文献史料と一致する文字瓦
更新日:2020年3月17日
「神蔵」
文字瓦の中から、他の文献史料と一致する人名も出土しました。「神蔵」(しんぞう)、「帝安」(たいあん)、「霊福」(れいふく)という三人の僧侶です。
「神蔵」、「帝安」は、行基の弟子僧について書かれた『大僧正記』(筆者・成立年代不明)という史料に名前が見え、二人とも行基より先になくなったことが記されています。土塔の築造が始まったのが大野寺と同じ神亀4年と考えると、行基は当時の朝廷から「小僧行基」(『続日本紀』)と呼ばれ非難されていた時期です。神蔵・帝安とも、神亀4年にはすでに行基の弟子として土塔築造に参加し、早くに亡くなった古くからの弟子だったのかもしれません。
「帝安」
「霊福」は、天平勝宝6年(754)、唐から鑑真(がんじん)が渡来した際に迎来礼謁したこと(『東大寺要録』『唐大和上東征伝』)や、正倉院文書に優婆塞(うばそく)を貢進した書類が残されています(『大日本古文書』)。しかし、これ以上の史料はなく、霊福と行基の関係は不明です。
このように文献史料と出土文字資料が一致する例は極めて珍しく、行基の弟子僧の具体的な復元や、文献史料の信憑性の検討に大きな役割を果たします。上記の点について詳しく知りたい方は、堺市教育委員会『史跡 土塔-文字瓦聚成-』2004年刊を御覧下さい。
「霊福」
文字瓦は、行基やその活動を知る上で、最も信頼のおける一次史料の一つとして非常に重要な位置を占めているのです。
残念ながら、土塔の文字瓦は広く各地に分散しており、未発見のものも少なくありません。ご存知の方がありましたら堺市 文化財課まで是非ご一報下さい。
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