石室からは何が発見されたの
更新日:2012年12月19日
明治5(1872年)年に前方部の中央から石室と石棺がみつかりました。
その時の記録によると、石室からは甲冑(かっちゅう)、鉄の刀などのほかに、ガラスの容器があったようです。しかし、石棺(せっかん)の蓋を開けずに再び埋めてしまったので、中に何が入っていたのかは今もわかりません。
金銅装甲冑
石室の東側、壁と石棺との間に置かれていました。銅に鍍金(メッキ)したもので、庇(ひさし)のついた甲(かぶと)は長方形の板を鋲(びょう)で二段に綴(と)じ合わせたものです。鉢の上には皿型の飾りがあり、金の円板をたくさんとりつけられていました。
冑(よろい)も横長の銅板を鋲で綴じたもので、右の脇を開いて着用するようになっています。銅でつくった甲冑は数例しかありません。
前方部石室出土、金銅装甲冑
鉄の刀
石室の北側、壁石棺との間に約20ほどがまとめて置かれていましたが、長さや大きさはわかっていません。
伝仁徳陵古墳(大仙古墳)出土、環頭太刀柄頭
ガラスの器
甲冑の近くに置かれていました。2個あって、一つは壷、一つは白色の皿だったと記録されています。
おそらく奈良県・新沢千塚126号墳出土の青ガラスの椀と白ガラスの皿のセットとおなじものと思われています。大陸からもたらされたものであると考えられています。
前方部石室から出土したガラス製皿の推定図(口径14cm前後)
前方部石室から出土したガラス壷の推定図(高さ7cm前後)
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