第2回自由都市・堺 平和貢献賞 受賞者
更新日:2012年12月19日
平成22年3月23日、6月25日に自由都市・堺 平和貢献賞選考委員会が開催され、受賞者の選考が行われ、7月30日に同委員会上田正昭委員長から報告を受け、次のとおり受賞者を決定しました。
選考経過
選考方法
国内外の有識者、学術機関等(国内350、国外150 計500件)及び選考委員に受賞候補者の推薦を依頼。
推薦のあった受賞候補者について、自由都市・堺 平和貢献賞選考委員会での選考結果をうけて、市が受賞者を決定。
経過
平成21年 | 6月 | 推薦人に推薦依頼書送付(国内外500件) |
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9月30日 | 推薦締め切り(推薦数21件) 受賞候補者の詳細調査 |
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平成22年 | 2月 | 選考委員への選考資料送付 |
3月23日 | 選考委員会の開催 |
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6月25日 | 選考委員会の開催 |
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7月30日 | 受賞者の決定(大賞1人、奨励賞1人、1団体) |
区分 | 推薦依頼数 | 推薦数 | |||||
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国内 | 国内個人 | 200 | 350 | 13 | |||
国内研究所 | 60 | 350 | 0 | ||||
国内大学 | 60 | 350 | 0 | ||||
中間NGO | 30 | 350 | 2 | ||||
国外 | 海外研究所 | 50 | 150 | 2 | |||
海外各種団体 | 50 | 150 | 2 | ||||
海外大学 | 30 | 150 | 1 | ||||
在日外国大使館 | 20 | 150 | 1 | ||||
合計 | 500 | 21 |
国内外 |
個人 | 団体 | 計 | ||
---|---|---|---|---|---|
国内 | 6 | 7 | 13 | ||
国外 | 8 | 0 | 8 | ||
計 | 14 | 7 | 21 |
受賞者紹介
大賞
田内 基(たうち もとい)氏
受賞者紹介
1942年10月韓国木浦(もっぽ)市生まれ。大阪府和泉市在住。
ソーシャルワーカー、社会福祉法人こころの家族理事長
日本には、過去の朝鮮半島の植民地政策の中で、渡日し、終戦後もさまざまな事情で引き続き日本で暮らすことになった人やその子孫として日本で生まれ育った人たちが多く存在します。
田内氏は、韓国の孤児院木浦共生園で30年間に3,000人もの孤児を育て、「韓国孤児の母」と呼ばれた日本人田内千鶴子氏と尹致浩(ゆんちほう)氏の長男として生まれました。朝鮮戦争の混乱のさなか、1951年に父が消息不明、1968年、母の死後、同園園長に就任。1982年に来日、在日韓国・朝鮮人の高齢者の孤独死が相次ぐという問題に直面し、この方々が故郷に近い環境で安心して暮らすことのできる老人ホームを作ることをめざし、1988年に日本の社会福祉法人「こころの家族」の理事長に就任、1989年に堺市内に「故郷の家」を開設。その後、1994年に大阪市生野区にデイサービスセンター、2001年に「故郷の家・神戸」、2009年に「故郷の家・京都」を開設。また、韓国内にも児童養護施設、障害者授産施設、職業訓練施設など、現在、日韓あわせて15の施設を設置しています。
こうした施設運営とあわせて、母の生涯を描いた日韓合作映画「愛の黙示録」の制作や日韓こころの交流シンポジウムの開催、韓国人学生を対象にした日本での福祉研修の実施など、日韓間の文化交流の面でも幅広く活動しています。
贈賞理由
