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台風、戦災、そして、臨海工業地帯の造成

 昭和9年の室戸台風、第2次大戦での戦災などにより大被害を受け、大浜公園を中心とする明治後半から大正にかけてのアーバンリゾート拠点としての面影は失われました。
 また、昭和32年からの臨海工業地帯の造成とともに、歴史に名を残してきた大浜は陸に上がり、堺の発展を支えた堺港も「旧堺港」と呼ばれるようになりました。なお、旧堺燈台、旧堺港、お台場のほか、史跡の碑は現在も数多く残っています。

昭和33年(1958年)眼下に堺港を見る。堺4区の埋立て開始
(堺・泉北臨海工業地帯の建設より)

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