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「西国三十三ヵ所巡礼」を33回達成した行者の満願供養塔

更新日:2023年8月21日

 美原区多治井(たじい)の大阪府指定史跡・丹比(たんぴ)廃寺塔跡の基壇上に、総高約3.32メートルを測る花崗岩製の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。
 3段の台座上に据えられた基礎部の北面には、如意輪観音坐像(にょいりんかんのんざぞう)が厚肉彫され、それ以外の三面には銘文が刻まれると共に、その上部に乗る塔身部の各面には、円形の月輪(げちりん)内に阿閦(あしゅく)如来・宝生(ほうしょう)如来・阿弥陀如来・不空成就(ふくうじょうじゅ)如来の「四方四仏」を意味する梵字であるウーン・タラーク・キリーク・アクの種子(しゅじ)が表わされています。
 基礎部の南面の銘文から、この宝篋印塔は、享保20年(1735)に「芳誉西入」という行者が西国三十三ヵ所巡礼を33回達成し、行者本人が願主となって満願供養が営まれた際に建立されたことがわかり、また、西面の銘文からは、この塔の施主が「白誉宗清」という人物であったことも判明します。
 西国三十三ヵ所巡礼は、那智山青岸渡寺を第一番とし、最後は谷汲山華厳寺で打ち止めとなる三十三ヵ所の観音霊場を巡るもので、西国三十三ヵ所の本尊のミニチュア像や曼荼羅(まんだら)を収納した「セタ」と呼ばれる笈(おい)を背負い、西国三十三ヵ所巡礼を33回も巡る遊行の宗教者のことを「三十三度行者」と言います。この人たちはいくつかの「組」や「会所」と呼ばれる組織に属する専門的・職業的な巡礼行者であり、1年に2度~3度、西国三十三ヵ所巡礼を行い、10年~10数年かけて三十三度巡りました。
 以上のように、この宝篋印塔は「西国巡礼三十三度行者満願供養塔」であり、近世の美原地域の観音信仰を考える上でも重要な石塔です。

丹比廃寺宝篋印塔の画像丹比廃寺宝篋印塔

北面観音像の画像基礎部北面 如意輪観音坐像

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