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堺をおもえば… 川淵三郎さん 堺の記憶

更新日:2015年3月17日

堺をおもえば…川淵三郎さん

川淵三郎さん

堺、三国丘高校、サッカー=My Lifeです

川淵三郎さんプロフィール

「堺、三国丘高校、サッカー=My Life。この3つがなかったら、今の僕の人生はなかった」  こう語るのはJリーグの生みの親で、堺名誉大使の川淵三郎さんだ。日本最大のサッカー練習施設、J-GREEN堺の生みの親にもなり、今も堺と深く強い絆で結ばれている。

辛かった!仁徳御陵さんのランニング

 川淵さんは堺市の隣の高石市生まれ。サッカーは三国丘高校1年のときに、ひょんなことから始めた。
「サッカー部が大阪大会で優勝して、四国の高松で開かれる西日本大会に出場することになったんです。で、友達に『サッカー部に入ったら四国に行けるぞ』と言われてね。戦後10年も経っていない頃で、船で四国に行けるのはすごいことだったから、四国行きたさで入部したんです(笑)」
 動機は不純だったが、持ち前の足の速さとカンの良さでメキメキ上達。だが、嫌いな練習もあったという。
「僕は短距離走は速かったけど、長距離は大嫌いでね。雨が降るとグラウンドが使えなくて、仁徳御陵さん(仁徳天皇陵)の周囲を回ったり、大阪刑務所のほうまで走ったりするんですよ。御陵さんの周りも今と違って田んぼばっかりで道も舗装されていないし、真っ白になるぐらい白鷺がいて糞もすごかった。『しんどいなぁ』って嫌な気持ちで走ってました。三国丘高校サッカー部の一番辛い思い出だね(笑)」

堺東の映画館での淡い恋

 高校時代は寄り道をしたこともない真面目少年だった。
「練習の帰りに学校近くの店でパンと牛乳を買い食いするぐらいで、喫茶店に入ったこともなかった。堺東の商店街に行くのも映画を見るときだけ。僕は映画見たさに修学旅行に行かず、積立金を返してもらって映画館通いをしたぐらい映画好きだったんです。あとで修学旅行に行けばよかったと思ったけど(笑)」
 堺東商店街の映画館では淡い恋物語もある。
「『終着駅』を観に行って後ろの壁にもたれていたら、反対側の壁に好きだった同級生の女の子がいたんだよ。『好きな女の子と一緒に映画を見てるんだぁ』という幸せ感ったらなかったね。映画が終わったらもう彼女はいなかったけど」
 一緒に観に行ったわけではない。偶然一緒になっただけで幸せだったというのだから、どれだけ純朴な少年だったのかがよくわかる。
「華やかな思い出がないねえ(笑)」

浪人中も三国丘高校でサッカーの練習

 卒業後も三国丘高校との縁は切れなかった。
「僕は2年浪人しましてね。その間もサッカーが好きで好きでたまらないから、毎日のように三国丘高校のサッカー部の練習に参加していたんです」
 2浪目のとき、大阪で開かれた都市対抗のサッカー大会で、高校のOBチームの一員として、日本代表選手が何人もいるチームと対戦。
「そこで、早稲田大学出身で後に日本代表の監督になった川本泰三(1914-85/ベルリン五輪で日本初ゴールを記録)さんが僕を認めて、『これは早稲田に行かせて活躍させたほうがいいんじゃないの』と言ってくれたので、話がトントン拍子に進んで早大に入れたんです。これも三国丘高校で毎日、練習していたお陰ですよ」

1964年、東京五輪の選手村にて、日本代表のユニフォームで(前列左から4番目)、「日本サッカーの父」と言われたクラマー氏撮影
1964年、東京五輪の選手村にて、日本代表のユニフォームで(前列左から4番目)、「日本サッカーの父」と言われたクラマー氏撮影

大浜公園の伝馬船漕ぎと相撲場

 浪人中も毎日のように三国丘高校に通っていたので、先生からの頼まれごともあった。
「当時は学校にプールがなかったから、高校1年生だけ大浜海岸に水泳に行ったんです。僕は子どもの頃から高師浜で漁師の子どもたちと遊んでいて伝馬船が漕げたから、先生から伴走船を漕げと言われて漕いだこともありました。
 あと大浜公園には相撲場があって、日本中の強い選手が出場する全国相撲大会があったんですよ。それもよく覚えています」