在住外国人が増加し、国際化の進展する日本社会において、多様な背景を有する高齢者一人ひとりが、どのようにして生涯を全うしていくかということは、多文化共生社会の重要な課題です。この課題に対して市民の立場から取り組み、社会の共感を得て展開する田内氏の活動は、先駆的であり、モデルケースとして、非常に意義深いものであり、個人の尊厳の追求が保障されたユニバーサル社会・共同体の実現に大きく寄与するものとして高く評価するとともに、施設を拠点とした交流活動についても、多様性のあるより自由で寛容な社会づくりという面からも評価するものです。
奨励賞
長瀬 アガリン氏
受賞者紹介
1963年3月フィリピン・ミンダナオ生まれ。埼玉県飯能市在住。
KAFIN(川口フィリピン人会)代表
フィリピンでは、第二次世界大戦後、南部のミンダナオ島で独自の文化・社会を築いてきたモロ(イスラム教徒となった先住民族の総称)と政府の対立が先鋭化、1970年には民族自決を掲げるモロのゲリラと政府軍との戦闘がはじまり、多くの犠牲者や避難民が生まれました。2003年には停戦合意がなされ、断続的に和平交渉が続いてきましたが、現在も不安定な状態が続いています。
また、日本には、現在、約20万人のフィリピン国籍の人が滞在していますが、日本社会の中でさまざまな問題を抱えています。
長瀬氏は紛争に巻き込まれた一人として、フィリピン・ミンダナオに、1984年にムスリム・青少年団体を設立して以来、1990年にモロ女性センター、2000年にパササンバオ総合保健サービスを設立するなど、ミンダナオ紛争の被害を受けた女性や子どもたちに対する生活安定、自立支援事業を行なってきたほか、日本でもミンダナオ和平に向け発言してきました。
1995年に日本人と結婚。1996年に来日し、1998年に日本在住のフィリピン人の互助組織KAFIN(本部:埼玉県蕨市)を設立。シングルマザーやドメスティックバイオレンス被害者の相談、支援をはじめ、フィリピン人母親の日本語教室、学校や地域でのフィリピン文化の紹介などにも取り組んでおり、現在では、全国6か所(東京、横浜、名古屋、大阪、群馬、長野)に支部ができています。
贈賞理由
自分自身ミンダナオ紛争の被害者である長瀬氏は、これまで紛争被害者の自立支援のためのサービスを提供するとともに、相互理解の上に立った平和構築活動に取り組んでおり、自由・自主・自律の保障、強化に向けた取り組みとして高く評価するものです。さらに、日本国内においてさまざまな問題を抱える在日フィリピン人女性を中心とする支援活動や多文化共生に向けた地域交流活動など、個人の権利、尊厳、可能性の追求が保障されたユニバーサル社会・共同体の実現に大きく寄与するものと評価します。
アフガン孤児支援 ラーラ会
受賞者紹介
2003年設立 奈良県生駒市 代表 柄子 眞弓(からこ まゆみ)氏
アフガニスタンでは、20年以上にわたる内戦状態の後、現在、新たな国づくりが進められているところですが、依然として、政情は、不安定であり、国民生活は、非常に厳しい状況にあります。女性の社会的、経済的自立が十分とは言えないアフガニスタンでは、紛争や病気で父親を亡くした子どもたちは、孤児と呼ばれ、その多くが、非常に貧しい状況に置かれ、家族から離れ、孤児院で生活したり、家族を養うため、過酷な労働を強いられたりしています。
ラーラ会は、悲惨な状況に置かれている孤児たちを支援するため、2003年に設立、2005年には、アフガニスタン西部のヘラート州に新たな孤児院を建設し、州政府へ寄贈。現在は、ヘラート州内の孤児院の生活環境改善への支援や、生活物品の供与などを行なっているほか、現地で講師を雇用し、孤児院内で英語教室やパソコン教室を開設し、孤児たちの教育支援にも取り組んでいます。
また、2008年に、ギリム織りと呼ばれる伝統的な敷物や刺繍などを作る「手仕事センター」を開設し、現地の貧しい女性を雇用し、経済的自立、生活安定を支援しています。
贈賞理由
市民の素朴な共感から生まれ、現地の実情に合わせた細かな支援を行なうラーラ会の活動は、困難な状況にあるアフガニスタンの子どもたちの生活環境の改善、教育機会の確保や女性の自立支援など、今後のアフガニスタンの市民生活の安定に大きく寄与するものであり、個人の権利、尊厳、可能性の追求が保障されたユニバーサル社会・共同体の実現に向けた取り組みとして高く評価するものです。
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