月5日に南海地震が相次いで発生し、堺においても大きな揺れと被害がありました。
 11月5日夜には大津波が起こり、大坂では2000人近い死者が出る惨事となりました。堺においても8つの橋が落ち、57人の死者があったとの記録もありますが、大坂と比べると被害は少なかったようです。
 現在大浜公園の蘇鉄山の麓(ふもと)にある本石碑は、花崗岩製の正面に大きく「擁護璽」と刻み、背面に砂岩の石板を嵌め込み、幕末の能吏、伊藤吉左衛門の撰による、建立の経緯が詳しく記されています。
 それによれば、11月5日の大津波の様子として、地震と津波で家は壊されたものの、神社の広庭に避難して難を逃れたこと、船に避難するのは津波に遭うのでやめること、などの教訓が記されています。そして、堺の産土神(うぶすながみ)である、神明宮、三村宮(開口神社)、天満宮(菅原神社)に対して、大地震から助かったことへのお礼を記して碑文が締めくくられています。 
 この石碑は当初、「御蔭山(御影山)」(おかげやま)に建設されましたが、明治28年(1895)に大浜公園内に移され、現在に至っています。堺で地震・津波の様子を詳しく記した石碑としては唯一のものであり、大阪府内を見ても「大地震両川口津浪記石碑」(大阪市指定有形文化財)の他にはありません。
 地震・津波災害の教訓を後世につたえる資料として、非常に価値が高く、貴重です。

擁護璽(正面)
擁護璽(正面)

擁護璽(裏面銘文)
擁護璽(裏面銘文)

所在地

堺市堺区大浜北町4丁77-1 (大浜公園内)

所有者

堺市

法量

高さ276.0センチメートル、幅82.5センチメートル、奥行45.5センチメートル

時代

江戸時代

指定年月日

平成27年3月13日

このページの作成担当

文化観光局 文化部 文化財課
電話:072-228-7198