なぜ、堺市では美原区域以外は「丁目」じゃなくて「丁」なの?

最終更新日:2012年12月19日

 理由をはっきり示す資料はありませんが、一説では、美原区域を除いた堺の町名に丁目の「目」がつかないのは、江戸時代の「元和の町割り」にそのルーツがあると考えられています。

 元和元年(1615年)、大阪夏の陣で全焼した堺は、徳川家康により、南北の大道筋、東西の大小路通を基軸として、碁盤の目の形に町割りされ、整然とした町に生まれ変わりました。これを元和の町割りといいます。

 通称名も含めた町の数は、多いときで400近くにも及び、覚えにくいので、大道筋(南北の大通り)に面した24の町名と縦筋の通り名とを合成させた、ちょうど現在の京都のような呼び方を通称として使うようになりました。例えば、「南材木丁」を「大町中浜筋」というように。(下図参照)

下図・元和元年

下図・大町中浜筋

 さらに明治5年(1872年)の町名改正では、町名をより分かりやすくするために、独立した町名のかわりに、当時の町組(ちょうぐみ=連合自治会)を生かし、2街区位に再編し、大道筋に面した町名をもとに、東側は○○町東1丁、東2丁…、西側は、○○町西1丁、西2丁・・・と変えました。

 それぞれ独立した町が東1丁や西2丁・・・などに変わったため、町を細分する意味合いを持つ「丁目」はなじまず、町と同格の意味で、「丁」を使ったものと思われます(1町、2町とも呼ばれていました)。先の例の「南材木丁」は、「大町西1丁」に変わりました。(下図参照)

下図・明治5年

下図・大町西1丁

 確かに覚えやすいですが、少々味気ない気がしないでもありません。

 堺市では、平成17年2月に編入した美原区域を除いて、泉北ニュータウンのような新しい町も「丁」を使っていますが、現代にも踏襲されて来たわけです。

 ちなみに、昭和の初めに、「目」をつけるかどうかで市議会で論議されたことがありますが、やはり由緒のある「丁」に統一しようということになった経過もあります。

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