堺市立図書館HP「絵葉書と写真で見る旧燈台」より

堺市立図書館HP「絵葉書と写真で見る旧燈台」より

夢かと思ったJ-GREEN堺の誕生

 大学卒業後は古河電工のサッカー部に入り、1964年の東京オリンピックにも出場して活躍。古河電工サッカー部監督、日本代表監督、Jリーグの初代チェアマン、日本サッカー協会(JFA)の会長(キャプテン)を歴任。そして、また堺市との縁が生まれた。
「僕がJFAのキャプテンになった頃だったかな。大阪ガスさんから堺市に堺泉北港の北端にある工場用地が空いたから何かに使わないかという話があって、フットボールセンターを作ろうという案が出てきたんです。それを聞いたときは夢かと思いました。1993年にJリーグができて、サッカーに対する世の中の見方は変わっていたけど、まだまだ人気がなかったから、『え、ホントかよ!?』って。
 故郷にサッカーセンターを作ってもらえるなんて、こんなラッキーな巡り合わせはないなと思いましたね。僕の人生は本当にサッカーと堺でできているんだなあ」
 そして、大阪府、堺市、日本サッカー協会が協力して、2010年4月に日本最大級の施設規模を誇る堺市立サッカー・ナショナルトレーニングセンター(愛称:J-GREEN堺)がオープン。5年目にして年間利用者が当初想定していた50万人を上回る70万人(見込み)と順調に稼働している。
「アクセスがいいからかなりの人が使ってくれるだろうとは思っていましたけど、70万人近くとは想像を超えました。いろいろなスポーツに使ってもらいたいし、その要望もあるのだけれど、日本代表の合宿に使われたり、海外のチームが来るようにもなって、サッカーの需要が多すぎて対応できない。嬉しい悲鳴をあげているところです」

JFAアカデミーで女子中学生を育成

 2012年4月には女子中学生の選手を育成するJFAアカデミー堺も開校し、川淵さんは校長にあたるスクールマスターに就任している。
「JFAアカデミー堺は竹山市長に相談したら、積極的にバックアップしてくれて実現したんですよ。ここからなでしこJAPANの選手が生まれるのが夢ですけど、サッカーがうまいだけじゃなくて、それなりの人間にならなければ成功できないから、子どもたちには『勉強もしっかりせい』とハッパをかけて、成績表もチェックしています」
 すでにセレッソ大阪堺レディースに所属する選手も生まれ、川淵さんの夢の実現も間近である。
「J-GREEN堺に宿泊施設ができたり、周辺の道路が整備されたり、地域社会の発展に貢献できて、お世話になった堺に恩返しができていると思うと嬉しいです。でも、ここはまだまだ発展しますし、これから堺の一大名所になりますよ」

けし餅と[美々卯]のうどんすきが好き

 今も繋がりが深いだけに、川淵さんはたびたび堺を訪れている。
「僕が大阪で泊まるのはホテル・アゴーラ リージェンシー堺。ここがリーガロイヤルホテル堺だった頃からずっと変わりません。三国丘高校の同窓会もいつもここだし、J-GREEN堺ができたときのパーティーもここだったんですよ」

 堺でよく行くお店は……。

「僕はうどんが好きだから、堺で一番よく行くのはうどんすきの[美々卯]
。この店は堺が発祥だからね。そごう横浜店に[美々卯]が入ったときはわざわざ食べに行ったぐらい」

 和菓子好きでもあるそうだ。

「堺の『けし餅』はおいしいね。堺から来る人がみんなお土産に持って来てくれるから、どこのお店のか知らないんだけど。ただ妻は僕にあんまり甘いものを食べさせたくないから、『今日は1個だけ』とか言うんだよ。あれは早く食べないと固くなっちゃうから、『もっと食わせろよ』って言いたいんだけど」

 あまり強く言えないところが、愛妻家の川淵さんらしい。

300年以上の伝統をほこる[けし餅本舗小島屋]。2階の茶房では阪堺線の路面電車を眺めながらけし餅が味わえる

けし餅本舗 小島屋

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