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黒姫山古墳の被葬者などについて

更新日:2013年3月27日

 当古墳は、古くから’墓山(はかやま)’と呼ばれてきましたが、江戸時代には天武天皇陵(てんむてんのうりょう)とされたり、明治初年には仁賢皇后陵(にんけんこうごうりょう)に一時認定され、同12年に廃止されています。黒山の地名は古くから文献(ぶんけん)にみられ、古墳の名称はそれに由来したものと考えられ、先の伝承とあわさって黒姫山の名称が伝わったものと思われます。昭和28年刊行の報告書では、古市にある墓山古墳との混同を避(さ)けるために、この俗称(ぞくしょう)を使ったということです。本来の被葬者(ひそうしゃ)は、古墳時代中期に当地域において勢力を誇(ほこ)っていた丹比(たじひ)氏(丹比連(たじひのむらじ)の一族)と考えられています。丹比連の職掌(しょくしょう)(職務)が天皇の側近(そっきん)に軍事で奉仕した氏族であったことは、副葬品が物語るところといえるかもしれません。

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