堺の大使 好きです堺 中谷彰宏さん
更新日:2023年8月3日
子どもを中心に地域がまとまる
市の学校教育を支える優秀な人材を育成する「堺・教師ゆめ塾」の塾頭をつとめる中谷さん。教員への夢を持つ若い世代に、力強いメッセージを送り続けています。今回は、中谷さんに堺で過ごした小学校時代の思い出について寄稿していただきました。
堺・教師ゆめ塾の入塾式で塾生代表にメッセージを送る中谷さん(平成24年10月)
こども会は第三のコミュニティー
堺での小学校時代の思い出は、こども会にまつわるものがたくさんあります。
こども会は、学校と家庭の間にある「第三のコミュニティー」でした。地域のあらゆる行事が、こども会を中心に催されていました。 その中でも、三大行事は、だんじり・ソフトボール大会(女子はポートボール大会)・盆踊りでした。
僕の通っていた鳳小学校には、7つの地区のだんじりがあり、各地区のだんじりごとにこども会がありました。 僕の住んでいた商店街の鳳東町地区は、だんじりが「北王子」、こども会は、「若草」子ども会でした。だんじりは、明治時代に小学校制度が生まれる前からのコミュニティーを、そのまま継承していたのです。
小学校6年生のときにソフトボール大会(春の大会)で初優勝(中谷さんは前列中央)
初優勝に地域全体が盛り上がる
夏と春のソフトボール大会は、それぞれのこども会が、熱い戦いを繰り広げていました。
熱かったのは、子どもだけではなく親の方もでした。地元のこども会を優勝させるために、地元のお父さんが、監督やコーチとして参加していました。スパルタの監督がいた白鷺こども会(鳳地区)が、常勝チームでした。住宅街ができて、一気に人口が増えた仲よし子ども会(鳳南町)は、選手層が厚くなって、白鷺を脅かす存在になりました。そんな中で、僕らの若草子ども会は商店街の都会っ子で、それまで1回戦敗退チームでした。ところが、僕が6年生の時、夏の大会で初の準優勝。さらには、6年生最後の春の大会で初優勝を達成しました。地域は、まるで甲子園で優勝したように盛り上がりました。いまだに、語り草になっています。
つまり、こども会は、子どもの会ではないのです。子どもを核にした、大人の共同体なのです。大人を中心に共同体を作ろうとすると、どうしても分裂します。利害関係が、バラバラに存在するからです。本来、共同体というものは、子どもを中心に存在するものなのです。
こども会活動が盛んである堺は、「子育てするなら堺」を昔から、地でいっていたのです。
こども会は、寺子屋の継承だったのです。公民館が、遊び場でした。雨が降ると、公民館の中で卓球をしていました。公民館は、冠婚葬祭だけでなく、カルチャーセンターでもありました。公民館の前が小さな広場になっていて、だんじり小屋があり、やぐらを組んで、盆踊りも開かれました。盆踊りが近づくと、公民館の中で踊りの振り付けの練習をして、金魚すくいに使うポイの紙を自分たちで貼りました。
子どもとお年寄りがつながるまち
若草子ども会の会長だった僕は、浜寺公園で、1泊2日で行われる堺市子ども会会長キャンプに参加しました。飯盒炊爨やキャンプファイアの仕方をこの時、覚えました。大人を軸とすると、コミュニティーはバラバラになります。
子どもを軸とすることで、コミュニティーはまとまります。集団で子どもを育て、集団で子どもを叱り、集団で子どもを守っていくことで、地域が活性化します。子どもを軸にすることで、子どもとお年寄りがつながります。
東日本大震災の時には、子どもたちが、お年寄りを助けました。子どもとお年寄りがつながっているまちこそ、文化を継承していくことができるまちなのです。
(取材 平成24年11月)
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