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浅香山遺跡

更新日:2012年12月19日

百舌鳥古墳群が造営された頃の集落

 反正天皇陵古墳(田出井山古墳)の北約800メートルの堺市堺区今池町周辺は、近年まで遺跡分布の希薄な地域でした。しかし、「田出井町勤労者総合福祉センター」およびJR堺市駅周辺の再開発事業や共同住宅建設工事に先がけ実施した試掘調査により南田出井町遺跡・錦綾町遺跡が相次いで発見されました。
 平成6年9月、浅香山住宅立替工事に伴う事前の試掘調査を実施したところ古墳時代の新たな遺跡が発見され浅香山(あさかやま)遺跡と名付けられて、平成7年3月から発掘調査が行われました。

 発掘調査では、古墳時代中期から後期(約1600年から1500年前)の遺構・遺物が出土しました。発見された古墳時代中期の住居は、地面を方形に掘りくぼめた中に4本の柱を建てて屋根を支えた竪穴住居で、各住居の内部の壁ぎわには煮炊きに使用した備え付けのカマドがあり、当時生活していた人々が使った須恵器の杯(つき)や土師器の壷・甕が出土しました。住居の付近には井戸・ゴミ捨て穴のような遺構があり、そこからはたくさんの土師器が見つかりました。その土器のなかには東海地方西部で作られた甕(宇田型台付甕)が含まれており、当時ここで生活していた人々が、百数十キロメートル離れた彼の地の人々と交流があったことがわかります。

 古墳時代後期になると住居は、竪穴住居から地面に柱穴を掘り、柱を立てて屋根を支える掘立柱建物に変わります。この掘立柱建物は東西方向に延びる道路の両脇に並んでいました。

 古墳時代中期は、仁徳天皇陵古墳(大山古墳)を中心とする百舌鳥古墳群が造営されていた時期にあたり、浅香山遺跡の発掘調査で見つかった集落跡で生活していた人々は百舌鳥古墳群造営の一翼を担った集団かも知れません。

参考文献

「浅香山遺跡発掘調査概要報告」 『堺市文化財調査概要報告』第63冊 1997年3月

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