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堺をおもえば…さいとう・たかをさん 思い出の場所と店

更新日:2023年8月3日

堺をおもえば…堺名誉大使・堺親善大使の記憶に残る「風景」を歩く

さいとう・たかをさんの思い出を辿る

さいとう・たかをさんとめぐる、あの名店と名所へようこそ

「ふしの会」幹事の思い出話

 さいとうさんとの思い出を伺おうと、小学校の同窓会「ふしの会」の万年幹事、井上貢さんに連絡を取ると、翌日に北野義一さん、岩井淳さんと幹事三人が集まってくださった。すごい団結力である。
 そして、昔話や知られざる話が次々出てくる。みなさんが口を揃えて「さいとうはワルだったけど、当時から絵がうまかった! 女の子たちが机の周りを囲んで、『潜水艦の絵、描いて』とかモテよったわ」という。
 さいとうさんが「井上みっちゃんはこの年でパソコンやって、私らの資料を全部持ってる」と言う通り、井上さんはデューク東郷の名前の元になった東郷先生が写っている写真まで持って来てくださった。

さいとう・たかをさんの学生時代の写真最後列の右から二人目、お茶目なポーズをとっているのがさいとうさん

「これは昭和26年(1951)に福泉中学2年B組のクリスマス茶話会で、さいとうが考えた怪人二十面相みたいな寸劇をやったときのものです。右端が東郷先生。『おじいさん』というアダ名で、大人しいけど厳しい先生でした」
「さいとうがいつもテストを白紙で出していたら、東郷先生に『白紙で出すのは君の意志だからかまわない。しかし、答案用紙を提出するのは君の義務だから、その証明として名前を書け』と諭されて、人間の約束と責任について考えるようになったと言ってたな」(岩井さん)
「悪ガキを本気で怒ってくれる先生は他にいなかった、って言うてたね」(北野さん)

大金樓

大金樓

 三人に集まっていただいたのは、因縁の店[大金樓]だ。ここは文久年間(1860~1863)創業の堺でもっとも古い料亭である。
 現在はグレーと白のモダンなコンクリート造りになっているが、中はお座敷にテーブルと椅子で高級感があふれている。料理は本格的で器も凝っているが、ランチは1,250円(写真右下)からとリーズナブルなのが魅力だ。誕生日や記念日などのお祝い、接待など改まった席にも最適なので、堺以外からのお客さんも多いという。
 7代目の女将にさいとうさんが鯉や鮒を釣って食べていたという話をすると、「当時は食べ物がなかったから、そういうことをした方がけっこういたと聞いてます」とニッコリ。
 今ではお店にさいとうさんの絵入りの色紙を飾ってあるぐらいだから、過去の所業ということで、不問に付してもらったようだ。

さいとう・たかをさんの同級生のみなさんと大金樓左から岩井淳さん、井上貢さん、北野義一さん

鶴田池

鶴田池

 鶴田池は今は高速道路で分断され、遊泳も禁止である。さいとうさんが遊んでいたあたりは、昭和45年(1970)に「鶴田池ゴルフセンター」として打ちっ放しの練習場になった。ここは100打席もあって、池に向かってボールを打つのは見るからに気持ちがよさそうだ。溜め池のゴルフセンターは全国にも20か所前後しかない珍しいものだそうだ。かつての子どもの遊び場が、今は大人の遊び場になっているのである。

 そこから高速道路を隔てて南へ行くと、鶴田池とつながっている元禄池がある。こちらはまだ自然が残っていて、遠くに和泉葛城山を望む雄大な風景。さいとうさんが泳いでいた時代の鶴田池はこんな感じだったのだろう。そこから北(鶴田池側)に目をやれば、堺泉北道路の高架が池を分断していた。

清乃家

清乃家

 鶴田池にほど近い草部の交差点にある[清乃家]は、かつて南海バスの終点だった車庫の建物を利用して、戦時中に開業。昭和36年(1961)に付近の道路が拡張され、景色は一変したが、店構えは当時の面影そのままだ。店を営むのは2代目の井上繁男さんとフミエさん。子どもの頃は夏になればやはり鶴田池で遊んでいたそうだ。「うどんの出汁は昔から昆布と鰹で、おふくろから教わった味のまま」と、開店から70年近く経っても変わらぬ味が近所で働く人々に支持されている。「さいとうさんにいっぺん店に来てもらってお会いしたいな」と繁男さん。かけうどんが200円からで、うどんだけで10種類以上のメニューがあり、好きな惣菜を選ぶこともできる。

清乃家の外観や店内のようすきつねは300円。うどんの出汁もだが、お二人の人柄が温かい

石寅 浜田石材

山田温泉

 さいとうさんが『幽霊館』のモデルにした旅館はもうないが、この近辺ではまだ[山田温泉]の冷泉を使っているところがある。山田3丁目にある創業明治20年(1887)の[石寅 浜田石材]もその1つで、墓石を洗ったりするのに使っているという。山田温泉はここの裏あたりにあったそうだ。

堺市立中央図書館

堺市立中央図書館

 昭和46年(1971)に、自然があふれる大仙公園内に移転開館した。基本設計は大阪市立大学(現在の大阪公立大学)の栗原嘉一郎研究室が担当し、この辺りは古くから「百舌鳥」という地名だったので、屋根は百舌鳥が羽を広げた形をイメージして作られたという。
 約60万冊の蔵書があり、さいとう・たかを作品は一部が図書室に並べられているが、それ以外も受付に申し出れば貸し出ししてくれる。
 

しばぐちやすこさん

紹介した思い出の場所の地図

※記事内容は取材当時のものです。

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